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2005.03.13

熊の敷石

IMG_0059tokigure 2001年の芥川賞受賞作である堀江敏幸著『熊の敷石』を読んだ。初めて読む作者なので、少々ドキドキしたのだが大好きな作家である川上弘美さんの解説を読んでから、心を静めて読むことに集中した。舞台となるのはフランスのパリ、ノルマンディーなどか?地理が全くダメな私には、出てくる地名や場所がさっぱりわからなかった(ちなみにカタカナも苦手だと思われる)。登場人物たちがフランス語で話していることだけはわかるのだが…ル・モンマルトルとか、サンジェルマン・デプレくらいしかわからない。でも、この小説には残念ながら登場しない。主人公は仕事でパリに滞在している日本人で、作家活動や翻訳を仕事にしているらしく、ちょっと空いた時間ができたので学生時代からの友人・ヤンに会うのである。

 偶然にも主人公が抱えている仕事に関係する場所を巡ることになる。ヤンの母方の祖母はポーランド人、祖父はロシア人。ユダヤ人街を以前案内されたことがあった。主人公はヤン曰く「受け身がうまい」人柄で、なんとなく歴史の残るような場所に連れて行ったり、そういう話をしたくなったりするのだとか。現に主人公は他人と交わるとき、その人物と「なんとなく」という感覚に基づく相互の理解が得られるか否かを判断していた。だから、長く付き合いのある人物と共有しているのは、社会的な地位や利害関係とは縁のないものであり、国籍や年齢や性別には収まらない理解の基成り立っていた。だから、そうした理解の火はふいに現れ、持続するときは持続し、消えるときは消える。「なんとなく」の一語は、発する人によって違うのだけれど…

 収容所を知っている世代とそうでない世代では、何かが変わる。そこには、決定的な線引きがあり、死ぬまでドイツ政府から暮らすには十分な額の賠償金をもらっていた祖母はその記憶から逃れられるはずなどなかったのに、何も大事なことは言わなかった。ヤンは、ポーランド時代の事を知りたかったと言う。この手の話はヨーロッパには様々なところで転がっているという。センプルンは、収容所時代のことを語った数少ない人物であり、そこでは職業は何かと問われた。哲学の徒であるとの答えに、学生は仕事ではないと言われる。だが、血気盛んな若者は、自分は哲学の学生であって他の何者でもないと主張し、空欄にはStudentと記されたとか。収容所跡の博物館には囚人カードが残されており、そこには学生の<Student>ではなく、漆喰工を意味する<Stuckateur>という単語があり、頭3文字が共通する都合のいい単語を一瞥のなかで読み誤っていたのだった。そのおかげで、センプルンは死を意味するような過酷な労働を課す選別をまぬがれ、熟練工と見なされたのだった。ヤンは、祖母が生き残ったのは、そんな魔法の一語が関わっているのではないかと思っていた。

 ヤンの中には悲しいという感情があった。両親共に、外へ出ようとしない、自分の町から移動しようとしない、ヤンがあちこち渡り歩いていることに理解がないこと。なぜ閉じこもるのか?なぜ外の世界がないものとみなして隠れるのかがヤンには疑問だった。逃げる機会はいくらでもあったはずなのにアンネの父は住処を決めて居残った。冷静に考えれば逃げるしかない唯一無二の機会を逸したのだと。それと似た光景をボスニアで見たとも言う。第二次世界大戦の頃に、ヤンの一族に起きたことが、繰り返されていることにめまいを覚えたと。

 主人公は、話す必要のないことを「なんとなく」相手に話させて、傷をあれこれさらけ出させるような輩は、素知らぬ顔の冷淡な他人よりも危険な存在なのでは…と考える。ヤンにとって、こちらの存在が鬱陶しさや不快感を催させているわけではないだろうと思うものの、あれこれと思い返してみれば、「なんとなく」胸につかえるような話題ばかり話してきたことに気づくのだった。と、いうことはカウンセリングなんて、ものすごく危険極まりないものなのではないのか?と思う私だった。一応、カウンセラーになるべくして資格も取ったのに…自分に矛盾を感じる。

4062739585熊の敷石 (講談社文庫)
堀江 敏幸
講談社 2004-02

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コメント

ましろさん、こんにちは~。
今度はこちらからトラックバックさせていただきました。
どうぞよろしくお願いします。

ところで地理に弱いの同じです~。
夫はわりと地理に詳しい方なので、時々「そんなの知らないのー?」みたいな顔されます。
情けな~い。(涙)

投稿: ゆら | 2005.03.13 20:47

ゆらさん、こんばんは。
トラックバック&コメント、どうもありがとうございます!
地理、苦手なの一緒ですね…ふふっ。ゆらさんの記事を読んで、読んでみようって思ったんですよぉー★何か、堅苦しい文章しか浮かばなくて…寓話についても触れるべきデシタ。迷っていたのですが、私もトラックバックさせていただきたいです。

投稿: ましろ(ゆらさんへ) | 2005.03.13 22:41

 ちょっと本題からそれますが、昔大学の教養科目かなんかで心理学の授業をとってた時に、教授が「無責任なアドバイスしかできないなら、最初からアドバイスするな」ときつく言ってた思い出があります。それだけカウンセラーには責任が求められるっていうことですよね。僕はカウンセラーではないですが、相談もちかけられることも結構あるので、注意せねばと思います。

投稿: るる | 2005.03.17 01:47

るるさん、コメントありがとうございます!
アドバイスとカウンセリングは根本が違うと私は思っています。カウンセラーは、あくまでも“話を聞く”という姿勢が基本ではないでしょうか。ですが、聞きっぱなしでは痛みが広がるだけ。その痛みを受け止められるように導くことがカウンセラーの手腕にかかっているように感じます。導くといっても、具体的にアドバイスをするわけではありませんが…だから、相談をもちかけられたとき、ただその声に耳を傾けただけで何らかの手助けになるのではないかと思います。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.03.17 18:52

言われてみれば確かにカウンセリングについてではなかったですね。他学部聴講というかたちで履修してた教育心理学の授業でだったので、教員を目指してる人に向にむけて言ってたのかもしません。記憶があやふやですみません

投稿: るる | 2005.03.17 21:45

いえいえ、多分私の記事の曖昧さもあったのだと思います。最後の最後でカウンセラーなんて言葉を出してしまったから。ごめんなさい!
教育心理学では、心理学の基礎を一通り学んだのではないでしょうか。私が教育心理学の授業で使っていた教科書は『教職に活かす教育心理』というもので、教職を取る人も大勢一緒でしたよ。カウンセリングについてはあまり深くは入り込まなかったのでは…と記憶しています。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.03.17 22:32

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熊の敷石 セピア調の写真を使った表紙に、「堀江敏幸の文章は、いろっぽいのだ。−川上弘美(「解説」より)」の帯。それを書店で見たとき、うわっ、コレ読みたい!... [続きを読む]

受信: 2005.03.13 20:41

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