2016.10.30

ジュリアン・グラック本尽くし

20161014_2 10月はジュリアン・グラックの本に埋もれていた。じわじわと魅せられ、いつの間にかはまり込んでいることにはたと気づく、甘美な読み心地の作品たち。逃れられない宿命や、果てる時をひたすら待つその過程、物語自体がシンプルな構成な分、いっそう際立つ隠喩や暗示を魅惑的に用いた文章、訳文の美しさに浸る時間は、私にとって格別な時だった。年々目立ったあらすじのない、とりたてて何も起こらない、そんな物語を求めたり、日記文学に惹かれる傾向にあるせいか、今の心の在り様とジュリアン・グラックの作品は、とても相性が良かった。シュルレアリスムにおさまならない広がりと奥行きを見せる物語世界に、個の文学性を追い求めるジュリアン・グラックの姿も感じられたのは、こうしてまとまった期間に多くの作品にふれられたからのように感じている。良き読書をした。そうまっすぐに言える時が、確かに流れていた。


* * *

■読んだ本についての短い感想

・『アルゴールの城にて』ジュリアン・グラック著、安藤元雄訳(岩波文庫)

 ふいに立ち現れては姿を隠す其処彼処に漂う宿命の気配が、物語を何処までも深く心掴んでゆく。何かが起こるべく足を踏み入れる地、其処に在る城、集う三人。そうして三者三様に抱える思いを押し込めながら、濃密な時が流れてゆく。推し量る以上に呑み込まれた言葉、行き来した思いは、ぶつかる視線の一つ一つ、其処に見る光景、夢想が幾重にも折り重なるように募ってゆく。自分たちがどうなるか知らず、それでも一人一人の内部で起こっていることを予感しながら、静かに本能が蠢く様が、次々胸にきゅっと押し寄せ、物語に溺れた心地になるのだった。

4003751280アルゴールの城にて (岩波文庫)
ジュリアン・グラック 安藤 元雄
岩波書店 2014-01-17

by G-Tools


・『シルトの岸辺』ジュリアン・グラック著、安藤元雄訳(岩波文庫)

 三百年も前から続く、けれど火蓋の切られぬ戦争。長く続くはずのない状況を強いられる虚ろな穏やかさの中、何かが起こるはずだと待ちに待つ日々は、終末の日が訪れ、勝ち目のない最後の戦いの時が満ちることへの欲求を募らせる。自分が何をしたのか、そもそものところの事態の本質をアルドーが全て悟るまでの長き対話は、物語の中でひたひたと押し寄せる恐ろしさを抱かせた。奥深くに満ちる人々の思惑と権威の縮図さえ、まるごと呑み込んでゆく宿命の力が人間の本質を貫かんとする様。それを冷静に語る覚悟の視点には、どこか美しさが漂っていた。

4003751299シルトの岸辺 (岩波文庫)
ジュリアン・グラック 安藤 元雄
岩波書店 2014-02-15

by G-Tools


・『陰欝な美青年』ジュリアン・グラック著、小佐井伸二訳(文遊社)

 それと知っていても、そ知らぬふりをしようとも、どうしたって向かってしまう逃れようもない宿命の影をひたひたと予感させながら、物語が進むのをただただ読むしかなかった。憑かれたように死と近しい者、それにはたと気づいた時には、自分も引き込まれている。そうして、自分の内にある倦怠を意識する以上に見せられる心地になる。止めようもなく、止まるすべもなく、彼はどこまでも彼であり、その淵に立たされ、戻るすべを失くしている。思えば、始まりすら結末を待っていた。眩暈に似た時の訪れは、物語に漂う甘美な死を痛いほど知らしめた。

4892571121陰鬱な美青年
ジュリアン・グラック 小佐井伸二
文遊社 2015-04-30

by G-Tools


・『森のバルコニー・狭い水路』ジュリアン・グラック著、中島昭和訳(白水社)

 待つ静寂と待つ人のいない静寂。物語全体を包む静けさは、ゆっくりと心情に寄り添いながら、その深みと対極にあるようで近しい側面を見せてゆく。始まっているのか、始まっていないのか。戦争の最中にあって、不確かな状況に置かれている猶予の身の心の拠り所となる森の存在、不安の中にも生まれる運命の徴は、“ここが好きなんです”という言葉と共に、突如として危険を孕んでゆくグランジュの心を静かに開いてゆく。果てる一日。そうしてその果てまで。細部に満ちる心は一人静寂に沈んでゆく様すら魅せる。「狭い水路」での記憶の中の静寂も響く。

456004435X森のバルコニー・狭い水路 (白水社世界の文学)
ジュリアン・グラック 中島昭和
白水社 1981-05

by G-Tools


・『半島』ジュリアン・グラック著、中島昭和・中島公子訳(白水社)

