アッシュベイビー
愛する人が与えてくれる死。それはある意味、究極の愛なのかもしれない。自ら望んで求めるその行為は、悲しみと憎しみとを超えてしまうほどに幸福感が漂っている。いや、自ら幸福を言い聞かせるようにして、幸せなふりをし続けるのだろうか。虚しい。とにかく虚しい。そして人はやはり孤独、とでも言うべきか。それでもなお、死も生も性もいびつな美しさを放っていると思わずにはいられなかった。金原ひとみ著『アッシュベイビー』(集英社文庫)は、ひたすら愛する人による死を求めるアヤと、その周囲の人々をめぐる物語である。赤ん坊とルームメイト、その知人ら。不毛な繋がりがアヤを苦しませるほどに、物語は痛みを意識させてゆく。
アヤの視点で描かれる物語は、歪んでいる。いびつな美しさを放ちながら。些細なきっかけからルームメイトになったホクトは、小児性愛者。その知人である村野は、あまりに冷淡で掴み所がない。やがて、アヤは村野に対して強い執着を抱くようになる。その後、ホクトがどこかから赤ん坊を連れ込んだことから、アヤの生活はあらぬ方向へ進んでゆく。欲望の極みとでも言うべきか、アヤは愛する人が与えてくれる死を望み続ける。死。それは、愛のもたらす幸福か。はたまた、存在の消滅か。物語はアヤの思考の中で、ぐらりと大きく揺れてゆく。その揺らぎと独白に混じる、悲しき性というのが、痛々しいほどに鮮明に描かれているところが、ほろりとくる。
アヤが繰り返す、悲しいほどに即物的な性行為。女の性というものは、複雑ながら犠牲的な気がした。全く相手にされない冷淡な男にもかかわらず、何度でも繰り返す“好きです”。その満たされない思いは、誰かの心に届くわけもなく、鋭いナイフとなって自分自身に戻ってくる。ずずっと肉にめりこむのはあっという間で、やがてそこに傷の裂け目がありありとぎらつく。そして思う。“私は裂け目を持っている”と。ときに疼き出すような、熱の核としての部位を。幾度も押し広げられることに対して、あまりにも純粋だからこそ、物語に始終漂う虚しさが痛い。それでも、結末は唐突に訪れ、なんの救いも渡さずに途切れさせる手法は、深い余韻を読み手に与えてくれる。
![]() | アッシュベイビー 金原 ひとみ 集英社 2007-05 |
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