09 長田弘の本

2014.01.07

奇跡─ミラクル─

20120727_4001 付箋だらけにした詩集を抱えて、眠れぬまま朝を迎えた。そこには静寂があった。微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさにくらくらしながらも、私は今、ここにいた。ただここにこうして、一冊の本を抱きしめていた。そうできる喜び。そうせずにはいられぬ高鳴りが、そこにはあった。ふれそうなほど近くに、言葉はあった。小さな微笑み溢れた世界が、いつのときも一人一人に存在し続けてゆきますように。新しい朝に、そう願っていた。

 長田弘著『奇跡─ミラクル─』(みすず書房)。あとがきによれば、奇跡と題されたこの詩集は、自分を呼び止める声を書き留めて言葉にした、返答の書であるそうだ。「奇跡」といっても、滅多にない稀有な出来事のことではない。長田さんは、“存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだ”と言う。そして、“日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ”と。長田さん曰く、例えば小さな微笑みは「奇跡」であり、その微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失う。世界はそんなふうに一人一人にとって存在し、これからもそう存在してゆくだろうとも言っている。

 タイトルと同じ「奇跡─ミラクル─」という詩には、花木たちへの慈しみが溢れている。“ただにここに在るだけで、じぶんのすべてを、損なうことなく、誇ることなく、みずからみごとに生きられるということの、なんという、花の木たちの奇跡。きみはまず風景を慈しめよ。すべては、それからだ”と。ただ在る。ただここに在る。ただそこに在る。それがまさに奇跡であること。人にはない植物の佇まい。その生き方。様々なしがらみや醜さを持たない、その凛とした姿を慈しみ、学び、見習う。そう生きよ、そうあれ。あたたかなまなざしの中にある、人としての厳しさの込められた言葉に、私は圧倒されていた。正しいと思う。そして、自分はそう正しくありたいと思う。あらねばならぬと思う。真っ当な人でありたいと思う。

 この詩集に立ち込める正しさの中には、静寂と微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさがあった。それらは様々にその正しさ、物の本質を伝えてきた。私が今どうあるべきか。どう生きるべきか。どう向き合うべきか。そうして、どうありたいのか、どう生きたいのか、どう向き合いたいのか。立ち止まって、自分を呼ぶ声にそっと耳を澄ます。ただじっと耳を澄ます。私にとってのその行為が、正しいのかはわからない。けれど、耳を澄ましている間、心はやわらかに開かれている。開かれた心は、きっと澄んだ微笑を浮かべているはずだ。小さな微笑みは、奇跡のひとつ。微笑みがある世界は、きっとあたたかい。


4622077868奇跡 -ミラクル-
長田 弘
みすず書房 2013-07-06

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2012.03.13

詩の樹の下で

20120313_4014 たとえば木々を思うとき、たとえば空を思うとき、人がちっぽけな小さな存在であるということを、わたしたちは痛感する。祈りが届かないような現実を知った後では、なおさらのことだ。一日が穏やかに過ぎようとしていること、ただそのことをありがたいと思う。あたりまえのことに感謝しつつ、明日以降も穏やかな日が続きますように。そう祈りながら目を閉じる。祈りがたとえ届かなくても、いっそう強く、強く祈る。祈り続ける。同時に、ときどき祈りが届かないことに虚しさを覚える。けれど、祈るほかないときもあることをどこかでわたしたちは気づいている。一人の力は小さい。だからこそ、わたしはまだどこかでまだ祈りが届くことを信じたいのだろうということも。たぶん、3月11日を迎えた後は特別に強く、強く。

 長田弘著『詩の樹の下で』(みすず書房)は、福島出身である詩人の著者の近作39篇からなるFUKUSHIMA REQUIEMという意味合いの強い散文詩集である。3・11を迎える日に読みたいと、この本が出たときに思っていた。あとがきによれば、「復興」の復の字には、死者の霊をよびかえすという意味があり、興の字にも、地霊を興すという意味があるそうだ。復興とは、まさに祈りのような言葉だったのだと、この本によって言葉の成り立ちを今更ながらに知った。故郷や絵画の中に描かれる木々たちに寄り添いながら、祈るように紡がれた言葉たちの中には、たくさんの心打つ言葉たちがある。木と人生を重ね合わせる言葉はとても深く、付箋を貼りまくって読んだけれど、わたしの中での一番の言葉は、“何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある。「静かな木」より”という箇所だった。