 甘悲しい思い出がそうさせたのか、移ろいゆく時がそうさせたのか。待つことの最中に巡らす思いの豊かさに対して、果てる時の先にある空虚に満ちる幸福に、思わず溜息がこぼれた。待ち焦がれ、その瞬間を想像し、目に映る景色にも溢れてくる感情、孤独と幸福の狭間に何度も揺れる心。すべては待ち人が来るまでの時に濃密に繋がり、魅せる「半島」。待つことを主題に置きながらも、現実と期待の入りまじる夢の佇まいと暗示を散りばめた「コフェチュア王」も心彩る濃密な時を巡らす。街道とそこに生きる女たちに思いを馳せる「街道」も刹那の時が深い。収録作品「街道」「半島」「コフェチュア王」。

4560044058半島 ((世界の文学))
ジュリアン・グラック
白水社

by G-Tools


・『ひとつの町のかたち』ジュリアン・グラック著、永井敦子訳(書肆心水)

 自分をつくっていった、ナントの町。読書を通じて目覚めてゆく想像の世界と自分の間に町が及ぼす影響は、寄宿生活の中で物質的な距離を置こうとも、豊かに心に生き続けた。地図の町とは違う、ただ一人の中にある心の中の町の在り様は、ジュリアン・グラックの視線が鮮やかに生きている。何を見て、何を読んで、何を感じ、何を巡らせたのか。その心がどれほど感受性と知識に満ちていたのかを、溢れんばかりに伝えてくる。そうして、ひとつの町と共に変化を続けた人物が確かな手触りで立ち現れ、私の心の中にもひとつの町が在ることを教えてくれた。プルースト、ジュール・ヴェルヌ、コレット、ボードレール、フロベール、スタンダール、バルザック、ディケンズ、ヘミングウェイなどなど多数の文学作品の魅力にも心掴まれる。

4902854015ひとつの町のかたち
ジュリアン・グラック 永井 敦子
書肆心水 2004-11

by G-Tools


・『街道手帖』ジュリアン・グラック著、永井敦子訳(風濤社)

 188もの断章の意識の波間を漂えば、ジュリアン・グラックの心にある風景を、そこに刻まれた数々の記憶を、その夢と現実、長年に渡り培われた文学と日常の狭間さえ、浸り込むほど近くに感じられる気がして、魅惑に誘われながら読み耽った。とりわけ、生涯のうちに費やした読書の時間について巡らせた箇所や、『失われた時を求めて』を端から端まで読み直したからこそ見えてくる真の主題、愛着を持っていないと言いつつも時々開く『陰欝な美青年』のプロローグ、戦時下まさにアメリカに旅立とうとするユルスナールらと過ごした時間が印象的だった。

4892193844街道手帖 (シュルレアリスムの本棚)
ジュリアン グラック Julien Gracq
風濤社 2014-08

by G-Tools


20161022_55janie_2
過ぎてゆく2016年の10月を惜しむように、記録としてここに記す。これからも良き読書を。良き時間を。Thank you for reading.


*

| | コメント (0)

2016.08.28

イーヴリン・ウォー本尽くし

20160726_0janie イーヴリン・ウォー熱が高まって、7月8月、夢中でひたすら読んだ。読むほどにその心を虜にする、イーヴリン・ウォー作品。あきることを知らずに、(物理的な意味合いで)読めるだけ読んだ、現時点の私の思いを此処に。もっと読んでみたい。もっともっと読んでみたい。読むほどにそんな気持ちがわき上がる読書だった。

*

・イーヴリン・ウォー『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』 (エクス・リブリス・クラシックス)

 二重三重にも巡らせた皮肉や人間のおかしみが深く後を引き、心離さない。そうしてそれらはときに悲しみを滲ませる。「ベラ・フリース、パーティーを開く」での人生最大の高揚を夢見た果ての混乱や虚しさ、やりきれない死にまで見る滑稽、「ラヴデイ氏のちょっとした遠出」でのひたひたと押し寄せる不気味な狂気に見る正常と異常の狭間の危うさ、「勝った者がみな貰う」での兄に肩入れする母親と兄と弟の構図に根深く横たわる切なる悲しみなど、どこまでも冴え渡る人生の皮肉は、著者自身の人生の成り立ちやその心に在った思いを巡らせ、魅せた。

456009909Xイーヴリン・ウォー傑作短篇集 (エクス・リブリス・クラシックス)
イーヴリン・ウォー 高儀 進
白水社 2016-07-09

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『一握の塵』(彩流社)

 誰が悪いわけでもない。その視点は、穏やかに思えていた暮らしが悲劇の方へ向かおうとも、その中に人間の備えた魅力を感じさせる。善良の人に終わらない。それぞれの報われない愛の中で、そこにある孤独はどうしたって埋まらずとも、関係の破綻さえそのままにしない。運命に足掻こうとする懸命な生き方に、惹きつけられずにいられない。もうひとつの結末が加えられたことで、いっそう人生というものの儚さや、そこにある悲しみは深く感じられる。あったかもしれない人生の濃さの分、やがて誰もが一握の塵になる運命を思って、切なく溜息をつくのだ。

