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2005.03.31

そして私は一人になった

gure26 32歳にして、初めての一人暮らしをすることになった作家・山本文緒の一人きりの日々を綴った日記エッセイ『そして私は一人になった』を再読した。1996年の1月から12月までの日記に加え、文庫化による4年後の2000年4月の日記を読むことができる。現在既に約5年が経過し、いつの間にか山本文緒の作品から離れていたことに気づかされた。だが、手元に残っている本からは離れていない感じがした。不思議と時間の経過を感じなかった。それは、著者がどこにでもあるような日常を描いているからなのか、私自身がこの本に出会った頃から成長していないだけなのか…

 一人暮らしの間もない頃は、家事に対しての意欲がもの凄くあり、「何て家事は楽しいの?」的なニュアンスがたくさん出てくる。離婚前の家事に対する思いはひとつの“義務”でしかなかったのに、自分のためだけの自分に対するものに変わってから変わる。「一人」と「一人じゃない」の違いに驚く。自分だけならば、自分の好きなものを好きな時間に食べることができる。自分の汚したものなら、文句も言わずに片づけられる。一人分も二人分も変わらないなどと格好つけて言わずに、がんがん文句を言ってやってくればよかったのだと少々後悔する著者。けれど、文句は言いたくないから、一人はいいと思う。自分には文句を言わないから。自分には厳しくも優しくも自由にできるのだから。

 一番興味深かったのは、読書に対する著者のこだわり。若い頃はそれ程、小説を書くことも読むことも好きではなかったという著者。今にして思うと、何を読んだらいいのかわからなかったそうである。“自分にとって面白い本”というものになかなか出会えなかったと。1冊、そういう本と出会えれば後は簡単。同じ作者の本を探したり、その作者の勧める本を読んだり、作者が違っても同じジャンルの本を読んだりすると、また好きな作家が見つかる。小説に限らず、ノンフィクションも学術書も同じことである。難しく考えたり、冊数を気にしたりすることはない。読んだ本の中で、何冊心に響く本があったか、一冊でも人生を変えるような本に出会ったのかの方がよっぽど重要なことであると言っている。

 ずっと一人でいると、自分の機嫌をとるのが上手くなる。いつもいつも“何となく楽しいなあ”という気分でいたいのに、世の中を歩いていくと、たくさんの嫌なものが頭の上から降ってくる。でも、くだらないことに悩んでうじうじする時間が勿体ないという著者。体力を使ってでも、お金を使ってでも、著者は自分の“何となく楽しいなあ”を取り戻すことにしていると言う。ちょっとした嫌な出来事が広がる前に、徒歩2分のところにあるスポーツクラブに行ってプールで泳いでみる。その帰りに開店したばかりの花屋に寄って、バーゲンになっていたガーベラを買ってみる。花屋さんと少し話してみる。部屋に戻ってみると、嫌な気持ちはほとんどなくなっている…と、こんな具合に。

 そして、いろんな意味で名言を残している。“私を甘やかすのも私、私を追い詰めるのも私”である。そこは一人のせつなく悲しいところ。特に体が弱っているときは、つらくなるものである。何もする気が起きなくて、ただベッドの中でだらだらしているときは響く。なぜか体調が戻れば、落ち込みも治ってしまったり…私にとっては、心地よく読める1冊である。

4344400194そして私は一人になった (幻冬舎文庫)
山本 文緒
幻冬舎 2000-08

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