ムントゥリャサ通りで
翻弄されて、ぐるぐるぐると混乱するわたしがいる。翻弄されて、じりじりじりと心が急くわたしがいる。物語のその先を、その先の続きを、そう思うそばから物語はどんどんわたしの要求からいやいやをするように、じらすように逸れてゆく。謎めきは謎めきのまま、最後の最後まで物語の根底にあり続け、ぐいぐいとわたしの気持ちを引きつけて離さない。散りばめられたいくつもの神秘にゆらりゆらりとゆれながら、どっぷりと物語に呑み込まれてゆく。どこまでが真実の語りなのか、どこまでが信じるすべなのか、その深みに戸惑いながら、ミルチャ・エリアーデ著、直野敦訳『ムントゥリャサ通りで』(法政大学出版局)という物語にわたしはとてつもなく魅了されていた。こうして久しぶりに言葉を連ねたくなるくらいに、ひどく、強く。ひどく、強く。
一人の老人がある男を訪ねる。老人は元ムントゥリャサ小学校の校長ファルマで、ファルマが訪ねた男の名は教え子であるはずのボルザ。だがボルザはムントゥリャサ小学校には通ったことがないと説明する。次の日、ファルマは保安警察に叩き起こされ、取調べを受け、供述書を書くことになるのだ。そこでファルマは、かつての教え子たちや彼らにまつわる者たちの長い長い話をおもむろに語り出す。幾つものエピソードは幾重にも枝分かれし、物語の謎めきを深く深くしてゆく。ファルマの語り口は聞き手である人々の心を掴み、たちまち魅了する。だが、次から次へと話はその本筋から逸れて、聞き手や読み手であるわたしたちを翻弄し、その脳内をぐるぐると混乱させてもゆく。魅了されたが最後、ファルマの語る話の先を知りたいと心が急くのだ。
ファルマの告げる事実はどこまで真実かわからない。わからぬまま、わたしたちは進んでゆく物語の展開のその先を、そのまた先を知りたいと強く願っている。そう渇望せずにはいられない。ファルマの語る話はときに時間をこえて、ときに空間をこえて、ときに現世から彼岸へと思いを馳せるまでに至る。ひどく神秘的な地下に暮らす者たちの世界の話も登場したり、端々には幻想的なモチーフも豊かに散りばめられたりして、実に味わい深く語られてゆく。物語全体に漂う謎めきは、最後までずっと変わらずにわからないままあり続けるゆえ、読み手の解釈はどこまでも自由だ。この物語の魅力は無限に広がっていると言っていい。小説を読むことの醍醐味がそのままかたちとなって目の前にあるとも言える。読書好きのための物語、そんなふうにも思う。
![]() | ムントゥリャサ通りで ミルチャ エリアーデ Mircea Eliade 法政大学出版局 2003-10 by G-Tools |
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