04 稲葉真弓の本

2010.03.20

風変りな魚たちへの挽歌

20100320_4007 生まれ育った土地、ふるさと。故郷という名のそこに根ざす思いは、複雑に絡まり合う。失望と諦めと。その先にある愛着と愛おしさ。歳を重ねて、何かを失って。そうして気づく、新たなる思い。ふとした瞬間に蘇るあの日の光景は、憎しみも悲しみもまるごとすべてを包み込むようにして、わたしたちに寄り添っている。稲葉真弓著『風変りな魚たちへの挽歌』(河出書房新社)。運河の流れる小さな街を舞台に、その街に根を下ろして暮らす人や街を出てゆこうとする人、街へ舞い戻ってくる人の人間模様を描いている。表題作のほか、「水の祭り」「青に佇つ」「帰郷」の3篇を収録。著者の故郷と思われる街は、読んでいるうちに読み手であるわたしたちの故郷と重なって、懐かしい気持ちにさせてくれる。

 表題作である「風変りな魚たちへの挽歌」は、22年間を過ごした故郷での日々を回想する女性の物語だ。友人からの手紙にふっと蘇る過去の記憶の数々。当時の彼女たちは失望と愛着のまじり合った故郷で、抑えきれない思いを抱えて、うんざりするほどの若さを持て余していた。明日のことなどわからない。一年後のことなどわかるはずもない。何も起こらない故郷での日々に物足りなさを感じながらも、自分がどうしたらよいのかわからずにいた。ただ悶々と過ごす日々が続くだけ。誰しも一度は陥る若き日の思いに、いつかの自分をついついそっと重ねてしまう。あの頃のわたしはああだった。あの頃のわたしはこうだった…そんなふうに、今となっては愛おしい過去が自然と蘇ってくるのだった。

 歳を重ねるほどに思うことは、故郷からは逃れられないということ。故郷を好きになれなくとも、故郷を捨てようとも、もはや自分自身のルーツなのだ。故郷とどんなに離れていようとも、この身から完全に切り離すことはできない。どんなに田舎特有の閉塞感や排他的な部分に嫌気がさそうとも、わたしが“いた”という証のようなものは残ってしまう。わたしたちがそれと意識しないところで。知らず知らずのうちに。心も身体もどこかで覚えている気がしてならない。たとえば見知らぬ街で懐かしい感情を覚えたとき、そこにはわたしたちの故郷が影を潜めている。無意識のうちにわたしたちの中にある故郷の記憶が、やわらかに包み込む。そうしてわたしたちの過去と今とを結びつけ、郷愁を呼ぶのだ。

 故郷に対する失望と諦めと。その先にある愛着と愛おしさ。それは、歳を重ねて、何かを失って。そうしてはじめて気づく、新たなる思いのようにも感じられる。ふとした瞬間に蘇るあの日の懐かしい光景は、憎しみも悲しみもまるごとすべてを包み込むようにして、わたしたちに寄り添っている。いつだって思い返せるところに、本当はあるのだ。手を伸ばせばその先に、目を閉じればその奥に、いつだって故郷は思い返せるところにある。ただ、わたしたちがそれと意識しないだけで。ただ、わたしたちがそれと気づかないだけで。歳を重ねて。何かを失って。ひとつ、またひとつと成長するたびに、“わたし”という存在を形作るそのルーツを色濃く染めてゆく。ひとつ、またひとつと、“わたし”を彩る。

4309015417風変りな魚たちへの挽歌
河出書房新社 2003-04

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 ≪稲葉真弓の本に関する過去記事≫
 ・『さよならのポスト』(2005-10-12)
 ・『砂の肖像』(2007-09-15)
 ・『藍の満干 色のあるファンタジー』(2009-04-02)
 ・『海松(みる)』(2009-05-27)
 ・『私がそこに還るまで』(2009-09-20)
 ・『千年の恋人たち』(2010-03-12)


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2010.03.12

千年の恋人たち

20100131_4005 じわりじわりと根下ろす悲しみや痛みを抱えながら、わたしたちは生きている。どうしたって帰らぬ人を、取り戻すことのできない思いを、胸の奥に秘めながら。それでも生き続けるためには、立ち止まらずに前を向いて歩くしかない。今を生きるわたしの属するのは、過去ではなく“今”でしかない。わたしの身に何かあっても、誰かの身に何かあっても、たぶん人は“今”を生きてゆかなくちゃならない。“今”いる場所のその先を見据えて、止まらずに生きてゆかなくちゃならない。稲葉真弓著『千年の恋人たち』(河出書房新社)。生の原理をつきつめてゆく物語は、胸の奥深くを見つめさせる。生のあるべき姿を根本から揺らして、わたしたちに“生きる”ということを問いかけている。