4882024195一握の塵
イーヴリン ウォー Evelyn Waugh
彩流社 1996-10

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『ピンフォールドの試練』 (白水Uブックス)

 声に次ぐ声。姿なき敵。どこまでも翻弄され、心引き裂かれんばかりの嫌悪と憤激がひたひたと押し寄せる。人間の奥深くにある醜さや悪意を顕わにする下等な遊戯の果てにたどり着く物語は、小説家の内面をこえて、著者その人の心の内を近くに思う。何処から何処までその心が耐え得るか。その限界とその果て。思えば、すべては危うくそう在るのかもしれない。ピンフォールド氏に限らず、此処にこうして過ごす誰もかれも皆、多かれ少なかれ置かれている日常、その人生は地続きで足をすくわれる。巡らせばもう、すべての人生は皮肉に満ち、物語になる。

4560071969ピンフォールドの試練 (白水Uブックス)
イーヴリン ウォー 吉田 健一
白水社 2015-01-07

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』(岩波文庫)

 人の精神を形作るもの。それを支えるすべ。物語に巡る心に在る苦悩の行方や密やかに根付く信念を感じるほどに、生き方の示す本質を思う。青春の倦怠を伴い、ときに自分を恥じ入り、暗い影を纏ってゆく過程は、どこか破滅へと向かう美意識を抱かせる。思い出されるブライズヘッド邸とその一族の姿は、その始まりはどうあれ、崩壊に至る悲劇の中の一役を語り手も確かに演じていた。“古昔ハ人ノミチミチタリシ此都邑イマハ凄シキ様ニテ坐シ。伝道者曰く、空の空、空の空なる哉、都て空なり”言葉はすべてを語り尽くせなくとも、奥底に溢れる心を思う。

4003227727回想のブライズヘッド〈上〉 (岩波文庫)
イーヴリン ウォー Evelyn Waugh
岩波書店 2009-01-16

by G-Tools
4003227735回想のブライズヘッド〈下〉 (岩波文庫)
イーヴリン ウォー Evelyn Waugh
岩波書店 2009-02-17

by G-Tools


・イヴリン・ウォー『ガイアナとブラジルの九十二日間』 (海外旅行選書)

 ただ旅するのではない。地面を這いずり回ることで知る地方がある。その地に住む人々に流れる血を実感として知るのは、旅で起こる出来事と直面し、出会う人々の生き方を知るゆえなのなのだろう。重ねてゆく経験、その苦労や逡巡が本来の旅の味わいだと、著者は力を込める。そもそもの目的も無きに等しく、地図も役に立たないほどの、ルートの変更に次ぐ変更。予定すらも曖昧なまま、旅の途中で調べを進めるという気の向くままの旅にしては、あまりにも過酷な探検の趣の旅路へと著者を駆り立てたものを巡らせば、何だかすべてが愛おしく思えてくる。

4809907031ガイアナとブラジルの九十二日間 (海外旅行選書)
イヴリン ウォー Evelyn Waugh
図書出版社 1992-05

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『大転落』(岩波文庫)

 罵詈雑言を心の中でつぶやくことすら不慣れなポールが、次々巻き込まれて辿る道が、ユーモアと皮肉を交えて展開してゆく。おかしいくらいに賑やかに、自分を主張して立ち回る周囲の人々に対して、ポールは静の人に思える。成り行きを見守る姿勢は、物語の主人公の位置すら途中危うくなるほどで、そのことまでもつぶさに描いてしまう著者の視点の自由さに、思わず何度もくすりと笑みがこぼれる。気がつけば、どんな状況下にあっても、ポールはポールとしてそこにいる。まるで物語がまだ始まっていなかったように、すべてを受け入れ、佇んでいる。

4003227719大転落 (岩波文庫)
イーヴリン・ウォー 富山 太佳夫
岩波書店 1991-06-17

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『愛されたもの』(岩波文庫)

 イギリス人の経験としてのアメリカ。その視点にある皮肉がいつまでも響く。そうしてそこに“愛されたもの”という言葉の意味する響きの悲哀と儚さが重なる。全体を漂い、貫かれてゆく著者の鋭い諷刺を込めた視点や死生観は、デニス、エイミー、ジョイボイの三角関係をどこか淡く遠くに思わせるほど、色濃く感じられた。すべてはイギリス人であるデニスが感じたアメリカ。サー・フランシスの悲劇は、その一部。端々に登場する詩は、そこに在ることの一部。かつて愛したものを待つ、その時間すらも経験の一部でしかない気がして、切ない余韻が巡った。

4003227743愛されたもの (岩波文庫)
イーヴリン・ウォー 中村 健二
岩波書店 2013-03-16

by G-Tools


・イヴリン・ウォー『ヘレナ』(文遊社)

