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2005.03.24

ちひろ・紫のメッセージ

 落ち込んだときは窓から見える景色よりも、絵や写真を眺めることにしている。自分が置かれている状況を認めたくない私はそうやって、現実から目を背ける。惨めな現実から離れられる手段のひとつが読書でもある。小中学時代から私の手元にずっとあったのは、いわさきちひろさんとおおた慶文さんの水彩画だった。いわさきさんの絵が子どもを中心に書かれているものとすれば、おおた慶文さんの絵は少女から大人の女性へと成長する微妙な年齢の少女たちばかりがモデルとなっている。落ち込んだときに開くいわさきちひろ絵本美術館編『ちひろ・紫のメッセージ』。文庫サイズで水彩の微妙なにじみまではっきりと見ることが出来る上に、絵の解説付き。実際の絵の描き方までも紹介されており、何ともたまらない一冊となっている。

 55歳の若さで亡くなったちひろさんの作品は、7000点に及ぶ作品・資料、こどもの本のイラストレーション600点が1977年9月に開館したちひろ絵本美術館に所蔵されているという。画家によっては特に印象に残る色がある。例えば、シャガールなら青、ユトリロなら白、ゴッホなら黄色が有名であろう。水彩で描かれたいわさきちひろの絵には透明感のある様々な色の調和の中に、ひときわ目立つ印象的な色がある。それは紫である。1972年の作品である「紫の花を髪につけた少女」は一点を見つめる少女の横顔が描かれ、飾られた花の紫だけが浮かび上がるように色をつけている作品である。この絵を手離すとき、「もし、この絵を求められた方が、手離されるようなことがあったら、どうか、わたしに返してくださるように。もとの値段で、引き取らせていただきますから」とちひろさんは頼んだそうである。少し寂しげな、もの思う少女の横顔に、愛情を感じたのだろうか。

 「ももいろをいつごろから好きだったか覚えていない。わたしの持っていたクレヨンももいろが一番小さくなっていた。ももいろの次が藤色、そして淡いみずいろ」と、いわさきちひろさんは、子どもの頃の思い出をこう語っている。この言葉からは、ちひろさんが桃色、藤色、水色という、紫を中心とした赤から青にかけての淡い色相を、幼い頃から好んでいたことがうかがえる。そして、ちひろさんの絵には、ききょう、藤、あやめ、すみれなど色鮮やかな紫の花が登場し、また果物の中でも、ぶどうがしばしば画面に描かれている。特に興味深いのは、モノクロの画面に一色を加える場合、大半は紫を選んでいることである。

 「せっかく塗った色を洗面所でジャージャー洗い落とし、その上にぬり、また洗い流す。ぬるのではなく、色を落とすのが仕事みたいなときもありました」これは「あめのひのおるすばん」を作ったときの言葉。塗り重ねた色を落とすという発想は、ちひろさんの画風を大きく変えることとなった。私がちひろさん作品の中で一番大好きである「傘をさした少女」にはその手法が用いられている。様々な色が塗られては流され、流されては塗られ、そして出来た作品であると知ると、また違った印象を与えてくれるものである。

 この「傘をさした少女」は、世阿弥の幽玄にも通じる世界を思わせ、限りなく薄い桃色や藤色、桔梗色の雨の中に、少女の顔と傘と手が白く浮かび上がっている。画面全体のかすかな色使いは雨に煙るもやを生み、その向こうにいる少女のまっすぐな瞳と微笑みを印象づける。しめやかに降る雨の音以外には何も聞こえない静かな時。透明水彩の特色を生かして絵の具の濃度を最小限に抑え、薄い紫の色調を作ることで、一層豊かな叙情性があふれている。通常では紫では描かれることのない雨や海や空や影などにも、ちひろさんの独特な紫が生きているのである。

 ちひろさんは、なぜ紫を好んだのだろうか。好きだった印象派やローランサン、ボナールの影響もあったのかも知れない。しかし、激情的な赤と沈着冷静な青をあわせ持つ紫の、豊かで複雑な感情と色調に、ちひろさんが共鳴したことは確かである。童女や聖女のイメージの強いちひろさんであるが、古くからの友人は「見かけ以上に複雑で、葛藤を内に秘めたおおきな人だった」と述べている。

4061854747ちひろ・紫のメッセージ―文庫ギャラリー (講談社文庫)
いわさきちひろ絵本美術館
講談社 1993-11

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