 唐突に、妻も子も残して失踪した男。男の残した石の塔は、その不在を絶えず思い出させた。丸十二年が経とうとも、封印したはずの思いは妻・佐和の中でいつまでも疼く。佐和にとって、過去の時間はあやふやで、人生は予測もつかない悪意に満ちていた。決定的な亀裂もなく、むしろ破綻のない夫婦だったはずなのに、いきなりばっさりと幕を下ろされたのだ。悲しみは憎しみになり、佐和をいつまでも苦しめ続けた。やがて草木染めをするようになり、工房を持つようになった佐和は、画廊のオーナーである水城と親しくなり、戸惑い葛藤しながらもその距離を縮めてゆく。そうして、少しずつゆっくりと呪縛から解き放たれるように、ひたすらに、ひたむきに、生きてゆこうとするのだった。

 生きてゆくこと。自分の身に何かあっても、誰かの身に何かあっても、たぶん人は“今”を生きてゆかなくちゃならない。“今”いる場所のその先を見据えて、止まらずに生きてゆかなくちゃならない。立ち止まらずに、前を向いて。つきつめていうなら、人と人とはどんなにかたく結びついていても、所詮他人同士にすぎないということだ。あくまでも“あなた”は“あなた”、あくまでも“わたし”は“わたし”。“あなた”と“わたし”が目指す終着点は当然のようにはじめから異なっている。一緒にいても悲しいことに、あなたはわたしを知っているようで知らないし、わたしもあなたを知っているようで少しも知らない。“あなた”と“わたし”の狭間で、わかり合えない部分が渦巻いている。

 だからお互いにそれぞれの“わからない”を抱えて、わたしたちは生きてゆく。誰かのすべてをわかろうとせずに、“わからない”ことをわからないなりに理解して。寄り添って。そうして、ほんのささやかなつながりを愛おしく抱きしめるのだ。きっと、そんなつながりを見出せた関係ほど、強く深いものはない。じわりじわりと根下ろす悲しみや痛みを抱えながら、わたしたちは生きてゆくのだ。どうしたって帰らぬ人を、取り戻すことのできない思いを、胸の奥に秘めながら。それでも生き続けるためには、立ち止まらずに前を向いて歩くしかない。わからないあなたのこと、わからないわたしのこと。たくさんの“わからない”を抱えて、今日も明日も明後日も、わたしたちは生きるのだ。

4309019579千年の恋人たち
河出書房新社 2010-01-23

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 ≪稲葉真弓の本に関する過去記事≫
 ・『さよならのポスト』(2005-10-12)
 ・『砂の肖像』(2007-09-15)
 ・『藍の満干 色のあるファンタジー』(2009-04-02)
 ・『海松(みる)』(2009-05-27)
 ・『私がそこに還るまで』(2009-09-20)


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2009.09.20

私がそこに還るまで

20090907_019 正直に生きて。自分を偽らずに生きて。そうやってしか生きられない悲しい女たちの姿が、ときに痛いほどに胸をさす。もっとずる賢く生きられたなら。もっと身勝手に生きられたなら。けれど、それは彼女たちの本意じゃない。それは彼女たちの正しさじゃない。不器用で偽ることを知らない彼女たちの生きるすべが、たとえ深い悲しみに満ちていても、きっと後悔はない。誰よりも正直に生きて。誰よりも自分を偽らずに生きて。そうやって生きることが、彼女たちの信念なのだから。稲葉真弓著『私がそこに還るまで』(新潮社)に収録されている7つの物語は、いずれもそんな女たちが登場する。どう生きたらよいのかもわからぬまま、どうしたって訪れてしまう明日にただ立ち向かう彼女たちが。

 寂れたリゾートマンションで休暇を過ごすことになった夫婦を描いた「蟹」、息子の不可解さに呑み込まれる母親を描いた「幼虫」、火に魅せられた女の一人語りである「水位」、思うように動けなくなった老女の淡い記憶をたどる「どんぶらこ」、この世に未練を残したままの孤独な女性が回想する「空いっぱいの青いクジャク」、一人きりで観覧車に乗り込んだ女子高生があれこれ思いをめぐらす「私がそこに還るまで」、草のエキスを作るために野草を集める都会からやってきた女とそれを見守る男の物語である「山日和」。どの物語の女たちも皆決して自分を偽らないで、自分なりの軸のようなものを持っている気がする。不穏な空気で終わるものもあれば、かすかな希望を抱かせるものもあるから不思議だ。