 読まれるための物語がここに在る。立ち現れるヘレナは、次第に聖ヘレナ然としてくる。そこにある時の流れも環境も起きた出来事も、思えばすべてはヘレナをヘレナたらしめるものだ。“千年もたった後には何をどう信じるものでしょうか?”巡らせば、語り継がれる伝説を信じるも信じないも、何を正しいとするも、私たち自身に委ねられている。すべての歴史には不可解な空隙があり、埋まらぬことがある。当時何が起こったのか、すべてを知るすべはない。けれどそれでも描くということ、それでも信じるということ。つまりは希望だと確かに思うのだ。

4892570869ヘレナ
イヴリン・ウォー 岡本浜江
文遊社 2013-08-09

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『卑しい肉体』 (20世紀イギリス小説個性派セレクション)

 同じ場所に留まらず、とにもかくにも動き続ける人々が次々立ち現れる物語は、始まりに置かれた『鏡の国のアリス』の女王の言葉に、はっと立ち返らせる余韻を残してゆく。中心に描かれるのは、これといった特徴のない、ただただ退屈を恐れているような面々。アダムにいたっては過去さえも奪われて、どこか現実味のない陽気さと若さが始終漂う。何度も繰り返し結婚を見送る掴み所のなき恋人との関係も、大金を得ては失う愚かさも、人を惑わすが如く記事も、繰り広げられるとぼけた会話も、すべては“続ける”という一端、愛しき切なる要素に思えた。

4404042450卑しい肉体 (20世紀イギリス小説個性派セレクション)
イーヴリン・ウォー 横山 茂雄(責任編集)
新人物往来社 2012-09-12

by G-Tools


・イーヴリン・ウォー『スクープ』 (エクス・リブリス・クラシックス)

 同じブートという人違いゆえに、海外特派員に仕立てられてしまったウィリアムの巻き込まれてゆくジャーナリズムの世界の報道合戦と、それを待つ人々や上流階級の人々、彼を利用しようと企む人々のドタバタが、ユーモアと風刺を込めて展開されてゆく。随所に挟まれる皮肉は何度もくすりときて、頁を捲る手を逸らせる。状況や人々に翻弄されているように思えたウィリアムが、起こる出来事一つ一つに折り合いをつけ、静かに将来を見据えて自分の人生を歩んでいることが伺える箇所に出会うたび、この喜劇物語の深みと人間の本質を巡らせていた。

4560099073スクープ (エクス・リブリス・クラシックス)
イーヴリン・ウォー 高儀 進
白水社 2015-05-19

by G-Tools

*

20160827_40bob こうしてイーヴリン・ウォーの作品を何冊も読んでみると、その人生や、そこから生まれる皮肉、作品の幅の豊かさに、続けて読んでもあきることなく、すっかり魅了されていた。喜劇悲劇が表裏一体の作品はもちろん、それだけに終わらぬ描き方、がらりと作風を変えてゆく作品もまた、とても味わいがある。心情を詳しく描かずとも、人物を生き生きと読み手に伝えるところにも、書き手としての力、その魅力を読むほどに強く強く思うのだった。

*

Thank you for reading.

| | コメント (0)

2016.04.23

失われた時を求めて

20160410_4028janie これまで長い物語をことごとく避けてきた。日々読書の時を積み重ね、物語を求め、物語に焦がれ、寄り添えば寄り添うほどに、未熟な読者である私には到底読み通すことなどできないと、どこかで諦めていた。それでもずっと焦がれてきた物語には、何度も出会う。物語は何度も目の前に立ち現れる。読むべき時やそのきっかけは自然とやって来る。書店で、図書館で、ネットで。本が本を連れてくることもある。そうやって何度だって目を留めてしまう。まだ無理だ。そう目を逸らしてきた日々は、憧れを積み重ねた。そうして、その物語を大切に思う人との出会いまで連れてきた。長き物語を読んだことがある。長き物語を読もうとしている。物語と向き合う、向き合おうとする。そうしたいくつもの結びつきは、長き物語を知った時から、少しずつ、確かに、長き歳月をかけて自分自身にしみわたり、正面から向き合う時を待っていた。待っていてくれた。

 2015年7月、私は『失われた時を求めて』を読み始めた。焦がれてきた長い時を慈しむように、長い時をかけて、一頁一頁ちびちび物語の頁を捲った。物語にどっぷり浸るときもあった。少し距離を置くこともあった。他の物語に気を取られ、他の本にプルーストや『失われた時を求めて』が登場して、はっと我に返ったりもした。プルーストのことを、その作品のことを語る本はあまりにも多い。読めば読むほどに『失われた時を求めて』を読まねばならないという気持ちにさせられるのだった。読むまでの長き道、読み終えるまでの長き道を思って、途方に暮れそうになったこともある。けれども物語は待っている。待っていてくれる。私が追いつくのを、そこに行くのを、辛抱強く待っていてくれる。それは物語を読む読者にとっての、変わらない救いのように思える。だから読む。いつかきっとそこに行くと物語の入り口で決意する。きっとそこに行く。不確かな思いがいつからか変わっていた。必ずそこに行く、へ。