 木々の静けさを思うとき、わたしたちは饒舌すぎる。ちっぽけな存在のくせに、何もわかっていないくせに、目の前で起きている感情に揺り動かされて、あれこれ語り過ぎる。ときにはじっと黙って、大切なことをゆっくりいとおしく手繰り寄せて考え、心の中で思う。そんな時間があってもいいのだ、とはっとさせられる。多くの情報が飛び交う中、何を信じ、何を感じ、何を考えるのか。その問いの答えは、人それぞれ違ってもいい。けれど、じっと黙って耐えることも、ときには必要な気がしている。自分が小さき者であることを自覚して、身の丈にあった発言をする、行動をする、それが求められているような気がしている。さまざまに木に寄り添い、この散文詩集を思うとき、自分の頭の上からはじまるという空のこともまた、わたしは思い出すだろう。空はどこまでも広いのだ。

 この『詩の樹の下で』に登場する樹の多くは、著者の幼少の記憶の中の木々である。その記憶の中の風景や木々が、美しいままいつまでもあるはずだった。記憶の中の一本一本の木に寄り添う静かで穏やかな言葉たちは、震災で生死を分けた人間一人一人をそっと包み込むあたたかさに満ちている。“死の知らせは、ふしぎな働きをする。それは悲しみでなく、むしろ、その人についての、忘れていた、わずかな些細な印象をあざやかに生きかえらせる。懐かしい誰彼の死を知ったら、街のそこここにある好きな大きな木の、一本を選んで、木に死者の名をつける。ときどき、その木の前で立ちどまる。そして、考える。あくせく一生をかけて、人は一本の木におよばない時間しか生きないのだと。「懐かしい死者の木」より”それでも深く懸命に生きたい、そんなふうに思った。

4622076659詩の樹の下で
長田 弘
みすず書房 2011-12-03

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2009.06.17

世界はうつくしいと

20090617_034 ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉たちがずらりと並ぶ。言葉たちはわたしの胸元にすとんとおさまりよく座って手招きする。おいでおいで、こっちにはもっと違う世界が広がっているよ、と。おいでおいで、あっちではもっと違う音楽が聴こえてくるよ、と。そうして誘われるままにふらふらとさまよい込んだら、声高にこんなことを敢えて言ってしまいたくなる。“言葉はこんなにもうつくしい”と。長田弘著『世界はうつくしいと』(みすず書房)という詩集を手にして言葉の深みを耽読したわたしは、そんなことを思った。確かな意味と深みを持ち、心の芯の奥の奥まで届いて響く。読むことが惜しいから、丁寧に一語一語をたどりたくなる。愛おしさの集合体のような一冊である。

 「世界はうつくしいと」では、ためらわずにうつくしいものをうつくしいと言わなくなった貧しいわたしたちに呼びかける。“うつくしいものをうつくしいと言おう”と。例えば、風の匂い、午後の雲の影、遠くの山並みの静けさ、きらめく川辺の光、大きな樹のある街の通り、なにげない挨拶…いずれもわたしたちの周囲にある身近なものばかりである。そして“さらりと老いてゆく人”へとつながってゆく。わたしたちの誰もが老いゆくことから目を背けることはできない。また、報道されるニュースばかりがわたしたちの歴史ではないとも言う。わたしたちに価値あるものは、ささやかだけれど鮮やかな日常なのだ。最期にはすべて塵にかえるのだから、“世界はうつくしい”と言わずには、死ねないのだ。

 「大丈夫、とスピノザは言う」では、スピノザについて書かれた本に思いをめぐらせる。スピノザは言う、“大事なのは、空の下に在るというひらかれた感覚なのではないか”と。今ここに小さな存在として在るということ。わたしが在るということ。そして星を数える。無くしたものを数える。けれどスピノザは言うのだ、“大丈夫、失うものは何もない”と。守るものなどはじめから何もないのだと。ひらかれた感覚の中に在るわたしたちは、もっと自由でいい。もっと解き放たれていい。小さなわたしたちは、小さな存在として、ただここに在ればいい。スピノザを知らないわたしは、身勝手にもそう解釈する。そして、詩人に空を見上げさせた哲学を、その思想をほんの少し知りたいと思ってしまうのだった。