 とりわけわたしが印象的だった「空いっぱいの青いクジャク」の女性は、ひたすらに一人の男性のことを思い続ける。あまりにもひそやかに。そっと。ずっと。あまりにも孤独に生きる彼女のひたむきな生き様に希望を与えているのは、ほんのわずかばかりのやわらかな思い出だけである。それが悲しくて、切なくて、愛おしくて。けれど、光には違いなくて。ただただ、じんとくる。次々とやってくる明日に耐えることを知らない。どうにもできない。そして、きっとそれはどうしようもない。この世界は手の届かないものに満ち溢れていて、やわらかであたたかな光は限られたところにしか射すことを知らない。その厳しい現実を垣間見てきた彼女の生き方、その苦しさはひどく心を打つのだった。

 また、表題作の「私がそこに還るまで」も印象深い。冴えない女子高生の少女が一人きりで、お小遣いを使い果たすまで観覧車に乗り続けながら語りはじめる。何かと口うるさい母親のこと、親友と思っていた不登校になってしまった友だちのこと、忙しない日常のこと、自分が抱えている誰にも相談できないこと…などなど。観覧車の上昇と共に、地上にあった自分が剥がされてゆく感じがする少女。そして、運命や力の強弱はおのずと決まっていて、どうしたって変えようがない気がしてしまう。けれど、観覧車もいつかは下降する。失望と安堵感とがいっしょくたになって、彼女を地上へとゆっくり戻してゆく。彼女の還るところ。それはある意味、彼女なりの決意の表れなのかもしれない。

4104709018私がそこに還るまで
新潮社 2004-10-28

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2009.05.27

海松(みる)

20090515_4023_2 生の感覚。確かにここに生き、息づいているという感覚。そういうものは、どうかするとないがしろにしがちな感覚である気がする。時間にゆとりがなかったり、日々の忙しさに追われていたり、そんな日々の中ではなかなか感じることができないものであるように思うのだ。稲葉真弓著『海松(みる)』(新潮社)には、そういう感覚があちらこちらに散りばめられており、ふとした瞬間に失ってきた時間をよみがえらせ、確かなものとして浮かび上がらせる。そして、いつしか主人公の心情のひとつひとつが、描かれる場景のひとつひとつが、どれもこれも愛おしく思えてくる。それはきっと、わたしたちの心の片隅に横たわる孤独や切なさと、どこかよく似た色合いをしているからに違いない。

 表題作「海松」で物語の舞台となるのは、志摩半島の一角。都会で働き続けることに不安を感じ始めた40代後半の独身女性である主人公は、そこに小さな土地を買い、家を建てる。そこでの暮らしの中で、改めて自分や現実のすべてについて、新しい生の感覚を見出してゆく。ある奇跡に遭遇したように心がふるえることもあれば、家の棟上式で主である木を自分が持つことに感動を覚えたりもする。生き物の生と死のはざまを垣間見て、想像しがたい一生を思う。淡々と、けれど濃密に描かれる世界は、静かな緊張感を呼び、読み手の心を穏やかなものに変えてゆく。痛みも孤独も何もかも、まるごと受け止められそうな希望すら漲るほどに。新しい光は手を伸ばせばすぐ近くにあることを教えてくれる。

 「海松」の続編のような「光の沼」では、東京で暮らす独身女性が、忙しい仕事の合間をぬって志摩半島の家に通う様子が描かれる。かけがえのない時間の中で起こる出来事のひとつひとつが何だかとても愛おしい。いつも同じ場所に陣取って迎えてくれる存在のあることの心強さは、ときによき友だちであり教師となり、主人公をほろりとも逞しくもさせるのだった。続く「桟橋」では、入江の作業小屋でアコヤ貝に真珠を入れる作業をする男のもとへ子連れで通う女の姿が描かれ、静かな余韻を残してゆく。また「指の上の深海」では、指先の冷えた女がめぐらす孤独な思いが苦しく切なく胸をかすめてゆく。これらの主人公と無縁でない自分に気づいたとき、物語がするりと心の奥底に入り込んでくる。

 その不思議。ほんのりとあたたかな、心地よいまどろみにもよく似た感覚。そして、はたと気づく、生の息づかい。主人公たちの深い孤独や切なさと共鳴しているわたし。その愛おしい感覚。やがてそれらが、身体の中に希望を育み、新しい光を見出すことを知る、喜びたるや何ものにもかえがたい。そうだ、わたしたちはしぶとくも強い。あたりまえながら、そんなことを痛感したわたしには、もはや孤独も切なさも深く根づく暗闇だって、怖くないかもしれない。生きている。そうして、生きてゆく。これからも、この先もずっと。そうして、たどり着く先が今よりもほんの少し明るい場所ならいい。逞しい生命力に満ち満ちた物語によって、何だか胸の奥がほのかにしびれる思いがするのだった。

