あしたはうんと遠くへいこう
4年前に読んだはずの角田光代著『あしたはうんと遠くへいこう』。内容をほとんど覚えていなかったので、文庫化された機会に再読してみた。どこにでもいるような、でもどこか特別な気がする女の子の15年にもわたる恋愛を描いた小説。帯には「角田光代はじめての恋愛小説」とある。「幸せな恋愛をしてますか」と背表紙には書かれているのだが、簡単に「はい」と答えられないのが少々つらい…いや、私だって恋してますともと言い聞かせつつ。
主人公の物語は1985年から2000年まで続く。あたしはきれいだろうか、好きな人に好かれて当然なくらいきれいだろうか。きれいじゃない、とも思うし、けれどそんなにひどいわけでもない、とも思う。学園のアイドルにはなれないけれど、整形手術を真剣に考えなければならないほどでもない。この先、どれくらいこんなことを考えなければならないだろうかと思い悩む。そして、受験生なのに好きな人のことに夢中でなかなか集中できない主人公は、好きな人のことを自由に冥想できる時間を作って勉学に勤しむのだった。それは、彼とあたしの未来、現実編、パニック編、ファンタジー編、駆け落ち編、外国編などなど。なかなかおもしろい女の子なのだが、「たすけて」と言うと、反射的に涙を流すという遊びをしていた。誰に助けてもらいたいわけでもないのに、あぁ疲れたとかおいしいとかを思わずつぶやくように…そして、今いる小さな場所からどこかへ出ていくことを夢見ている。
大学時代、何となく好きな人と住み始めたものの、関係は悪化する。つきあっているだけではけっして味わえない安心感を得られるきがしていたのに、近づけば近づくほどに遠く感じられるのだった。一緒にいれば満たされて、離れていれば飢えるようなものだと考えていたことを悔いる。そして、やはり「たすけて」と泣き出したくなる自分を感じているのだった。人間関係において、なかなかわりきることができない主人公。これはこれ、それはそれ。私のものと、そうでないもの。手に入れることができるものと、永久に手には入らないもの。言葉はなんて便利で嘘っぱちでやさしいんだろう…そんなことをふと思うのだった。愛のためと称して異国の地を自転車でまわってみたり、人の運命を大きくかえるできごとが起こるのは、たった1日あれば充分なのに違いないと思ったり…少しずつ成長していく主人公。旅から帰り、自分が本当に欲している物は一体何なのか…部屋を見まわしても、心から欲しているものは何もなかったことに気づく。
“一体私はどこへ行きたいのだろう?”
主人公の親友曰く、既婚者にどうしてあの人と結婚したのか訊いてみると、実に多くの男性が、あいつは弱いから一緒にいなきゃ思ったと答える。で、同じことを女性に訊くと、彼は信用できると思ったと答えるのだそうだ。でも、よく考えてみると、この世の中に弱い女なんてものは存在しないし、おんなじように信用できる男なんてものも存在しないと思わない?そう親友の町子は言う。彼女が弱いって言う男は自分が弱いんだし、彼は信用できるって言う女は自分が人を裏切らないたちなのよ。人は、相手の中に自分を見つけたいんだよ。そんなことを言う。ズバリ言っている…
恋愛小説なのに、恋愛のことについてはほとんど触れずにしておいた。これから読む方のために。タイトルといい、主人公の恋愛の変遷といい、人事だと思うとおもしろい。自分のことだと、不器用になり精一杯になるのに。でも後半の主人公の生き方は、かなり素敵でロマンに満ちている気がした。このもどかしさ、この切なさ、この敏感な心…女性だけでなく、男性もそんな風に思っているのだろうか。そんな初歩的な疑問がわいてきた。
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