 「こういう人がいた」では、今はいない誰でもない人について言葉を紡ぐ。見つめるべきものを知っていて、話すべきことだけを話し、言葉は認識であると伝えた人。そして、言葉は感情ではなく態度であることも伝えた人。沈黙というひとつの態度から、多くのことを伝えた人。ただそこにいるだけで。それだけでいいと言われるような人。そんな人にわたしもなってみたいと思う。けれど思う。それには経験も知識も知恵も…何もかもが足りていないと。易しく、ささやかな、ひそやかな、けれど確かな意味を持つ言葉が紡げるようになるまで、まだまだ修行が足りないと思う。あっちこっちへふらふらしながらも思うことはひとつ、言葉は奥が深いものであるということ。そしてうつくしいということ。

4622074664世界はうつくしいと
長田 弘
みすず書房 2009-04-24

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 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)
  ・『幸いなるかな本を読む人』(2008-12-10)
  ・『ねこに未来はない』(2009-04-24)


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2009.04.24

ねこに未来はない

20090403_002 わたしの傍を通り過ぎていった猫たちのことを、ふと思い返してみる。つかず離れずの距離を保った猫もいれば、べったりと懐いた猫もいた。払っても払ってもしがみついてくるほどに人間好きな猫もいた。人間慣れした猫たちは、触られるのをよしとして、ときどき魅惑のポーズでわたしをくらくらさせた。人間同様にして、十人十色。10匹飼えば10通りの猫がいて、個性があって性格があることを知った。そんな猫に魅了されたわたしが“ねこ”と名のつく本を読まないわけにはいかない…ということで、長田弘著『ねこに未来はない』(角川文庫)をようやく手にした。一見、怖いタイトルの本だが、読んでみて納得。するりするりと読ませてしまう。猫の魅力を存分に語っている本である。

 この本によれば、猫という生き物には脳内の未来を知覚する部分が未発達であって、自分の将来に希望を抱くことがないという。そのかわりに、先々に対して心配や不安を感じたりすることもないそうで、猫にとっては“今”しかないということになる。つまり、猫と生きてゆく、暮らしてゆくということは、そんな刹那のひとときを一緒に過ごすということになる。そんなことを踏まえた上で、猫と暮らす日々を思い返してみると、いろいろ感慨深いものがある。隣りでスヤスヤ眠る愛猫が、とてつもなく愛おしく思えてくる。先のことを何も考えないこの生き物は、今を全うするべくして生きているのである。ただ今を、この瞬間を、わたしといると選んでくれたことが奇跡ではないかと思わせる。

 それまで猫嫌いを通してきた詩人である著者は、猫好きの女性と結婚してしまい、仔猫を迎え入れるために、引っ越しまですることになってしまう。子どもがまだいなかったこともあり、夫婦共々猫に夢中になってしまう。けれど、猫のことを何も知らない二人だけに、飼う猫を次々と行方不明にしてしまったり、死なせてしまったり…読んでいて心が痛む場面もちらほらある。けれど、四苦八苦しながら、それでも懸命に猫を育ててゆく様子をあたたかに綴った文章は、愛情に溢れんばかりで、読み手の心にすとんと届いて響いてゆく。猫のためなら、貧しくたってなんのその。猫なしの暮らしなんてもはや考えられないわたしには、共感を呼ぶ言葉や思いとたくさんめぐり会える本なのであった。

 表題作と「ねこ踏んじゃった」「わが友マーマレード・ジム」の3章からなるこの本。とりわけ、猫の本に魅せられてしまった著者について語られた「わが友マーマレード・ジム」が印象的に最後をまとめ上げている。この中で、『長距離走者の孤独』で有名なアラン・シリトーの書いた絵本『マーマレード・ジムの華麗な冒険』との出会いを思う存分語っているのだが、思わず前のめりになって読み耽っている自分にはたと気づく。ああ、我慢できない。読みたい。ぜひとも読んでしまいたい。こういう猫本への情熱を再燃させる本との出会いは、たまらないものがある。スヤスヤ眠る愛猫を横目に、読書に耽る喜びったらないのである。これまで出会ったすべての猫たちに感謝しつつ、また読み耽る。

4041409020ねこに未来はない (角川文庫 緑 409-2)
長田 弘
角川グループパブリッシング 1975-10

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 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)
  ・『幸いなるかな本を読む人』(2008-12-10)

