13 鹿島田真希の本

2009.05.21

女の庭

20090515_4003 特別幸福でもなければ、特別不幸でもない…そんな中でふと感じる息苦しさ。息苦しさと呼んでもよいのかどうか迷うほどのささやかな、けれど確かな息苦しさである。けれど、それを覚えた者には、日常は絶望的な息苦しさに満ち満ちたものとなる。いつしかそれに支配されて、内面はひどく揺らぎ出す。心の奥底で。じわりじわりと。そうして、揺らぎ出した思いは、あてもなくさまよい、それでもいやおうなしに続いてゆく日々といつか決着をつけるのだ。鹿島田真希著『女の庭』(河出書房新社)には、女性ならではの感覚で、子どもを持たない専業主婦の孤独が描かれている。何ひとつ不自由のない暮らし。その中にもブラックホールがあるのだと知らしめるように。内へ内へと傾いでゆく主人公内面を追ってゆく。

 優しい夫と暮らす平凡な主婦である女。何も起こらない日常。だからといって、特別不幸というわけじゃない。だからといって、特別幸福というわけでもない。マンションの主婦たちのとりとめもない井戸端会議にもちゃんと参加する。子どもがいないことでの居心地の悪さはあるものの、参加せずに自分のことを噂されるのは嫌なのだ。そして、ベランダで園芸なんかもやってみたりする。主婦の定番というべき昼間のドラマにも夢中になる…そんな生活を堕落していると思いつつも、自分に甘くなってしまう。息がつまるのをこらえながらの日常の中、隣に外国人のナオミが引っ越してきて、心はひどく揺れ動きだす。彼女の孤独にひそやかに寄り添いながら、自分の孤独を慰める日々が続いてゆく。

 一見、どこにでもいそうな女の姿がここにはある。多くの主婦が抱えるだろう孤独も。いくら優しい夫がいても、いくら生活が満たされていても、癒されない気持ちがあるということ。そして、それは第三者にとっては理解しがたいことであるということ。ささいなこと、ちっぽけなこと、けれど切実なこと。一人の人間である前に、一人の女であり、その一人の女の抱える虚しいほどの孤独に寄り添っているうちに、しだいに自分がわからなくなってくる。主人公がナオミに間接的に寄り添う姿は、身勝手な妄想に違いないが、彼女なりの突破口へとつながる。読みながら救われるのは、語りえない悲しみを持ったもの同士が何らかのつながりを見せたとき、人は救われるのだな、ということ。

 表題作のほかに収録されている「嫁入り前」。こちらは鹿島田節炸裂といった照れくさくなる物語。娘姉妹による母親への逆襲とでも言ったらよいのだろうか。姉妹の姉目線で語られる物語は、あっけらかんとしていながらも、かなりどろっとした内情を孕んでいる。恋人は自分とよく似ているけれど自分にはないものを持っている妹とも付き合っているし、姉妹で通うことになる花嫁修業を目的とした教室とやらはとんでもなくあやしい。母親は娘たちからいろんな意味で様々なものを盗んでいる。“語らない女”として生きることを余儀なくされた姉は、“語る女”の妹と手と手を取り合って生きてゆこうとする。人は皆何らかの役割を持って生きているという部分には、頷けるものがあった。

4309019021女の庭
鹿島田 真希
河出書房新社 2009-01-10

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2007.11.28

白バラ四姉妹殺人事件

20070807_44021 似ているようで異なるはずの境界が取り払われて、すべてが一緒くたになる。自己と他者が。事実と妄想が…やがて狂い出す歯車は、積み重なった憎悪を募らせ、家族を家族とたらしめていたものが何であるかを、わからなくさせるのだ。いつからか、いつのまにか。そんな危険を孕んだ小説が、鹿島田真希著『白バラ四姉妹殺人事件』(新潮社)である。婦人(母親)、姉弟という名の女と男、女の婚約者。名前すら持たない彼らは、町で起きた四姉妹の事件に熱中する。あるいは、そ知らぬふりをする。そうして、事件に引き込まれてゆくほどに、自分の抱える問題を顕わにし、自己と他者との境界を見失ってゆく。その光景はまるで、演劇を観ているかのようでもある。

 物語上に登場する四姉妹の事件から浮き上がってくるのは、歪な母と娘との関係である。端から見れば、仲の良い母と娘。それも、よく似ていると思われる二人である。そこに根ざす闇の深さは、きっと誰にも想像できないものだろう。二人にしかわからない確執、葛藤、憎悪…の数々。それらは母と娘の域をこえて一対一の個としての女同士になったとき、新たな感情を生み出すことになるのだった。自分と娘を重ね合わせるほどに愛しているのにもかかわらず、同時に殺したいほどに憎らしく思う感情があること。その相反する思いに貫かれながら、日々を共に過ごすということ。人間とは、つくづく恐ろしく悲しい生き物であると痛感する展開である。

