17 桐野夏生の本

2007.05.04

I’m sorry, mama. アイム ソーリー、ママ

20061207_006_1 戻れない行先を、彷徨いながら進み、すべての扉を閉ざされて、卑屈に生きざるを得なかった人がいる。たった一人きりで。想いのすべてを押しこめて。彼女に罪の意識はない。次々にさらっと人を殺める。どこまでも残酷に。どこまでも冷血に。孤独の中にすとんといる。桐野夏生著『I’m sorry, mama.』(集英社)は、そんな主人公、アイ子をめぐる物語である。とある夫婦の焼死事件。その背後にある、アイ子の存在。盗み、殺人、逃亡を繰り返す彼女を、見逃せなくなる展開だ。アイ子の出生の秘密、それを読み手が知るとき、じわっと熱いものが込み上げ、タイトルのあまりにも悲しい響きに、言葉をなくすかもしれない。なんだか無性に、この世界を憎みたくもなった、わたしだ。

 この物語の中で気になったのは、アイ子の視点で描かれながら、その思考が極端に少ないところだ。始終、何をするにも直感を頼りにしている印象が残る。そのため、アイ子という女性を、どこか非人間的にしてゆくのだ。だから、他に登場する人物たちの(ある意味で人間的な)熱っぽさがかえって目立ち、アイ子の冷酷さをさらに強く印象づける。もちろん、周囲の人々が善人だとは言い難いのだが、細かなところに注目してゆくと、人間誰しもどこか悪の部分を持っている、と言える。そう、わたしも自分で気づかないところで、悪を吐き出しているかもしれないのだ。そんなふうに考えてゆくと、人間という生き物そのものが、恐ろしいものだと思えてくるのだった。

 ここのところ、著者の本を続けて読んでいるわたしだけれど(これで4冊つづいている!)、読まず嫌いの作品は多数ある。気が向いたときに、さあっ、と読んでみると、思い込みだったのだ…と身に染みる思いが疼いてくるから不思議だ。今の自分が何を求めているか知ることで、気の合う本と出会えたり、いろんな自分自身を知れたり、その他未知なることを知れたり、様々な効果がある気がする。たまには毛色を変えて、ただただ読書に耽るのもいい気分転換かもしれない。今後はもっと素直な心持ちで、苦手なものを克服してゆきたいと思っている。定期的に訪れる、読めない日々が明日にでもくるかも知れないが。今時点のわたしは、読む気満々でいる。

4087747298I’m sorry,mama.
桐野 夏生
集英社 2004-11

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2007.05.03

残虐記

20061119_002 想像と嘘と真実が絡み合って、誰かに刃が向けられる。真実を打ち消すように、想像力を絞り出し、上手に嘘を散りばめて。何が本当で、何が嘘なのか。誰が正しいのか。そもそも、すべての人々が間違っているのか。混乱しながら読んだ、桐野夏生著『残虐記』(新潮社)は、わたしをじりじりと否定するような作品である。何が残虐かと考えてみれば、その刃はつうっと胸を刺されたようで、ひどく息苦しいし、真実が見えなくて、さらに心が痛みを増して、手探りでほんの僅かの正しさを見つけなければならない。何もかもが間違いに染め変えられても。正しさが、ときに人を傷つけることも承知の上で。わたしは混乱を強めて、わからない、何もわからない…そう繰り返すばかりだ。

 物語は、失踪してしまった女性作家が残した原稿を中心に紡がれている。原稿に描かれていたのは、かつて世間を騒がせた少女誘拐・監禁事件の被害者が作家自身であるというもの。出所したばかりの犯人からの手紙は、幼かった少女がずっと隠していた真実をも語っていた。僅か数年で少女を成熟させ、あっという間に一人の女にした事件。それに翻弄されていた被害者自身。そうして、封印してきた記憶の数々は、想像力を逞しくし、手記をフィクションにもしてしまったのである。一人の人間、いや多くの人間の人生を変えてしまうほどの、残酷でグロテスクな物語へと。だが、誰よりも残虐なのは、きっと読み手であるわたしたちと、この作品を書いた著者自身であるように思えた。

 そんなことを綴りつつ、わたしはこの作品が嫌いではない。どちらかというと、好きである。かといって、残酷な話が大好きというほどでもないが…。この作品のテーマとしたら、事件の真相を暴くということではなく、世の中やマスコミが被害者にとってどれほど酷な存在であるか、であるように感じられたゆえ。大雑把に言うと、たった一人の被害者が対峙する数を、数えることができるとしたら、ほとんどの人々が罪を償う必要があること。こうして、この作品を手に取り、ここに紡いだ文章そのものが、きっと罪なのである。でも、敢えて紡ぐとしたら、わたしは痛みを想像して、過去を暴くべく自分自身に問いかけて、大事な何かを手放さなくちゃいけない、と思うのだった。

4101306354残虐記 (新潮文庫 き 21-5)
桐野 夏生
新潮社 2007-07

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2007.05.02

冒険の国

20070413_007 かつて強く結ばれたはずの絆。こびりついた記憶。それらは、どれほどの月日が経とうとも、時代が変化しようとも、いつまでもどこまでも、人を悩ませる。そうやって時の流れから取り残された人々の、鮮明なる記憶が病巣のように広がって、心の奥底までも侵食してしまう。桐野夏生著『冒険の国』(新潮文庫)は、一人の死をきっかけに、永遠なる空白を抱えたまま、時をなくしたかのように生きている人々が描かれている。誰もその死に触れないまま、触れられないまま。物語の舞台は、ディズニーランドが建設されたばかりの街で、急速に発展してゆくことに心乱される昔から暮らす人々と、新しく街に住まいを求めてきた人々との微妙な立場の違いを描いている。