4104709026海松(みる)
稲葉 真弓
新潮社 2009-04

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2009.04.02

藍の満干 色のあるファンタジー

20090322_034 見わたせばわたしの周囲には色が満ち溢れている。視界に入った途端に鮮やかさを増すもの。色褪せてゆくもの。変わらずにそこにあるもの…さまざまな色たちがこの世界には存在していることに、はたと気づかされる。その色たちを慈しむように、大切に紡がれたように感じられる、稲葉真弓著『藍の満干 色のあるファンタジー』(ピラールプレス)には、美しくもささやかな幸せに満ち満ちている物語が多い。人生におけるもっとも美しかった瞬間は、こんなにも色とりどりであることに、こんなにも愛おしい色たちに祝福されていることに、今更ながら気づかされるのだ。そして、ふと思う。わたしの今はどんな色をしているのだろうかと。そして、今後のわたしはどんな色と出会うのだろうかと。

 18もの物語の中でわたしが強く惹かれたのは、第五話の「オレンジの窓の明かり」だった。眠れぬ夜を孤独に、“お向かいさん”の明かりを眺めて過ごす女性の物語である。三十六歳という、若いのか若くないのか微妙な年頃の彼女は、向かいからこぼれるオレンジの明かりに引き寄せられる。自分のように眠れない人がいるだけで、時折横切る人影を見ただけで、ほんのひととき幸福感に包まれる。灯りの中でも一番好ましい優しさを放つ色によって、彼女の日常は慰められる。まるで合わせ鏡のような自分の部屋と向かいの部屋。ささやかな出来事が、ほんの少しの偶然が、これから先の物語の続きを盛り上げてゆく。もどかしさと共に、愛おしい色が繋いだ何とも不思議な縁の物語が紡がれているのだ。

 また、第九話の「黄金色の神さま」もいい。長年連れ添った老夫婦の回想の物語である。銀杏並木の見えるカフェ・テラスで散りゆく銀杏を眺めながら、ずいぶん長いこと向かい合ったままでいるふたり。無言のままでも相手が同じようなことを思っていると、分かり合えるような境地に至っている夫婦が、婚約当初の記憶に思いをはせるのだ。もう二度と行けないかもしれない。そんな思いをどこかに抱きながら、いつかの話をする。そんな淡い夢のような時間もなかなかよいものだなぁと思わせてくれる展開。これは、共に年を重ねてきたふたりだからこその物語だろう。そして、今をきらきらとさせる物語でもある。過ぎ去った時間も、残されている時間も、同様に愛おしいと感じさせる物語だった。

 表題作である第十七話の「藍の満干」。“あいの一族”の女性による、不思議なモノローグである。読み手は藍色に込められた思いを、深く知ることになる。藍のにおいのするあいの一族の女たち。その女たちの体に藍は乗り移って、満ちたり干いたりする。一度取りついたら消えない藍のにおい。藍にはさまざまな色が含まれていて、染めるにつれて布を濃い色にしてゆく。けれど、藍の液に浸した布を引き上げるときの刹那、緑色が現れるのだという。女性は語る、“藍が布に乗り移るとき、これまで自然の中で吸ったすべての色を吐き出しつつ、生き直しているように思えてならないのです”と。藍の中にある色。それは、わたしたちの色。わたしたちそれぞれの生き様をも含む色なのかもしれない。

4861940052藍の満干 色のあるファンタジー
稲葉 真弓
ピラールプレス 2008-12

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2007.09.15

砂の肖像

20070820_040 重ねられてゆく日々に纏わる思い出が、しっとりと、ただそこに在る。目の前に、ただ在る。封じ込めた時間の分だけ、ただ然として在る。そんな気がして、まだ見ぬ想像の石を想った。手のひらで握りしめるほどの小さな欠片に、過去のわたしを見たような心地になって…。稲葉真弓著『砂の肖像』(講談社)は、数々の石や砂などに纏わる五つの物語が収録されている一冊である。とりわけ表題作「砂の肖像」に登場する石には、ある種の執着のようなものを感じずにはいられなかった。たとえば、死への、生への執着のようなものを。そうして何かを宿した石には、特別に魅惑的な光が宿る気がするのだ。やがて光は人を呼び、その人に何かをもたらすのではないかと。

