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2004.11.13

火垂(ほたる)

 この本とは、3年前に出会った。「痛みをわかちあいたい。お互いに欠けた部分をえぐりあって確かめあいたい」「救いは、同じ痛みを持つ人の中に、必ず存在する」という帯の文章に物凄く惹かれた。買ったものの、読まずに3年が過ぎた。その間に、著者の河瀬直美は映画を作り、NHKの「ETV特集」で取り上げられた。かろうじて、TVだけはチェックしたが、その頃の私の泥沼生活には全く余裕がなかった。数日前まで、この本のことを忘れていたくらいである。本棚を整理していたら、ふと手にとってぱらぱらとめくりたくなった。

 河瀬直美著「火垂(ほたる)」は、生まれながらにして「孤独」を抱えるストリッパーのあやこ、あやこを迎え入れてくれた先輩ストリッパーのねえさん、あやこと出会うべくして出会う陶芸家の大司。彼らはみんな「孤独」であった。家族もなく、1人の世界で生きていた…

 あやこの視点で物語は進む。あまりの孤独感に時の流れにさからって生き続けなければならないことについて自分を壊してしまいたくなるあやこ。自分のこともろくにできない人間に相手に頼ることなんてしてはいけない…自分には他人の人生を背負うほどの強さはない。優しさという名の真の強さを持っていないのだから。そう、あやこは自分を責める。

 あやこは30年近い人生の中で、自分の命について考える。必要のない命、孤独な魂を認められたい生、誰かを必要とする心、いつもあやこは自分の命のあり方を問い、苦悩していた。父、母、祖母をはじめ、自分の中に宿った命を葬った瞬間もあやこは自分というもののそれを思った。壊してしまいたい衝動にまかせ、自傷行為を繰り返し、そうすることで初めて自分の存在を確認してきたのである。それは、あやこが他人を信用していないことの表れだった。

 私は人の愛を信じていない。
 私は愛を知らない人間なのだ。

 そして気づく、別れは別れとしてそこにあり、出会いも出会いとしてそこにあるのだと。“生”と“死”のはざまに愛が存在する。愛はもうすでにそこにあったのだと。心からこれまでの自分の生き方の愚かさを悔い、これが愛を知らない愚かさ、私という存在の愚かさであると。愚かさを認めたあやこに強さが宿った瞬間であった。

 一番印象に残った言葉がある。それは、「1人で生きられない人間がどうして2人で生きてゆけるだろう」という一節である。この本は私にとって、いつまでも心に残る本になるであろう。

4344000730火垂(ほたる)
河瀬 直美
幻冬舎 2001-04

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