 いつからか、互いのことを意識していた、姉妹と兄弟。姉と兄、妹と弟はそれぞれ同級生同士で、とりわけ弟の英二と妹の美浜は、双子のように深い絆で結ばれていたはずだった。だが、英二は突然自殺し、その死をめぐって周囲では身勝手な噂が飛び交い、半ば逃げるようにして美浜は街を離れることになる。やがて、美浜は生まれ育った街に帰ってくるものの、街は変わり果てた姿をしていた。そんな頃、英二の兄である、恵一と再会となる。過去の出来事に囚われながら生きる人々と、最先端を生きる人々と街。その境界で痛々しいまでに人間の内面をえぐり、癒えることをしらない疼きが、読み手を掴んで離さない。また、マンション内での人間関係もなかなか深く現実的である。

 そういう、人間関係において、“あなたがたの楽しみは同時に他人の苦しみなのです…”という文章が出てくる。美浜の家族が住む、すぐ上の階の住人が誰かから受け取ったメモの一部である。マンション内で他の住人から浮いている美浜とその家族たち(30過ぎた大人の4人暮らし)は、小さな子どもを抱える夫婦たちばかりのマンションでは、異質だ。そのせいなのか、なかなか子どもができない上の住人は、周囲からの視線に怯えていたのだった。また、美浜の働いている会社のテナントの住人や、大家との関係性にも振り回されて、人間関係の渦に呑まれてゆく美浜である。その一方で、マイペースに暮らす美浜の両親。誰かの楽しみは、本当に誰かの苦しみなのだろうか。さてはて。

410130632X冒険の国 (新潮文庫)
桐野 夏生
新潮社 2005-09

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2007.04.30

アンボス・ムンドス

20070109_021 東と西、表と裏、右と左、男と女。そして、天国と地獄。この世界にあるという、相反する無数の新旧ふたつの世界。或いは、両方の世界。それを意味する言葉、“アンボス・ムンドス”。桐野夏生著『アンボス・ムンドス』(文藝春秋)に収録されている7つの物語は、どれも人間の悪の部分を描いている。読み手にとっては決して不快ではない類の、むしろ、読み耽ってしまうような悪を。物語それぞれは、唐突にはじまり、唐突に締めくくられるのだが、心地よい余韻を残すのである。人は誰しも噂話に耳を傾けるものであり、悪意を抱く生き物であり、ひとつやふたつは秘密を抱え込んでいるものであり、何もない日常にストレスをためこんでいる。そんな気がした。

 表題作「アンボス・ムンドス」。人生で一度の思い出として、つじつまを合わせてキューバ旅行に出た、若い女教師と、その不倫相手である教頭。旅から戻ってきたふたりを待ちかまえるようにして届いた知らせは、生徒の死。そして、関係者や生徒からの、深く根ざす悪意の数々だった。この女教師は、生徒の死に疑問を抱きつつも、核心に触れることがなかなかできずにいる。それを独白という形式で、読み手に謎の処理を任せているのだった。ただの不幸話か、それとも運が悪い質なのか。けれど、女教師は年月を経ても、まだ粘り続けている印象が残る。ひとつの出来事が、人を変えてしまうこと。また、学校という組織への問題提起も、とても冴えているように感じた。

 それから、何ともぶるぶるっとなる物語「植林」。垢抜けない主人公は、綺麗で細い女たちから疎まれてきた。そんな中、主人公はとある大事件と、自分自身との関係性を思い出して、意気揚々となる。だが、自分自身が思いだした過去と、周囲が記憶している過去との違いに気づき、混乱してしまうのだった。年齢的にも家を出ることを急かされている身であり、主人公の行き場のなさがひしひしと伝わってくる。そう、主人公の彼女は、とても孤独である。かといって、上手に生きるすべを知らない。不器用にしか生きられない人である。彼女ほどではないにしろ、わたし自身にも共通するものを感じて、読みながらとても恐ろしかった。結末の彼女を思うとき、ぶるぶるっとなるのだった。

 もうひとつ、「怪物たちの夜会」。妻子持ちの男性と不倫関係を続けてきた、女性の悲劇的な物語である。ありがちな言葉を鵜呑みにして、信じ続けた女性は、復讐に身を任せることになる。その顛末は、あまりにもはっとするようなことであり、ストーカー的に男性やその家人たちに対して、強く迫りゆく姿は、切なすぎる。1対多数での争いは、女性の孤独さや哀しみを深くしてゆくようでもある。“ことの善悪も考えずに、ただ、荒くれている”という物語のはじまりに、妙に共感してしまったのは、きっと、わたしが女であるからに違いないのだが、実に女性的な怒り方だと思うのだ。無関係な人まで巻き込んでの、執念深さ。もしかしたら、これは女としての特権であるかもしれない。

4163243801アンボス・ムンドス
桐野 夏生
文藝春秋 2005-10-14

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