 2016年4月。約10ヶ月の果てに、ようやく私は物語の出口にいた。全13巻。読み終えるのが惜しくて、行きつ戻りつちびちび残りの頁を捲った。そうして私の中には、ひとつまた物語が加わった。大切な物語として、ここに。


・『失われた時を求めて1』 2015年7月23日読了
スワン家の方へⅠ マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

眠りに引き込まれて夢と現をさまよう書き出しから、物語に始終魅せられていた。目覚めて思い出すコンブレーでの幼年時代の記憶は断片的ながら、母のおやすみのキスを求める気持ちに心揺さぶられ、愛おしさでいっぱいになる。やがてある冬の日に紅茶に浸したマドレーヌによって記憶は生き生きと蘇り、過去のコンブレーとそこで出会った人々のこと、叔母を通じて知る老年の深い諦め、青い目の輝きに見た恋の刹那、将来を夢見る心などが語られる様子は、失われていた時間を少しずつ確かなものにして、これから続く長い物語への期待が高まる始まりだ。

4087610209失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-03-17

by G-Tools

・『失われた時を求めて2』 2015年7月26日読了
第一篇スワン家の方へⅡ  マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳 集英社

恋の盲目的なこと。愛のかたちの多様なこと。それを前にした愚かなまでの誠実さと、それを上回る賢さがあること。スワンの恋をめぐる物語を読みながら、繰り返しそんな思いがめぐっていた。渦中にいる人々はわからぬことをこうして知ってしまう、どこか後ろめたいような心地も抱かせる。語り手がめぐらす過ぎ去った歳月。それに伴う時の隔たりは、もう戻らぬ日々や現実、場所、家、道、通りなどへの追憶をさらに色濃くしていった。記憶の情景は矛盾を抱えていても、こうして物語としてここに在る。その事実は、戻らぬ過去よりも確かなことに思えた。

4087610217失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-03-17

by G-Tools

・『失われた時を求めて3』 2015年8月17日読了
第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅠ マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

スワン夫人の圧倒的な存在感にくらくらしながら魅せられていた。物語られるほどに、あのオデットがより貴婦人然としているように思えて、そこまでに流れた時間をめぐらせてしまう。語り手とジルベルトとの関係は、これまで語られてきたスワンとスワン夫人との関係を思い起こさせ、そこに横たわる思いに揺さぶられる。どの恋愛にも通ずる苦悩は、ここでは若さゆえにどこか独りよがりで、駆け引きすら駆け引きにならないところが、惨めで悲しい。恋の終わりを受け入れる過程は、愛した日々の儚さを思わせ、時の流れと共に切ない余韻を残していった。

4087610225失われた時を求めて〈3〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-05

by G-Tools

・『失われた時を求めて4』 2015年9月6日読了
第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

バルベックでの青春の記憶が紐解かれてゆく。その地に着いたときの不安は、少女たちの姿や恋をしたいという望みによって掻き消え、語り手の若さゆえの浮ついた心が何だか微笑ましくもある。今この瞬間を楽しもうとする彼の思考の中にある少女たち、彼女たちと関わる上で思い出される記憶が、駆け引きを知らなかった語り手を少しずつ大人にしてゆくよう。語り手の中に生まれる様々な感情は、初恋の別の顔を見せていた。また、他人には分からないようなことのために人がどれほど苦しむかを知る、シャルリュス男爵の放つ言葉とその存在感が印象的。

4087610233失われた時を求めて〈4〉第二篇 花咲く乙女たちのかげに〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-05

by G-Tools

・『失われた時を求めて5』  2015年11月5日読了
第三篇ゲルマントの方Ⅰ  マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社

パリのゲルマントの館の一角に引っ越してからの日々は、ゲルマント公爵夫人に近づこうとするがための行動と思考が巡り、想像と現実の中で悶々とする様子が何だか可笑しい。彼女のいる散歩道、彼女と親しくなるための友人との時間。やがて思い描いていた人物像が崩されてゆく過程は、足を踏み入れ始めた社交界の人間模様を様々に描き出してゆく。自分自身がどう他者に映り、どう語られているのか。その実情にふれる場面が印象的だ。また、眠りについて書かれた、無意識の中に広がる幻想と目覚めの蘇生についての語りも魅力的で惹きつけられた。

4087610241失われた時を求めて〈5〉第三篇 ゲルマントの方〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-08

by G-Tools

・『失われた時を求めて6』 2016年1月4日読了
第三篇ゲルマントの方Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