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2008.12.10

幸いなるかな本を読む人

20081206_010 果たして本を読むことがわたしの生きる糧になっているのかどうか。実は無為な時間を過ごしているだけではないのか…と、ときどきそんな焦燥の思いにかられてしまうことがある。そんな問いかけに答えるかのように目にふれた、長田弘著『幸いなるかな本を読む人』(毎日新聞社)は、本に多くふれている者としては、そのタイトルからしてやられてしまう。長田氏の言葉を引用すると、“読書は正解をもとめることとはちがうと思う。わたしはこう読んだというよりほかないのが、読書という自由だ。”とある。そう、自由なのだ。自由という言葉ほど曖昧なものはない気もするが、それでも本を読める幸せなひとときを、わたしは特別に愛おしいと思う。自由だと思う。大切にせねばならないと思う。この世界に本があることに感謝せねばならないと思うのだ。

 二十五冊の本をめぐる二十五篇の詩を収録したこの一冊は、プラトン、ニーチェ、荘子、漱石などをはじめ、作者不詳の「アラビアンナイト」などから喚起された言葉たちが並んでいる。中でも一番はじめに収録されている梶井基次郎の「檸檬」から言葉を掬い取った「檸檬をもっていた老人」には、いきなり“読むことは歩くことである。”とある。自分の街へ出て、はじめてのような新鮮な気持ちで歩く。何もかもが新鮮さに満ち満ちている感覚。そこへきて信号待ちをする。ふと老人がいかつい顔に微笑みを浮かべて立っていることに気づく。それがまさに梶井基次郎その人である。そうしてふっといなくなる老人。基次郎の人生と物語とがリンクして、人から人へと読み継がれて解釈も変わる。時代と共にいろんなものが流れてゆく。歩いて、景色が流れるように。

 続いてプラトンの「ソークラテースの弁明」からの「もう行かなければならない」。こちらは、人生はとは何で測るのか、という問いかけからはじまっている。それに対して長田氏はこう答えている。“本で測る。一冊の本で測る。おなじ本を、読み返すことで測る。”と。亡くなった愛しい人の好きだった本を読み返して、思い返す。よいことだけを。楽しかったことだけを。そう、おなじ本を読み返すことは、故人を慈しむことによく似ている。記憶は作りかえられてしまうものだけれど、それでもいい。それでも大切な人を思い出していたい。嫌な記憶は捨て去り、いい記憶だけを脳裏に刻み込むのだ。憎しみや恨み辛みから解放されて、故人を思うこと。今のわたしにはそれはとてつもなく困難なことだけれど、いつしかそうできるようになれたらと思った。

 また、カントの「永遠平和のために」からの「21世紀へようこそ」では、“読むとは、古いことばを新しいことばに更新すること。古い意味から、新しい意味をとりだすことである。”とある。遠い時代の書物さえも、読み継がれてゆくものがある。そうして、そこに書かれたことばたちは、今を生きるわたしたちの心にも通ずる何かを響かせてゆく。それに加えて、新たな発見を見出させ、ときとしてはっと驚かされたりもする。考えることばには不思議な力が備わっていて、わたしたちを導くのだ。行ったこともない国の言葉が、読める言語となって目の前にあること。その不思議にすら気づかないほどに、そっと寄り添ってくる。生まれた国が異なっても、もはや書物に国境はないのかもしれない。そんな時代に生きていることを幸せに思うわたしだ。

4620318930幸いなるかな本を読む人 詩集
長田 弘
毎日新聞社 2008-07-25

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 ≪長田弘の本に関する過去記事≫
  ・『人生の特別な一瞬』(2008-03-11)
  ・『人はかつて樹だった』(2008-03-18)
  ・『記憶のつくり方』(2008-04-12)
  ・『死者の贈り物』(2008-04-15)


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2008.04.15

死者の贈り物

20070409_022 もう何年前になるだろうか。突然にぽっかり空いた席が、いつしか自然に埋まるのを見たとき、“忘れゆく”という意味をほんの少しだけ意識したのを覚えている。昨日までいた。でも、今はもういない。“死”は、それだけの事実を目の前にぽんと差し出して、残された者を呆然とさせる。同時に、生という得体の知れないうごめきを、恐ろしいとすら思わせる。長田弘著『死者の贈り物』(みすず書房)。あとがきによれば、ここには“誰しもの、ごくありふれた一個の人生に込められる、もしそう言ってよければ、それぞれのディグニティ、尊厳というもの”が紡がれている。親しかったものの数々の記憶は、簡潔な言葉とやわらかな優しさとに彩られて、今という瞬間を特別なものへと変えてゆく。

