03 石井睦美の本

2008.05.11

レモン・ドロップス

20070324_003 ゆらぎ出す日常。変わり始めるわたし。淡々と繰り返しているように思える日々だって、少しずつ変化している。いつだって同じわたしはいない。いつだって同じ誰かもいない。いつだって同じ景色もない。だからこそ、毎日は新鮮な驚きや喜びが潜んでいて、ときどきわたしたちをはらはらさせる。石井睦美著『レモン・ドロップス』(講談社)は、思春期の少女の繊細な心模様を描いている。周囲より一歩引いた視点で物事を考える少女は、変わらない日々を、いつまでもいつまでも過ごすだろうと思っていた。だが、友だちの恋や姉の恋、おじいちゃんとおばあちゃんの深い絆などを目の当たりにして、さまざまな恋のかたちや相手を大切に思う気持ちを知ってゆく。

 “結局、思春期ってのがいけないんだと思う”そんなふうに言い合う美希と友だちの綾音。どうかすると爆発してしまいそうな心を抱えて、美希は三日月形のレモン・ドロップを安定剤にしている。べたべたしたやさしさが苦手な美希は綾音に“冷たい”と言われることしばしば。だが、彼女のクールだけれど上っ面のことを言わないところは、何だかとても凛々しくあたたかく思える。物語の中では、そんな美希とは対照的な存在として姉が登場する。この姉の恋や友人の綾音の恋に振り回されながら、同時に人を好きになることに対する思いを高めてゆくのだ。嗚呼、恋って、人を好きになるって、とても素敵なことなのだなぁ…と深く深く思わせる展開だ。

 美希のおじいちゃんとおばあちゃんの関係も、この物語の魅力を語る上でははずせない。古い蓄音機から流れる音楽に合わせて、美希のおじいちゃんとおばあちゃんは踊るのだ。古いレコードを聴くときは、心をすませて一心に聴く。聞こえないもの音まで聴き、見えない人たちが踊るのまで見るようにして。二人は寄り添うように、まるで二人で一人みたいに、深い絆で結ばれている。死ぬまで好きでいられる人。死ぬまで好きでいてくれる人。美希がそういう言葉で真っ先に二人のことを連想したのは、言うまでもない。誰かが誰かを強く思うこと。それは簡単なようでとても難しい。でも、感傷的になったってしかたがないのさ。美希のようにそうつぶやいてみる。

4062123371レモン・ドロップス
石井 睦美
講談社 2004-05

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2007.11.22

群青の空に薄荷の匂い―焼菓子の後に

20061119_008_2 雲の切れ間からほのかな光が射し込んで、空がぱっと澄んだ青になる。そんな一瞬の出来事に、“青春”というものは似ている気がする。誰もが通過する一時。あの、目映いばかりの日々というものは。石井睦美著『群青の空に薄荷の匂い―焼菓子の後に』(ピュアフル文庫)は、そんなまさに青春真っ盛りの少女の物語である。どこにでもいるような、だけれど誰とも似ていない。ある一人の少女の。そこには、かつて少女だった誰もが抱えた思いによく似た感情が横たわっている。かつて少年だった誰かの思いだって、横たわっているかも知れない。そして、この一冊を読み終えた誰もが思い出すだろう。自分の特別な青春という日々についてのことを。

 主人公の亜矢は、小学校時代の忘れ去りたい過去やそれに伴う痛みを抱えながら、一見平穏な高校生活を送っている。そのことを知っているのは、中学からの親友の菜穂だけである。ある日、日課である散歩をしている時に、小学校時代の同級生・安藤くんと再会する亜矢。そして、少しずつゆっくりではあるけれど、亜矢の日々が動き始めるのだった。物語は、亜矢の心の傷に焦点を当てながらも、明るいタッチで高校生の恋愛についても描いてゆく。まるで、世の中まだまだ捨てたものじゃないよ、と励ますみたいに。乗り越えたと思っていた日々も、これからの日々も、決して無駄ではないのだよ、と教え諭してくれているみたいに。

 この物語、『卵と小麦粉それからマドレーヌ』の三年後を描いた作品なのだが、その時の亜矢の印象は、もっと芯の強い女の子のような気がしていた。亜矢の両親が離婚していること。かつていじめにあっていたこと。相当な文学少女であること等々、情報としてはわかっていたつもりになっていたのだけれど、今回主人公が菜穂から亜矢にバトンタッチしたことで、より二人のキャラクターの違いを再確認したわたしだ。そして同時に、亜矢という少女の成長を目の当たりにして、何だか妙にほっこりとなったのだった(もちろん、菜穂の成長にもびっくりさせられたけれど)。続編のある作品を読む楽しみは、こんなところに隠れていたのだなぁ。

