01 安房直子の本

2008.05.08

天の鹿

20070409_010 気がつけば、あちら側へ足をとられている。淡くも儚いその魅惑的な世界は、おいでおいでと手招きするのだ。あちらとこちら。その境界に立つことは、危険ながらやみつきになる。どうかすると、もう戻れなくなるかも知れない。そんな思いを抱きつつも、許される限りに浸りきりたいわたしがいる。安房直子の描く独特のそんな世界は、安房直子作、スズキコージ絵『天の鹿』(ブッキング)でも耽読できる。危うい幻想的な世界に浸らせながらも、人間の持つ愚かしさと本当の心の優しさとは何であるか、いかにして魂は救済されるかを教えてくれる、寓話的な要素も兼ね備えたこの作品は、彼岸と此岸、地と天、闇と光の世界といった対照的なあちらとこちらを描いている。

 物語は、鹿狩りの猟師である清十さんが、ある一匹の牡鹿に遭遇するところから始まる。“通してくれ。かわりに、たくさんのお礼をしよう”声に従うままに、鹿の背に乗って険しい山々を越えてたどり着いた鹿の市で、清十さんは見たこともないような煌びやかな品々を目にする。けれど、鹿のくれた金貨一枚で買えるのは、たった一品だった。その後、話を聞かされていた清十さんの三人の娘たちは一人ずつ、不思議な牡鹿に連れられて鹿の市で買い物をすることになる。実はこの牡鹿、かつて清十さんに仕留められた鹿であり、天に昇ることができずに闇夜をさまよい続けており、その肝を食べて命を救われた清十さんの娘のことをずっと探していたのだった。

 牡鹿は人間たちの業や欲深さに対して憎しみを抱くわけでもなく、天にも地にもどちらにも行けない自分の道を、懸命に探す。そうして、ただただ末娘の優しさに心を打たれる。目の前の自分の欲望にかまけるのではなく、誰かのことを思いやる。あたりまえのことながらなかなかできないそれを、さらっとやってのけた末娘は、あちら側へと足を踏み入れた途端に、すべてを悟ったのかも知れない。これから先の自分の運命。牡鹿の苦しみ、悲しみ。そういったものをすべてまるごと受け入れて、やわらかに牡鹿を思ったのだろう。この物語に満ちる悲しみは、やがて昇華するように優しさへと変化する。それは、同時に物語に触れたわたしたちの変化なのかも知れない。

4835442334天の鹿―童話
安房 直子 スズキ コージ
ブッキング 2006-04

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2008.01.01

夢の果て―安房直子十七の物語

20050124_009 うつらうつらしながら、物語に閉じこめられる。もう此処には戻ってはこられないかもしれない。そんな危うさを察知しながらも、わたしは読むことを止められない。まどろむことも止められない。うつらうつら。そうして浸った、安房直子文、味戸ケイコ絵『夢の果て―安房直子十七の物語』(瑞雲舎)の先にあったのは、現実から一歩踏み込んだところにある、幻想的な世界の連なりだった。もの悲しさや喪失感の漂う世界に待ち受けているのは、決して幸せな結末ではない。けれど、それでも浸りたいほどの魅惑に満ち、胸に静かに迫りくる一冊である。なお、1974年から1986年までの『詩とメルヘン』掲載の全作品17話を、書き下ろし装画を含めオールカラーで収録している。

 タイトルにもなっている「夢の果て」。青いアイシャドウに魅せられて、その青い夢の海に溺れてしまった少女の物語である。ここに描かれるのは、人間の欲深さと愚かさゆえに招くことになる死。ぞくっとする後味が何ともいい。「小鳥とばら」では、ある春のまひるにバトミントンの白い羽を追って、少女が生垣の内側で不思議な体験をする。ほんのりと漂う少女の傲慢な思いが、妙に心地よかった。「ある雪の夜のはなし」では、トラックの荷台から落ちてしまったりんごの物語が描かれる。りんごと星が会話するという、まさにメルヘンな展開なのだが、よくよく耳を傾けてみると、案外シビアである。そして、そのあまりにも儚い運命には泣けてくるのだった。

 中でも印象深かったのは「天窓のある家」という物語。神経が少し参ってしまった主人公の<ぼく>が、友人の別荘で三日ほどを過ごすのである。三日目の満月の晩、庭のこぶしの木の影がくっきりと落ち、その影に触れた瞬間銀色に光り、思わず影を摘んでしまう主人公…。ここでは光が目映いばかりに描写されていて、とにかく読みながらうっとりしてしまうこと、しばしば。こぶしのまっ白な花が咲き乱れている様子が目に見えてくるようだ。また、木という存在の神秘とその生命力の根源をひしひしと感じる展開でもある。やがて朽ちゆく運命にあるのは、植物も人間も同じ。幻想的な物語の世界に込められたいくつもの想いに、深いため息が出る。

4916016580夢の果て―安房直子十七の物語
安房 直子
瑞雲舎 2005-12

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