 人は忘れてゆく生き物だとよく言われる。事実、長く生きれば生きるほどに、忘れゆくに違いない。親しかった者のこと、親しかった場所のこと、親しかった時間のこと、親しかった書物のこと、ささやかなありふれたもののこと…。この作品に収録されている「あらゆるものを忘れてゆく」という一編の詩には、忘れてゆく人についてこんなことが書かれている。“人間が言葉をうしなうのではない。言葉が人間をうしなうのだ(p62)”と。忘れてはいけない。そうさまざまなものたちが教えてくれるけれど、それでも人は老いてゆく。死者の年齢を越えて。そして古い言葉だけ、その真実だけが残ってゆく。人はまるで存在しなかったみたいに、消え失せてしまう。まるで、生まれでなかったみたいに。

 また「あなたのような彼の肖像」は、誰でもなかった、ある一人の男の生涯を綴ったものである。もしかしたら、あなただったかもしれない、あなたのような、そんな男の。この一編の詩をじっくり読んでゆくと、わたしたちの生涯というものが、無性にやるせなくて、同時に愛おしいものへと変わってゆくのがわかる。“わたし”という個は、個でありながら必ず誰かとつながっていて、それでもやはり孤独に違いなくて、ひどく寂しい。そんな現実において、どんな一生も、どんな死も、すべてにおいてわたしたちは誰でもない特別さをもっていて、それでいて誰かととてもよく似ているのだと知るのである。だからこそわたしたちは誰かと寄り添い、それでいて孤独を愛して止まないのかもしれない。

4622070677死者の贈り物―詩集
長田 弘
みすず書房 2003-10

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2008.04.12

記憶のつくり方

20070409_011 こぼれ落ちゆく幾多の記憶たち。わたしの中に残ってゆくのは、ほんの一握りの記憶でしかないのだろう。それでも、今ここに在るわたしという土壌をつくったのは、その一握りの記憶である。過ぎ去ったものではなく、過ぎ去らなかったもの。そこにとどまったもの。それが記憶というものだと、長田弘著『記憶のつくり方』(晶文社)で著者は語る。つまりは、わたしという人間をつくったのは、そういう過ぎ去らなかった記憶たちなのであろう。“記憶=過去”と一口で言っても、その意味するところは微妙に異なっているのである。過ぎ去る。過ぎ去らない(=とどまる)。わたしたちが経験するすべての瞬間は、その二つのことに集約されているのかも知れない。

 この作品は、3章24編からなる、詩文集である。「ルクセンブルクのコーヒー茶碗」という箇所では、予定を作らない、いわゆる旅らしい旅ではない旅について書かれている。日々の繰り返しから自分を密かに切り離すような旅である。そんな中で、著者は普段はすっと入ってこないような言葉を噛みしめて、忘れていた自分を見出して、再び家路へと戻ってゆく。旅をしないわたしは、こんな箇所を見つけてしまうと、自分の進歩のなさというものを、まざまざと感じるわけである。ときには違う環境に身を置くこと。新しいものにふれること。そうして、自分自身を取り戻すこと。そういうちょっとした旅心のようなものの力を、信じてみたいような気すらしてくるのだった。

 「自分の時間へ」には、“書くとは言葉の器をつくるということだ。その言葉の器にわたしがとどめたいとねがうのは、他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い「無名」、青い「沈黙」だ(p87)”という箇所がある。自分の時間としての人生を思うとき、それを明るくともしてくれているのは、他でもない、自分以外の人々である。そうして、与えられた人生を自分なりに耕してゆくことで、過ぎ去らなかった記憶たちは育ってゆく。わたしたち一人一人の中にとどまるのは、“わたし”というひとつの土壌を豊かにする、かけがえのない煌めきを放つ、選ばれし記憶の欠片なのである。そう考えてゆくと、何だかすべての瞬間瞬間が、愛おしくて特別なものに思えてくる。

4794935315記憶のつくり方
長田 弘
晶文社 1998-01

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2008.03.18

人はかつて樹だった

20070318_019 立ちつくす。ただじっと立ちつくす。言葉もなく、音もなく、沈黙のうちに在るように。ただじっと立ちつくす。そうして思うことは、ただ此処に在ることが、わたしにできるすべてだということ。けれど、こうして此処に在ることは、決して不自由ではない。むしろ、此処にいられる自由を感じている。いつかどこまでも根をのばして、確かなものをしかと掴むのだ。いや、そうできたらいいと思う。いつか、いつしか。いつの日か。この場所で生まれたから。この場所で育ったから。だからわたしは此処に在るのだ。だから今を生きていられるのだ。そんな思いを抱いたのは、長田弘著『人はかつて樹だった』(みすず書房)という詩集を読んだからである。