4861764521群青の空に薄荷の匂い―焼菓子の後に (ピュアフル文庫 い 1-2)
石井 睦美
ジャイブ 2007-11

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2007.08.11

卵と小麦粉それからマドレーヌ

20070811_009 どちらかひとつを選ぶのではなくて、両方という選択肢があってもいいと思った。それは決してあれもこれもと欲張るのではなくて、こっちがダメだからあっち、というのとも違う。自分の可能性を広げる意味合いでの、“両方”である。自分の気持ちを押しこめてやりたいことを諦めるのでもなくて、ただひとつきりのものにすがって生きるのでもなくて。何というか、ほんのりと肩の力を抜いた感じで、自分の在り方を模索する姿勢がいいなと思ったのである。もちろん、これだと決めたものがあることは、とても素敵なことだ。そういう生き方もある。けれど、他にも生き方はあるのだと、焦らなくてもいいのだと、教えられた気がしたのだった。

 石井睦美著『卵と小麦粉それからマドレーヌ』(ピュアフル文庫)。中学校に入学したばかりの菜穂は、クラスメイトの亜矢に“もう子どもじゃないって思ったときって、いつだった?”と話しかけられる。その問いにどう答えればいいのかわからない菜穂。やがて、亜矢が既に経験した試練に、菜穂もぶつかることになる。母親の留学宣言というかたちで。打ちのめされた菜穂に対して、亜矢は“変わるのはあなたよ”と言葉をかける。必死に自問自答を繰り返す菜穂の姿は、何だかとても微笑ましい。ティーンエイジャーの仲間入りを果たした悩める視線が、しっとりと丁寧に描かれてゆく。そして、じんと胸に響かせるメッセージを伝えてくれる。

 いわゆる変化の時、わたしはどうやって乗り越えてきただろうか。今となっては遠い記憶の彼方へ追いやられてしまった日々が、懐かしく思えてくる。もちろん、こうしている今だって、着々と変化を続けているに違いないのだけれど。自分自身ではどうにもはっきりわからない。ただわかるのは、ティーンエイジャーならではの濃密な時間は、もう訪れないということだけだ。20代には20代ならではの、30代には30代ならではの時間が待っているということ。わたしは、わたしならではの時間を過ごしてゆくだろうということ。そうして、あなたは、あなたならではの時間を過ごして、誰もがそれぞれに特別な日々を過ごしてゆくのだろう。

4861762820卵と小麦粉それからマドレーヌ (ピュアフル文庫)
水上 多摩江
ジャイブ 2006-03-02

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2007.02.25

おばあさんになった女の子は

20060624_44001_1 いつの日にも、女の子はいつまでも女の子であり続ける。たとえ、おばあさんになろうとも、それは変わらぬこと。追憶に耽るときはいつだって、どこでだって、女の子に戻れるのだ。恋い焦がれる思いは、色褪せることを知らずに、どうしたって乙女心をくすぐるものだし、取り戻したい何かは、心の奥を長く深く疼かせるもの。石井睦美・文、宇野亜喜良・絵による『おばあさんになった女の子は』(講談社)には、そんな思いを改めて感じさせる物語が描かれている。現実世界と物語とが交錯する物語の展開は、とてつもなく幻想的で、読み手を夢心地に誘う。そして、いつかは老いゆくわたしたちを、いつまでも女の子のままでいさせてくれる。

 はるかは1冊の本を読み終えた。すっかり年老いておばあさんになってしまった女の子が、その思い出をたどる物語を。はるかは物語に満足できずに、次のページをめくってみるのだけれど、物語はもうおしまい。もう一度最後のページをめくって、そのおばあさんの満ち足りた顔を見ていたところ、本の中からおばあさんの声がしてきて…という、なんともファンタジックな展開になってゆく。思い出をめぐらせて、満ち足りていたように思えたおばあさんが、実はその結末や境遇に飽き飽きしていたゆえの呼びかけ。つまりは、それが長い間放って置かれた本ゆえだということ。本好きとしては、なんだかとても複雑な気持ちになってくる理由である。

 何はともあれ、「おばあさん」に「女の子」という名称が与えられていることは、とても興味深いところである。わたしたちは日常の中で、おばあさんが若かった頃というものを、あまりにも意識しないで生活している。当然のことながら、祖母のことを「おばあちゃん」と呼び、母親のことを「お母さん」と呼ぶ。かつては「女の子」であったことなど、考えることなどほとんどないに等しい。けれど、確かに祖母にも母親にも「女の子」と呼ばれた時があり、かつては確かに女の子然としていたのである。それがいつのまにか大人と呼ばれる身分になり、子の親となり、「女の子」と呼ばれないようになるのだから、時間の流れというのは、なんとも不思議なものである。

 さて、冒頭で“時を経てもなお、女の子はいつまでも女の子であり続ける”と書いたのだけれど、実際問題において、それはかなり困難なことなのかもしれない。というのも、時間の流れというものは実に残酷なものだからである。いくら内面的に女の子であり続けることができたとしても、外面的には一生「女の子」ではいさせてくれないものだからだ。この物語においても、おばあさんになってしまった女の子は、女の子であった頃に戻りたがっている。追憶に耽ることに満ち足りていた長い間には、様々な心の葛藤があり、新たなる願望が生まれたように。そういう場面を目の当たりにすると、女の子であることは、ある意味特権であると思えてくるのだった。

4061323393おばあさんになった女の子は
石井 睦美 宇野 亜喜良
講談社 2006-11-18

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