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2005.03.03

冷めない紅茶

 “その夜、わたしは初めて死というものについて考えた”こんな文章で始まる小川洋子著『冷めない紅茶』(現在入手できる『完璧な病室』に収録されている)。それまでにも、様々な死が周囲に溢れていたのにもかかわらず…特別に親しかったわけでもない中学時代の同級生の死に対して。10年以上も会っていない同級生の顔も思い出せないままに。その夜、昔と変わらない同級生だったK君と再会する。主人公はサトウと同棲していた。けれど、模範的で平凡で現実的な彼に対して嫌悪感を抱いているのだった。それは、息が詰まるほどのものだった。サトウのいない部屋で、死んだ同級生とK君を交互に思い浮かべてみると、2人も優しい姿をしていた。それは、うっとり気持ちよくしてくれる優しさだった。

 しばらくして、K君の家に招待された主人公。一本道をまっすぐ行けばたどりつけるK君家は、どこかで見たことのあるような不思議な懐かしさを感じさせるものだった。そして、ドアを開けてくれた彼女はにじむように美しかった。お化粧もアクセサリーも付けずに、木綿の白いエプロンをまとっているだけで飾り気がなかった。彼女はK君や主人公の通っていた中学の図書館の司書だったという。彼女が一番美しく見える席をK君はいつも探していたのだった。主人公は懸命に図書館の記憶にK君を重ね合わせてみるが、時間が交差して混乱するばかりだった。K君の家から戻ると、時間の感覚を忘れていた。今何時だから、自分が何をしたいのか、何時までに何をしなければいけないのか、真っ白になっていた。それから、主人公は何度もK君の家へ遊びに出かけるようになった。

 主人公は1冊の本のことを思い出す。中学時代に図書館で借りたままの本のことを。それは「中学生のための世界の文学Ⅳ ドイツ編」という地味な本だった。貸し出しカードの彼女の筆跡、返却日を過ぎていた主人公のもとにかかってきた彼女からの電話のことなどを思い出す。そして、図書館に返しに行く。が、中学校はあまりにも変わり過ぎていて、図書館は近代的になっていた。そして、5年前に火事で本は全て焼けてしまったという。しかも死者が出たらしいと。そして、図書室の窓からK君と彼女の姿を見つける。学生たちは2人が見えないかのように傍で動き回っているし、2人はもろくて淡い背中をしていたのだった。

 再びK君のもとを訪ねたとき、彼女は古本屋で自分が司書をしていた頃の本を探していると知る。もしかしたら、焼け残った「中学生のための世界の文学Ⅳ ドイツ編」を探しているのだろうか…と考える主人公。K君が入れてくれた紅茶は時間が随分経っても、冷めないままだった。帰り道、一本道で帰れたはずなのに見たことがない風景を目にする。こんな坂道があっただろうか?海に通じていただろうか?と。

 主人公は猥雑な生の世界から透明な死の世界へと知らず知らずのうちに引きずりこまれていたのではないだろうか?もしかしたら、死んだ同級生とはK君だったのではないのか?彼女は火事で亡くなった1人なのではないか…と。幻想的な世界のままおわるこの物語は、いろんな想像を膨らませてくれる。けれど、リアルさがほとんどないのだ。でも、そういう書き方をすることでしかこの物語は存在できないのだろうと思う。

 ちなみにこの作品は、芥川賞の候補だったらしい。その翌年に書かれた「妊娠カレンダー」で、見事に芥川賞を受賞している。この本では、「冷めない紅茶」のサトウに焦点を当てて書かれているような気がする。一読あれ。

4163598804はじめての文学 小川洋子
小川 洋子
文藝春秋 2007-06-15

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コメント

学校や付属の図書館に関する記憶は、僕も色々とあります。けれども、その思い出と、今の自分を重ね合わせて懐かしさを感じることは残念ながらないですね。記憶にはなっても思い出になるような経験が少なすぎたのかもしれません。中学生の頃は、あまりに独りよがりで出会いがあったとしても、気付かなかったのだと思います。友達はいたけれど、付き合い方も表層的だったので、中学校の頃の友達で今も友達を続けている人はいません。だから、こういう話を聞くと、なんだか自分がひどく損して生きてきたような気になります。人は死ぬ間際に走馬灯のようなものを見るといいますが、その真実如何はさておいて、思い出によって人はつくられるところがあるのではないかと思います。これからは出来るだけいい思い出をつくっていきたいです。

投稿: るる | 2005.03.05 05:37

私も中学時代の友人とは、ほとんど関わりを持っていません。中高一貫校だったので6年間も一緒に過ごしたというのに…ときどきばったり会ってしまうことやアナウンサーとなった当時の友人をTVで見かけることはあるのですが。手紙をもらったり電話で話したりというのはあるものの、適当にその場限りにしてしまうことが多いです。今考えると、当時はかなり恥ずかしい思い出ばかりだったので(若かっただけに)、しょうがないのですが…同窓会なんてとんでもないです。

でも、図書館に対する思い出はかなりたくさんあります。昼休みは必ず図書館へ行っていたし(たくさん本を借りて読んだ人として記念品をもらったほど)、司書の方に顔と名前を覚えてもらって色々話したことなどなど。大学時代も図書館の静けさと独特の匂いや雰囲気が好きでした。「一人になれる場所」というイメージなので、残念ながら友人と重ね合わせることが出来る思い出は私もないですね…

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.03.05 12:15

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