 ここに収められた二十一編の詩、ひとつひとつは、どれもこれも人の心に深く根づく言葉のかたまりだ。かつて樹のように、深く土に根を張りめぐらせていたわたしたちへの讃歌とでも言おうか。わたしたちが今此処に在るということへの、強い肯定の言葉でもある。一人きりで立ちつくす時間を支えるような、そっと共に寄り添ってくれるような言葉。やさしいだけじゃなく、少し距離を置いたところから黙って、けれどちゃんと見守っていてくれる、そんな言葉なのだ。だからこそ、届く。胸にすとんと入ってくる。やさぐれかけた心にも、ちゃんと届く。もう一度、何かを信じられるかもしれない。何かを紡ぎ出せるかもしれないとすら、思えてくる。

 「海辺にて」と題された詩には、わたしたちの周りの至るところに溢れる言葉について紡がれている。この詩では、悲しみに暮れる中、はっと風が吹いて、いっせいに椰子の木が叫ぶのを聞くのだ。“悲しむ人よ、塵に口をつけよ。望みが見いだせるかもしれない。ひとは悲しみを重荷にしてはいけない(p40)”と。木々のざわめき。それをどう聞くかは、それぞれだろう。心のおもむくままに、人は聞くのだろう。わたしはきっと悲しみの中にあるとき、それにどっぷりと浸かってしまうに違いない。けれど、せめて木々などのざわめきには、耳を傾けられる人であれたら…そう密かに乞うのだ。そうして、一人でもしっかりと地を踏みしめて在れれば、と。

4622072297詩集 人はかつて樹だった
長田 弘
みすず書房 2006-07

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2008.03.11

人生の特別な一瞬

20070901_020 たとえば、思わず振り向いた先にある、なにげないある日の光景。平坦で同じ毎日に思える光景の中にあっても、ふっととてつもなく大事な一瞬が訪れることがある。それはその時には意識できなくとも、後になって慈しむようにありありと思い出されるものかもしれないし、瞬時にそうだと閃くものかもしれない。そうやって導き出されたひとつの光景は、わたしたちの心の奥底に根ざし、脳内にしっかりと刻まれ、いつまでもきらきらした輝きを見せ続けるのだろう。32篇もの詩文を収録した、長田弘著『人生の特別な一瞬』(晶文社)は、かけがえのない瞬間を切り取る著者の言葉の冴えわたる一冊である。どの言葉も人間味溢れ、躰に馴染むようにするりと入ってくる。

 著者はこの一冊の中で、“旅”という言葉を頻繁に使っている。たとえば、雨の日ひとつを取ってみても、その静けさや濡れた風景に身を寄せ、“旅に雨はのぞましくない”としながらも、雨に魅せられてしまっている。あるときは、地図で旅する魅力を語り、地図上には語られてきた物語と語られなかった物語が詰まっているものとして、イメージを膨らませる。ひとり旅に至っては、自分自身に会いに行く旅であると著者は言う。旅嫌いなわたしとしてみれば、これでもかというくらいに、“旅”に纏わる話ばかりなので、読みながら徐々に身を固くしながら物思いに耽ったくらいである。旅とは、こんなにも魅惑的な瞬間をいくつもいくつも呼ぶものなのか…と感心しつつ、頁を捲る。

 中でも、「旅の書斎」という話では、もう唸るしかなかった。というのも、旅の移動時間における読書の素晴らしさを説かれてしまったからである。“時間を静かにつかえるときでなければ読めないような本を手にする。そうして、ゆっくりと、言葉の色合いや明るさや重さを読んでゆく(p99)”のだという。いつでもこんなに噛みしめながら読めたならば、本も喜ぶというもので、著者の紡ぐ文章からは、深みのある充足感が伝わってくる。もちろん、一冊の本に対する真摯な態度も。なんだかがむしゃらに本を読んできたわたしの読書とは、根本的な何かが違っているようで、とても恥じ入る思いがした。これからはもっと大事にね。そう、これからの読書に新たな気持ちを寄せたのだった。

4794935323人生の特別な一瞬
長田 弘
晶文社 2005-03

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