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2005.01.29

密やかな結晶

 広がってゆく空白の海の上に存在することのできない孤立した島での話を描いた小川洋子著「密やかな結晶」。島からは次から次へと何かが消滅し、その消滅した物たちは、島の人の心からも消えていってしまう。何らかの消滅にともない職を失っても、島の人々は次の職に、たいした混乱もなく慣れてゆく…人々はいとも簡単にいろいろなことを忘れることができた。従わなければ、秘密警察に目をつけられ、隠れ家から探し出されて、ナチスのような収容所に収録されるらしい。記憶を失わない人間たちは、記憶狩りに合う。秘密警察では、遺伝子から記憶を失わない人を見つけだしていたのだった。

 主人公の亡くなった彫刻家の母は、記憶を失わない人間であった。秘密警察に連れられた母は、変わり果てた姿で帰ってきた。母は地下室の古いタンスに島から消えた物を収集していた。その後すぐに野鳥の研究家である父が亡くなった。主人公は一人で何かをなくす内容の小説を書く作家となった。この島では、本がほとんど読まれることがなく、出来上がった作品を読んでくれる人は周囲にはいなかった。唯一の理解者である編集者R氏だけが、主人公の救いのような気がした。

 あるとき、島から鳥が消えた。秘密警察は主人公の亡くなった父親の残した資料や研究などの内容が「鳥」について書かれていれば、それは処分対象になるのであった。無言で、目つきが鋭く、無駄な動きの一切ない男たちは、あっという間に父との思い出の品までも奪っていってしまった。

 主人公が書いている物語は、声をなくしたタイピストの女性とタイプ学校の教師との恋愛の話であった。タイプライターが壊れてから、彼とのコミュニケーション手段を失い、彼に誘われるままタイプ教室の上の壊れた山積みのタイプライターのある時計塔に閉じこめられてしまう。彼の思う通りに扱われる女性。食事も作って運んでくれる。どんな服装をするのかも彼の言うままである。そして、タイプライターに彼女はどんどん閉じこめられていく。

 偶然か運命か、記憶の消えることのない編集者R氏をかくまうことを決めた主人公。父の書斎だった2階の床と1階の天井のすきまのスペースにR氏は住むことになった。古くからの付き合いのおじいさんの協力のもと。彼女の書いている小説のようにR氏は、彼女にある意味、小説の中のように閉じこめられている。

 物語と主人公の書く小説が重なってくる…そして、ついに小説が島から消えることになってしまうのである。果たして物語の結末は?ぜひ読んで確かめて欲しい。

4062645696密やかな結晶 (講談社文庫)
小川 洋子
講談社 1999-08

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コメント

「鳥」が何を意味するのか

前に村上春樹とユング心理学についてコメントさせてもらったのだけど、村上春樹の前作『海辺のカフカ』はましろさんは読んでるのかな?作品中に「鳥」が出てきていて、それが何か重要な役割を果たしているように感じていたのだけど、何故鳥なのか以前から気になっています。そして、スティーブン・キングの作品に『ダーク・ハーフ』というのがあるのだけど、この作品にも「鳥」が何かのメッセージを伝える重要な役割として登場しています。これらの二作品は両者とも、自分が生きられなかった半面というか、ありえたかもしれないもう一人の自分の可能性が暗躍するという意味で共通するところがあると思うのだけど、何故「鳥」と結びつくんだろう。この書評読んでふと思い出したのだけど、ましろさんは分かります?

投稿: るる | 2005.01.30 01:23

るるさん、コメントありがとうございます。
「鳥」はそれぞれ作者によって意図するとこが違う気がします。読み手側に委ねられ過ぎてしまうこともありますし…解釈は非常にムツカシイですね。
古い映画ですが、ニコラス・ケイジの出ている「バーディ」では、鳥になることを夢見る少年が出てきます。あまりにも執着し過ぎて精神病棟送りになってしまうのですが、自由になりたいとか、心の闇を鳥になりきること(自分は飛べるのだという気持ち)で鬱々とした気持ちを昇華させていたところがあるのでは…と思いました。でも、この「密やかな結晶」では、あまり鳥については重要ではないんですけどね…様々なものが消えていく、そして多くの人がかつてあったモノの存在自体を忘れてしまうんです。島からは次々といろんなモノが消えてゆく…その先にあるものが、恐いんです。
そして、ある意味拘束しなければ愛を感じられないことに、屈折した一筋縄ではいかないものを感じました。束縛的なこういう恋愛はしてみたいものです。小川作品の長編なら、これがオススメです。

投稿: ましろ | 2005.01.30 02:23

 異なる作者の作品を同じ文脈で捉えようとすること自体、確かに無理があるのかもしれません。
 でも、「鳥」ってやっぱり自由とかそういう言葉と結びつくのでしょうね~。
 拘束的な恋愛ってどんな感じなんでしょう。『拘束』『恋愛』という言葉からは、スティーブン・キングの『ミザリー』を連想してしまう。あれは明らかに行き過ぎでしょうけれどもW
 ある種の伝統芸能なんかでは、型にはまることによって自由を得るのだと言われます。拘束的な恋愛というのもそんな感じなんでしょうかね?
 

投稿: るる | 2005.01.30 22:03

私の思う拘束的な恋愛は、愛する人をある意味で支配するようなその人のある部分を不自由にしてしまうような…そんな感じではないでしょうか。小川作品では、わりとそういう恋愛が描かれているような気がします。不思議と自由が奪われることに対して、不快感や束縛感はないんですよ。もいかしたら、どんな恋愛においても愛する人のためなら何でもしてしまうような感情はあるのかもしれませんね。

投稿: ましろ | 2005.01.30 23:34

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» 『密やかな結晶』 [FinderViews]
 小川洋子著『密やかな結晶』。なんて美しい響きの題名なのだろうと思う。「ひそやかなけっしょう」。ささやくような、やわらかな音だけから成るフレーズ。まるで、その音自体が何かの「密やかな結晶」であるかのようだ。  消滅と喪失の物語。だけど悲愴感はなく、鬱屈しているわけでもない。むしろ題名同様、静謐で、物語全体に満ちている透明感のようなものが心地よい。ひんやりとした感触がする小説。(まだ半分しか読んでないけど)...... [続きを読む]

受信: 2005.04.24 17:43

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