はっと胸を打つうら若い娘のような祖母の臨終の時の姿が、そこだけ静謐な忘れ難い光景として浮かび上がる。その後続くアルベルチーヌの不意の訪問からの、どことなく不謹慎にも感じられる恋愛描写の雰囲気に違和感を覚えつつも、続いて描かれるこれまで一方的に慕っていたゲルマント公爵夫人を始め、社交界の人々と語り手が言葉を交わすようになる様子に呑まれるように浸っていた。ゲルマント家の世界でのかけひき、大貴族然と振る舞う姿や才気は、社交界の現実を映し出してどこか虚しい。そして、久しぶりのスワンの姿に心を掴まれていた。

408761025X失われた時を求めて〈6〉第三篇 ゲルマントの方〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-08

by G-Tools

・『失われた時を求めて7』 2016年2月1日読了
第四篇 ソドムとゴモラⅠ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

冒頭から浮かび上がる同性愛の主題、ゲルマント大公夫妻のサロンの様子、そこで蠢くソドムの男たち、ドレーフェス事件が社交界に及ぼす影響、病身のスワンとの語らい、食い違い始めるアルベルチーヌとの関係、漂い出すゴモラの世界……と様々に展開する中で、とりわけ「心の間歇」と題された部分は鮮烈な印象を残した。二度目のバルベック到着の夜にふいに思い出される亡き祖母との記憶は、埋葬から一年以上も経って初めて実感として立ち上る。確かな愛情、その死への悲しみ。永遠に失ったことを悟る過程で、はっと母の苦悩を思う部分が愛しい。

4087610268失われた時を求めて〈7〉第四篇 ソドムとゴモラ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2006-10

by G-Tools

・『失われた時を求めて8』 2016年2月4日読了
第四篇ソドムとゴモラⅡ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

表層と心のうち。それを始終巡らす展開に眩暈を覚えながら、頁を捲るのを止められなかった。ヴェルデュラン夫人のサロンの様子にしても、シャルリュス氏に向けられる視線にしても、アルベルチーヌに対する愛情と激しい嫉妬の交錯にしても、語られるほどにその表層と心のうちの差を思わずにいられなかった。見抜かれぬように。見抜いていても、悟られぬように。冷めては熱し、繰り返し、揺れながら、揺さぶられながら、人の思考は変化する。祖母の面影を抱かせる母の姿は、語り手の人間性を救うように、その若さを包み込むように存在感を放っていた。

4087610276失われた時を求めて〈8〉第四篇 ソドムとゴモラ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル・プルースト 鈴木 道彦
集英社 2006-10

by G-Tools

・『失われた時を求めて9』 2016年2月5日読了
第5篇囚われの女Ⅰ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

愛ゆえの嫉妬とそれをこえた揺らぎの果ての、執着を感じさせるアルベルチーヌとの暮らしの中での語り手の心のうちにある、倦怠と苦悩の日々がつぶさに描かれてゆく。他者の本当の心のうちは、どうしたってすべては知り得ない。その普遍的な事実を、読みながら突きつけられたような心地になった。悲しき宿命が示すのは、傍にいたとて、所有する心を満たしたとて、どこか虚しき関係に思える。そうして、きっとそれを辿ることとて。ふいに記されるスワンの死にはっと胸を締め付けられながら、この物語に魅せられる理由を、辿る意味を探していた。

4087610284失われた時を求めて〈9〉第五篇 囚われの女1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて10』 2016年2月6日読了
第五篇 囚われの女Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

人が顚落してゆくその過程をつぶさに見つめている視線と、それを捉えながらも止めどなく溢れてくる語り手の抱える苦悩、そして端々に登場するスワンの影に、忙しいほどにはらはらと心を掴まれつつ読む物語は、ここにきてさらなる魅力を放っていた。アルベルチーヌを囚われの女としていた語り手自身が、自分の想像の果てに囚われていたこと。真実がどうあれ、それを少しずつ自覚してゆく思考は、どこか読者をほっとさせる。後半展開する音楽に文学論を絡めてゆく語りは、それまでの視線に新たな説得力を加えて、その思考を深いものに感じさせた。

4087610292失われた時を求めて〈10〉第五篇 囚われの女2 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて11』 2016年2月29日読了
第六篇 逃げ去る女 マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

すべては失われた時の中。愛するものは過去の中に埋もれている。愛したもの、苦しめたもの、絶えず見ていたもの。それは一面にすぎず、思い出は真実とは限らない。過去の真実がどうあれ、苦悩を鎮めてくれる言葉を苦悩は知らない。多くの知らなかった時間を辿り、亡き人の隠された姿を探り、虚しくも執着を見せるその過程は、悲しいかな忘却とも結びつく。色褪せてゆく記憶は残酷にも求める過去を作り出す。そんな不器用にめぐる思考は、どこか愛おしい。物語の救いに感じられるのは、社交界でなく、文学を求める心を強く意識し出す語り手の思いだ。

4087610306失われた時を求めて〈11〉第六篇 逃げ去る女 (集英社ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-01

by G-Tools

・『失われた時を求めて12』 2016年4月10日読了
第七篇 見出された時Ⅰ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