 また、物語において男性を異物として徹底的に排除していることも見逃せない。母と娘の関係に男は不要とばかりに、その存在を否定し、彼らに一時期でも愛されてしまったこと、彼らを一時期でも愛してしまったことを嘆くのである。それゆえに、母親は姉弟の近親相姦を疑い、彼らの仲の良さを疎ましく感じる。男はいつだって裏切ってゆく生き物だと決めつけて。物語を通して見えてくる女性像は、ひどくデフォルメされつつも、ある意味で女という真実を告げているように思うのはわたしだけではないだろう。この感情的に生きる者の姿は、いつだって醜くも正直だ。女であるわたしは、自分が女であることにほんのり安堵を見出した気がしたのだった。

4104695017白バラ四姉妹殺人事件
鹿島田 真希
新潮社 2004-08-28

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2007.11.26

一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する

20061112_010 わたしの幼き日々の中には、絶対的な存在がいた。とりわけ、多くの時間を費やすことになっていた学校における教師たちの存在は、それはもう神以上のものに違いなかった。いや、違いないことをまざまざと見せつけられてきたと言った方が、正確かも知れない。教師たちの「よし」とするものを信じること。信じているふりをすること。それは、学校生活における平穏を意味したのだった。鹿島田真希著『一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する』(河出書房新社)は、学校における教師の絶対的な存在を知らしめるような物語からはじまる。聖書の逸話などをモチーフに語られるそれらは、いつまでもねっとりと心にまとわりついてくる。

 物語は、語り手である<私>が小学校から中高一貫の女子校に進み、やがて子どもを身籠もるに至るまでを描いている。中でも、一番はじめに収録されている「天・地・チョコレート」での傍観者としての<私>は印象的である。教室で教師の言葉によって世界が創造されるのを見ている。クラスメイトの少女たちが知恵の実であるチョコレートを少年たちに渡すのを見ている。そして様々に思い巡らされる性的な話や噂話においても、徹底的に一定の距離をおいているのである。あくまでも傍観者に徹すること。それはどこか現実を生きているようで生きていない、危うく、残忍な、かつ哀しみに満ちた存在の眼であるように思えてならない。

 そんな眼あってのことなのか、最後に収録されている表題作において主人公は、生きることに対してほとんど無力な存在となっている。それが、学校というひとつの場所から遠ざかったゆえのことなのか、女性としてのある区切りを迎えたからなのかはわからない。教師という絶対的な存在を失った主人公は、今度は恋人に依存し始め、その対象を失うと、誰かに強いられること、支配されることに受け身になってゆくのだ。彼女の変貌ぶりから気づくのは、生きる上で逃れようもない絶対的な存在というものの影と、この世の中におけるたくさんのしがらみの数々である。そして何よりも、この世界に生み落とされたことによる哀しみに違いない。

4309015492一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する
鹿島田 真希
河出書房新社 2003-05-15

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2007.05.07

六〇〇〇度の愛

20070507_033 ここに、或る渇きがある。一個人の、過去、現在、そしてその先も続くだろう渇きが。彼女は虚像と同じよう。母親の溺愛の対象である亡くなった兄が、実像だったのだから。この渇きはきっと、虚像だけが残ったゆえのもの。過去を過去とできない彼女の中で、渇きは長崎と繋がる。あの日、そう、悲惨な歴史となった、あの原爆の記憶と。鹿島田真希著『六〇〇〇度の愛』(新潮社)は、ひとりの女の抑圧された記憶と、女とはゆかりのない土地を直結して解く作品である。主人公の女を、どこか滑稽に思わせるくらいに冷ややかな筆致は、“長崎と女”という唐突な構図を深めてゆくようでもあり、女一個人の過去というものの重みを、ひしひしと読み手の心に伝えてくるようでもある。

 一見、何の不自由もない暮らしをしているように思える、主人公の女。夫と幼い子どもとの、三人暮らしの団地住まい。それを揺るがすのは、女の過去と今ある渇きだった。原爆のキノコ雲を“美しい”と感じてしまう女は、そんな自分に疑いを感じ、より悲惨なイメージを自分の中に刻み込むため、長崎へと旅立つ。誤作動した非常ベルをきっかけにして。旅先で出会うのは、ロシア人と日本人のハーフの正教徒の青年。聖人にちなむ名を隠そうとする青年に、女は自分と似たものを見出し、ふたりの距離は縮まってゆく。だが、死と近づいた女を青年が戒めたとき、その関係は変化してゆくのである。似ているという直感からくる思いから、対峙する関係へと。

 この物語。唐突のようで、タブーとするものを匂いとして潜めたり、重たい事柄をさらりと描いたりしているところが、絶妙である。流れるように進む物語の展開に身を委ねて、あくまでも読み手であることに徹することができた気がしている。一個人としての時間、歴史的時間、宗教的時間のそれぞれが絡み合い、結びつき、ときには或る一定の距離を保って流れるのが、なんとも心地よく感じられた。女の“渇き”の行く先を、はじまりからお終いまで、堪能できる。どうやって、女がその歴史を認めてゆくのか。或いは、これから先をどう生きてゆくのか。わたし自身の歴史や、今ある渇きと結びつけて、思考せざるを得ない作品と出会ってしまったと思った。

4104695025六〇〇〇度の愛
鹿島田 真希
新潮社 2005-06

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