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2005.02.06

世界の終わりという名の雑貨店

 “乙女のカリスマが懸命につむいだ魂の恋物語”と帯に書かれた嶽本野ばら著「ミシン」に収録されている映画化もされた『世界の終わりという名の雑貨店』は、何度読んでも泣きそうになる。この世があまりにも汚れているような、絶望が渦を巻いて溢れているような、生きていることがもどかしいような…そんな気持ちが湧き上がってくる。自分の仕事が嫌になり世の中に背を向けた主人公の男性と世界の隅にしか存在する権利を持たなかった少女の物語である。

 ビルのオーナーに勧められるままに「世界の終わり」という名の雑貨店を始めた主人公の男性。雑貨店を始めて1年くらいした頃、全身をVivienne Westwoodでまとった少女が毎日のようにお店に来るようになる。人を寄せ付けないような雰囲気の店に、少女はしっくり合っていた。そして、少女は50円の紙石鹸を毎回1枚買ってゆく。平日は殆ど誰も来ない店にとって、少女の存在はいつの間にか必要なもの、あるべきものとなっていた。開店時間から閉店時間まで、少女がお店にいることも多くなっていった。お店の中で寝てしまったときは、申し訳ないのか2枚の紙石鹸を買っていくのだった。少女の顔には、右半分の頬から首筋にかけて大きな黒い痣があり、少女の顔が整っていれば整っている程、抜けるような白い肌であればある程、痣は際立って映るのだった。

 けれど、ビルのオーナーの死に伴い、主人公は立ち退きを命じられることとなってしまう。自分と少女は同じもの、同じ魂を持つものだと確信した主人公の男性の口から少女に向けて発せられた言葉は“逃避行”であった。高貴な魂を有するが故に、卑屈になるしか術を持たなかった少女。全てをずっと諦めていた少女は、生まれて初めて満たされた思いを抱くのだった。結ばれるべくして結ばれた2つの魂。切な過ぎる2人の行方。ほんの少しのほんのわずかなぬくもりや希望の光を、果たして誰が奪えるというのだろうか。

 この小説の結末はあまりにも悲しく重たいものである。自分を罰することでしか生きる意味を見出せなかった少女。同じ魂を持ったとしても救いきれぬその孤独を、主人公はどうすればよかったのだろうか…。本当に大切なことを人はなぜ喪失の後のにしか気付けないのだろう。少女がそれ程までに追い詰められ、苦痛を味わう必要があったのだろうか。主人公は少女の傍にどうしてもっといようとしなかったのか。痛い。あまりにも痛い。しかし、一瞬でも2つの魂が重なったことは奇跡である。少女よりも長く生きている私はまだ出会っていないのだから。出会っていたとしたら、その存在に気付けなかったのだから。少女はある意味、幸せだったとも考えることが出来る。そう、幸せだ。この結末は、もしかしたら少女の望んだとおりだったのかもしれないのだ。

4093860629ミシン
嶽本 野ばら
小学館 2000-10

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33 嶽本野ばらの本」カテゴリの記事

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コメント

 魂の異邦人性について考えることがあります。この世は根源的に瑕疵を抱えているけれど、そう認識できるのは、魂の本来のありかは、この世ではないどこか遠いところにあるからだ。肉体は、この世の物質で出来ているのだけど、魂を作り出したのは、この世ではないどこか遠い世界のものだという神話です。
 この世に存在するものは、どんなに完璧に見えても少女に首筋の染みのような欠陥が、どこかに存在し、そして、その欠陥がなくなったときには、人はもはやこの世に生きることが出来なくなるのかもしれません。死んで始めて完結した世界へと移行できる。
 成熟するということは、ひょっとしたら、この世という欠陥住宅に住むことを受け入れることなのかもしれませんね。欠陥を笑い飛ばしてしまえるような勇気が欲しいと思います。
 

投稿: るる | 2005.02.08 00:04

るるさん、コメントありがとうです。
毎回読んでくれて嬉しくありがたく思っております。“成熟するということは、この世という欠陥住宅に住むことを受け入れることなのかもしれませんね”という言葉、心にじーんと響きました。私はもう年頃だというのに、いまだ乙女心というか、少女のままの部分を抱えています。だからこそ、あまりにも感情的に小説の世界へ現実逃避してしまうのかもしれません。大人になりきれない自分がもどかしいです。

でも、欠陥を笑い飛ばすことって、かなり難しいことではないですか?今の私には無理でしょうねぇ…うーん…嶽本野ばら氏の描く物語はみんなどこか闇を抱えているような孤独にあるいは孤高に生きる主人公たちが登場します。はっきり言ってしまえば、どの本を読んでも痛いです。息苦しいです。今自分が生きていることについて考え込んでしまいます。でも、好きなんです。不思議と…映画化され大ヒットの「下妻物語」以外は全て好きです。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.02.08 00:45

 欠陥を笑い飛ばすことは難しいです。僕自身も器用に欠陥を笑い飛ばせるタイプの人間ではありません。欠陥を笑い飛ばしてしまえるような勇気があればな~とはおもうのですが。無責任な発言してすいません。
 孤高に生きるというのは、難しい。say spade is
spade(スペードはスペードだと言え)ということわざがありますが、白は白、黒は黒だとあまりにはっきりと認識して生きようとするとすると、軟弱者の僕なんかはすぐにイカレてきます。だから、普段は濃いピンク色かオレンジ色のアイウェアーなんかをして、「みんな灰色にみえる~」とかのたまいながら生きております。

投稿: るる | 2005.02.09 02:56

るるさん、決して無責任な発言ではないですよ。とっても参考になりましたし、色々と考えるよいきっかけになりました。ありがとうございます。

以前、私は「孤高に生きること」を目標にしていた頃がありました。それはとても孤独でしたが、自分が強くなった気がしていたんです。誰の助けも借りずに一人で生きられる人間になろうと決意していました。でも、人は一人では生きられないものだと今は思っています。自分が壊れていることを認めることは、これまでの自分の生き方を全否定するようで苦しく辛いものでしたが、人間として成長する上で、乗り越えなくてはいけない壁だったのだと思っています。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.02.09 15:26

嶽本さんの本の感想と言うと、難しいですね。
この本の終わり方、すごいと思いました。
文章がやっぱり好きです。トラックバックさせて頂きます。

投稿: 早乙女 | 2005.12.10 22:02

早乙女さん、コメント&トラックバックありがとうございます!
ホント難しいですよね。
~です。~ました調は苦手なのですが、野ばらちゃんは別格だったりします。
これを初めて読んだときの衝撃を思い出して、ちょっとゾクッとしちゃいました。

投稿: ましろ(早乙女さんへ) | 2005.12.11 14:14

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