多くの歳月が流れ、短い生涯を終えた人々や老いゆく人の姿がある中、見出されてゆく失われた時の手触りが、物語の核を感じさせる。不揃いな敷石の感覚や皿にあたるスプーンの音、ナプキンのかたさ、そうして思い出されるマドレーヌの味に抱いた幸福感に始まった瞬間に蘇る記憶は、十全に生きられた真の生を見出し、それこそが文学だと思い当たる過程をつぶさに描く。これまでの生涯の一つ一つの出来事が、これから書こうとするすべてに結びついてゆくこと、そしてすべてはスワンとの出会いに始まったこと。起こるべく過ぎた時に胸がじんと熱くなる。

4087610314失われた時を求めて〈12〉第七篇 見出された時(1) (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-03

by G-Tools

・『失われた時を求めて13』 2016年4月14日読了
第七篇 見出された時Ⅱ マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社

変わらずに今もなお結びつく瞬間。自分自身も知らぬうちに無限に広がる過去の記憶。時の中に見出してゆく人間の占める場所の長きに渡る歳月をめぐらせて、自分自身の内部にある日々と今ある日々を自らの一生として、支えにさえ思う箇所は、とりわけこの長き物語を一頁一頁読み進めてきた時間を、どこか格別の愛おしさに感じさせた。人生が様々な人間や出来事の間に神秘の糸をめぐらせてゆく真実、つきまとう死の観念、芸術の残酷な法則。それでも、今こそ作品にとりかかるべき時であるという言葉は、ここにある物語に、その人生に光を抱かせた。

4087610322失われた時を求めて〈13〉第七篇 見出された時(2) (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
マルセル プルースト
集英社 2007-03

by G-Tools

 私が実際に読んだのは文庫本ではなく、単行本のほうの『失われた時を求めて』でしたが、リンク先はお求め易い文庫のほうにしてあります。ご了承くださいませ。なお、岩波文庫、光文社古典新訳文庫などでも、この物語は読むことができます。

 全13巻にもわたるプルーストの『失われた時を求めて』。この物語にどっぷり浸ったり、他の物語に寄り道して少し離れたりしながら、約10ヶ月かけてようやくすべてを読了してみて心にあるのは、読んでいた時間の愛おしさだ。今となっては、物語に寄り添っていた時間はすべてがただただ愛おしく、物語の終盤には登場人物たちへの親しみと懐かしささえ込み上げていた。こんなにも長い物語を読んだ経験は、私にとって初めてのこと。読み終えた余韻に浸っていると、何だか胸いっぱい、愛おしさでいっぱい。濃密な読書だったと心から思う。そうして、これから先は長い物語にもっと果敢に挑んでゆこうという思いを強くしていた。

 ふと『失われた時を求めて』を読む以前に読んでいた、パトリック・モディアノの『失われた時のカフェで』のことを思い出す。モディアノ作品の読み心地は私にとっては特別で、この作品を読んでプルースト作品への期待と憧れを強くした日の気持ちを懐かしいような愛おしさで抱きしめたくなる。プルーストの『失われた時を求めて』を読み終えた今でも、モディアノの『失われた時のカフェで』という作品が、プルースト作品を意識しつつも、モディアノ独自の世界観と文体を持った作品であると改めて思う。

 「失われた時」と付くタイトルもまた、これまでよりもさらに特別な思いで、今眺めてしまう。時、その意味するところの響き、めぐらす余白を見せる奥行き、感覚的なものを含め、想像を幾重にも広げる言葉の組み合わせ。文字の並びだけでも魅力的な上に、そこには物語がある。確かに作品となって存在している。読者としての喜びは、私の中ではそこに尽きる。そうして、そういう思いを抱かせる物語を読めることにただただ感謝の言葉しかない。

・『失われた時のカフェで』
パトリック・モディアノ著 平中悠一訳 作品社

行間を読ませ、あからさまな愛の言葉を用いずに、抑制の利いた文章で誰かへの痛いほどの深い愛情を読み手に伝えてくるところに惹かれる。時間も記憶も縦横無尽に行き来する語りで物語世界へ誘い、今と過去とその先が同じ場所に横たわり、くらくらと眩暈を覚えるくらい不思議な切なさがそこにある。複数の語り手によって浮かび上がるルキという女性の謎めき、永遠の繰り返しという言葉の魅惑。同じように始まり、同じ出会いが繰り返される日々。答えのないままに残される問いが、いつまでも、そしてじわじわと後を引き、記憶の中に甦るよう。

4861823269失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ 平中 悠一
作品社 2011-05-02

by G-Tools

 マルセル・プルースト『失われた時を求めて』、パトリック・モディアノ『失われた時のカフェで』。どちらも私にとっては魅惑。魅力の尽きない物語たち。失われた時の物語が多くの人に読まれますように。そっと願いを込めて。
 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

| | コメント (0)

