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2005.01.31

センセイの鞄

 「先生」でもなく、「せんせい」でもなく、カタカナで「センセイ」と高校時代の恩師を呼ぶツキコ。十数年ぶりに飲み屋で隣り合わせて以来、センセイとツキコの奇妙でせつなくゆったりとした日々が始まった。谷崎潤一郎賞受賞の川上弘美著『センセイの鞄』である。野球のことで小さな子どものようにケンカしてみたり、一緒にキノコ狩りに出かけてみたり、島へと旅をしたり…2人のやりとりが何とも愛おしく思われる。時間軸がないような不思議な揺れを感じる作品であった。

 ツキコはセンセイらとキノコ狩りに行った際に、センセイがどこかに行ってしまうのではないかと不安になって「センセイ」と呼びかける。ふとした瞬間に昔のことを思い出して涙を流し、流しの前で立ったまま、食べたり泣いたり忙しくするツキコ。その後、外へ出て座り込んでしくしく泣きたくなるのを我慢して40にもなるのに子どもに戻ってしまうツキコ。そして、どうしてよいのかわからずにやっぱり「センセイ」とつぶやく。センセイ、帰り道がわかりません…と。

 センセイの言葉はとても奥ゆかしくて暖かいものが多い。キノコ汁については、「えもいわれぬ、馥郁(ふくいく)たる香ですな」とコメントする。辞書で調べると、馥郁とは、よいにおいのするさまのことであった。さすが、元国語のセンセイである。様々なキノコが混ざったキノコ汁はさぞかしおいしい物なのでは…などと想像し、キノコ狩りっていうのは物凄く楽しいコトなのではないだろうかなんて、私の妄想は加速していってしまった。そして、センセイの語る妻だった人とのエピソードもなかなかよいもので、ほろりときてしまった。「人が生きていくことって、誰かに迷惑をかけることなのね」というそんな名言を残したセンセイの妻。そんな妻を「気儘で勝手で気分屋で」と同じ意味の言葉を並べて言うセンセイ。「ケイタイではなくて、携帯電話と言いましょう」とか「デートをいたしましょう」とかも好きだ。先生嫌いの私でも、つい「はい」と言ってしまいそうになる。

 それから、ツキコの母とツキコのエピソードも印象深い。母との会話が途切れてしまい、何を話していいのか、突然わからなくなり、“近いはずなのに、近いがゆえに届かなかった”とツキコが思うのである。自分と母とは似た質だと感じながらもうまく喋ることができないもどかしい関係…。あぁ、あるなぁなどと、うんうん頷いてしまった私。母と娘の関係は深いがゆえに難しかったり、すれ違ったりしてしまう。言葉にしなくてもわかってしまうことも多いが、口に出さなければ伝わらないことも多いものだから…。この微妙さが問題。いや、大問題かもしれない。

 ツキコがセンセイに背を向けて「くそじじい」とつぶやく場面がある。今までだってずっと一人だったんだから。一人で酒を飲み一人で酔っぱらい一人で愉しんできたんだから。どうせわたしの人生なんて、こんなものだと。その後、センセイと会わないように生活し始めたツキコは、本当に今まで一人で「楽しく」など生きてきたのか、自問自答する。一体私は、どんなふうに生きてきたんだっけと。気づけば、私も一緒に考えていた。私の生きてきた道はどうだったかと(そんなことばっかり考えるから読むペースが遅くなるのだ。かなりの自己中な人間ではないか)…

 “センセイと再会してから2年。センセイの言うところの「正式なおつきあい」を始めてからは、3年。”そう、さらっと後半に書かれた文章がなぜか一番せつなくて、ひどく痛かった。

4167631032センセイの鞄 (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋 2004-09-03

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コメント

 家の実家は田舎の方なので、昔父に連れられて、キノコ狩りによく出かけました。木の中を歩くってのは、足腰が疲れるのはもとより、眼が物凄く疲れるものです。そいで、すぐに人の姿を見失ってしまう。キノコ汁は、地方によって作り方が異なると思いますが、良い香りがしますよ。懐かしいですね~。父との思い出の山ですが、バブルに乗ってゴルフ場に変化を遂げ、その運営母体の会社の倒産に従って、現在えらいことになってます。時の経過というのは容赦がないものだと思います。
 ところで、僕の母と祖母はもともと教員だったので、昔は「センセイ」と呼ばれていました。毎年正月になると母のもとに沢山の年賀状が来ていたのですが、退職してからはやはり減り続けているそうです。しかしながら、年賀状の中の母は退職して何年も経つのに相変わらず、「センセイ」と呼ばれ続けています。結婚してすでに子供もいるかつての生徒に「センセイ」と呼ばれ続けている存在は実に奇妙です。まるで、そこだけ時間が止まって取り残されてしまったような感じがします。ある意味そういう関係が幸せなのかもしれませんね。
 
 それから、メルアドいい加減なやつ入れててすいません。なおしておきましたので、何かありましたら、そちらにメールしてください。
 

投稿: るる | 2005.02.03 06:51

るるさん、コメントありがとうございます。
キノコ狩りに思い出があるのですね…キノコ汁の匂いを知っているなんて羨ましいです。が、山がゴルフ場に?えらいことに?えーーーっ!!!大丈夫なのでしょうか?

私の実家も田舎なので、祖父が生きていた頃は山で山菜を見つけたり、タケノコ掘りをしたり、湧き水のそばで昼食を食べたりした思い出があります。キノコは近くの竹藪にて栽培していましたから、自然のキノコ狩りの経験はないのですが…

ちなみに私の母も元先生です。と言ってる私も元先生だったりします。でも、私にとっての恩師と呼べる先生はいないんですよ。ある意味不良というか問題児だったので、反発ばかりしていましたから…それなのに自分が先生と呼ばれることになるとは、驚きです。どんな教え子でも可愛いものですよ。と、いうことは私も可愛い教え子の一人になっているのでしょうか…でも、当時が恥ずかしくて同窓会に出席できない私です。

投稿: ましろ(るるさんへ) | 2005.02.03 14:38

はじめまして、小説家志望でちょくちょく創作をしてます。
川上さんの作品はまだ2冊しか読んでませんが、「センセイの鞄」を読んで制覇したくなりました。過去に小泉今日子と柄本明でドラマ化されたようですね。
わたしは、父も母も元教師で現在姉が教師をやってます。
センセイのような恩師いいですね。でも恋愛関係に実際になれるかなぁと考えてしまいます。

投稿: 早乙女 | 2005.06.06 19:01

早乙女さん、コメント&トラックバックりがとうございます。
「センセイの鞄」、とってもいいですよね。早乙女さんは、どうやら先生に縁のある方なのですね。何だか考え深いです。
川上弘美さんの作品は、「いとしい」というかなり風変わりな作品から読み始めたので、このお話は読みやすかったように思います。私も制覇しなくては。

投稿: ましろ(早乙女さんへ) | 2005.06.06 21:08

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» センセイの鞄  川上弘美(文春文庫) [作家志望の日々]
 初めて川上弘美の作品を手に取った。本屋ではパラパラとめくっていたが、何となくファンタジーを書く人だと先入観を持っていて、なかなか購入できなかった。そういえば芥川賞をもらっていたんだと思い、踏ん切りをつけた。  月子さんと高校時代の国語の恩師センセイ(松本春綱)の話。年の差は30ぐらい。はじめから恋愛を表に出さずに、2人がいつも会う場所居酒屋が小説の中心舞台という設定には参ってしまった。そし... [続きを読む]

受信: 2005.06.06 18:41

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