 雑誌の掲示板を通じて知り合ったM氏との、通信による交流。そこで譲り受けた砂から、石から、浮かび上がってくるM氏の姿を様々に思う主人公。やがてその想像は、現実を奇妙なかたちで侵食し始めてゆく。主人公とM氏のやりとりを通して見えてくるのは、あまりに儚い人という生き物の存在と、ある種の執念・執着だろうか。この物語の中の、石というものを人に託すという行為、いや、人に物を贈るという行為そのもの自体に、わたしはひどく困惑させられた気がする。日常何気なく繰り返し繰り返されることに戸惑うのは、きっとその贈られた石そのものへの戸惑いなのだろう。その石が、特別であること。その石が、どんな物とも異なるからなのだろう。

 人に物を贈るということ。そこにはきっと深く根ざす執着のようなものがあるに違いない。自分の存在を知らしめるための。或いは、生そのものへの。それらはよくよく考えてみたら、ぞっとするほどの感情の塊なのである。それを“託す”という行為に置き換えてみたら、自分の念や魂という類のものを受け取ってもらう、ということに結びつく。そして単純に、わたしは託す側にある意思そのものを美しいと感じた。受け取る側はどうであれ、自分の思いを託せる人がいるという奇跡に、それほどまでに深い関係を生涯で築けたという自信に対して、美しいと思えたのだ。わたしは石や砂を愛でることを知らない。知らないからこそ、愛でる人々の関係をこう想像する。

4062139375砂の肖像
稲葉 真弓
講談社 2007-04-19

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2005.10.12

さよならのポスト

20050930_22037 切ない。もどかしい。やるせない。でも温かい。そんな思いがたくさん詰まった童話集、文・稲葉真弓、絵・スドウピウによる『さよならのポスト』(平凡社)。著者の作品は何冊か読んだことがあるのだけれど、印象が随分違っていた。柔らかくて優しくて、読み心地がさわやか。ぎゅっと抱きしめていたい気持ちになるほどに。描かれている話が、自分の心の中にずっと残っている懐かしい想い出だったらいいのに。私の物だったらいいのに。大好きな人に“あのね、これは内緒にしたい話なんだけど…”そんなふうに言いたいのに。残念ながら当然ながら、これは著者の描いた物語である。著者、初めての童話集だ。

 緑色のポストのある小さな郵便局。そこでじっと手紙が投函されるのを待っている、たった一人の郵便局員“さよならのお話の番人”を進行役にして、様々なかたちの別れの物語が展開されてゆく。そっと届く手紙は、誰にでも語るわけにはいかないけれど、それでも語りたいという類のものばかり。ときには悲しく、ときには寂しく、ときには優しく、そして嬉しく、読み手の心の奥底に響いてくる。ポストに手紙を入れる者達は、誰にも見つからないように、ひっそりとした時間帯にコソコソしている。お話の番人は、あまりにも暇なものだから(手紙は頻繁には来ない)居眠りしている。そういう細かいところも、気に入ってしまった。

 9つの別れの物語から、魅力的ないくつかを書いておく。どれも甲乙つけがたいくらいよいのだが、冒頭で書いた“切ない”“もどかしい”“やるせない”“でも温かい”を全て完璧に満たしている悲しい物語を挙げる。1話目の「だれもいない森」。80年ほど生きてきたふくろうが主人公。少しずつ確実に切り開かれていった森から、次々と動物たちがいなくなり独りぼっちになったふくろうの寂しさがじんじん伝わってくるモノ。自分への手紙が届くのを密かに願う気持ちがあるのに、自分の気持ちを誰かに伝えたいのに、意地をはるふくろうの姿。自ら手紙を書こうと思い立ったときには、もはや文字を忘れている。くーっとなる。あぁ、もうー、と言いたくなる。

 もうひとつだけ。「まてんろう」を。おばあさんと暮らす“まてんろう”という名の猫の物語。やっぱり私は猫好きなので、猫が出てきてしまうと高ぶる気持ちを抑えきれないらしい。その名の由来は、高いビルの間から拾われたから。おばあさんも15歳になる“まてんろう”も、地上の世界から離れたまま生活している。1人と1匹。その暮らしを変える気はない。新しい友人もいらない。必要な物は全てマーケットの主人が届けてくれる。今となっては、昔歩いた道もわからない。こんな、閉ざされた世界。けれど、とびきり親密な理想的な関係。見下ろす周囲の街並みは年月と共に変化しても、1人と1匹は変わらない。この物語の結末、なかなか気持ちよいのだ。

4582832717さよならのポスト
稲葉 真弓
平凡社 2005-08

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