2016.03.28

プニン

20160326_5007doris 読むほどに愛おしさが募ってゆく。プニンという人を語る視線は親しみに満ちている。われらがプニン。そう語る言葉は、だからこそ時に容赦ない。愛があるゆえに容赦ない。見つめる目はあたたかい。だからこそどんな部分をも語る。語り尽くすべく語る。どんなに哀れであろうと、滑稽であろうと、われらがプニンはプニンであるがゆえに愛おしい。そうしてはたと気づく。プニンの物語に寄り添う、人を見つめてゆく行為の先にある愛情を。人を見つめること。そうして知ってゆくこと。そこにあるべき愛のこと。人は人であるがゆえに愛おしいということを。

 ウラジーミル・ナボコフ著、大橋吉之輔訳『プニン』(文遊社)。プニンという人物を語る視線は、どこか優位に立ちながらも、そこに親しみが満ちている。“われらがプニン”、“わが哀れなプニン”、“わが友プニン”“われらが友”という言葉は、だからこそ時に容赦ない。けれど漂ってくるのは、人間愛を思わせる愛があるゆえの容赦のなさのように思えてくる。見つめる目はあたたかい。だからこそどんな部分をも語る。語り尽くすべく語る。どんなに哀れな姿であろうとも、どんなに滑稽な姿であろうとも、われらがプニンはプニンであるがゆえに愛おしい。そんなふうに感じるのは、プニンに対するナボコフ自身の思いと、そこに人生を重ねる姿を見るからかもしれない。亡命のこと。時代のこと。文学に対する思いのこと。心を添わせたくなる人生のこと。物語の端々で、ナボコフを思わずにはいられなくなる。

 そうしてはたと気づくのは、プニンの物語に寄り添っている読み手のこと、自分自身のことへと向かう思いだ。プニンに限らず、人を見つめてゆくその行為の先にある愛情について。人を見つめること。そうして知ってゆくこと。そこにあるべき友愛のこと。人は人であるがゆえに愛おしいという人間愛のこと。物語のひとつひとつのエピソードやそれを語る人物の存在をまるごと全部信じられなくとも、信じられるのはそういうことだ。プニンの物語を、ナボコフのひそやかなる企みを含めて愛おしく思う、それが素直な私の感想だ。

 細かな部分では、“プニン的な”とか“プニン化”という表現も物語の中で目を引いた。プニン、という名前自体も、ぱぴぷぺぽの語感が好きな私にとっては特別な愛おしさを覚えるが、何度も登場するプニンという響きと、人物への愛着を呼ぶ描かれ方がとても魅力的に感じた。それからプニンが静かにさめざめと泣く場面。不必要なほどがっしりした両肩を震わせる場面。大きく鼻をすすりあげながら泣き叫ぶ場面。何か言おうとして結局口に出さずサラダを食べ続ける場面。少年時代を涙ながらに思い出す場面。プニンへの愛おしさが増すのは、こういう場面でプニンの心を知ってゆくからかもしれない。

 物語の中ではっと目を引く、銀器が布巾からすべり抜けて、屋根から人間が落ちるように落下した部分。ハーゲンに宛てた手紙の続きに押し込めた気持ち。人生の中の哀しみが、プニンをさらに愛おしい存在にさせるようで、その二重の哀しさが、余計に物語を愛おしくする。そうして、ジャック・コッカレルのプニンの真似。それも少なくとも二時間もの完璧な。結局皆、プニンのことが愛おしかったのではないか。そう感じられて、いっそう愛すべき物語に思えてくるのだった。

 “われらがプニン”という言い回しがすごく好きだ。”わが哀れなプニン”と書かれていても、わたしの中では脳内でいつのまにやら「わたしの愛しのプニン」にまで変換されてしまっている。考えてみれば、その時点でもう、ナボコフの企みにはまってしまっている気もする。油断ならない『プニン』。

4892570745プニン
ウラジーミル・ナボコフ 大橋 吉之輔
文遊社 2012-09-26

by G-Tools


| | コメント (0)

2016.03.27

冬の物語

20160118_4001ma_2 こんな話があるのです、と次々語られるがごとくここにある十一もの物語、そのまた物語に、著者の人間性の深き魅力を感じる。物語られる人生の中にある無数の感情は、推し量る以上に、書かれていること以上に溢れてくる。そしてそこにある気高さは、きっと登場人物たちだけでなく、著者自身でもあるのだろうと、ひとつひとつの物語を読み重ねるほどに思い至る。そうして心の在り方は、真っ当であるべきだと強く感じ入る。人生と世界への深い洞察は、読みながら何だか試されている心地にもなる。過去、今、その先。そこにいる自分を、そこにあるものが語り出すのを思わず見つめたくなる。

 イサク・ディネセン著、横山貞子訳『冬の物語』(新潮社)。思わず物語を語り出す姿を想像しながら読んだ、最初に収録されている「少年水夫の話」は、少年とハヤブサの関係のおとぎ話のような展開と再会に加え、そこに無鉄砲なまでの恋心の一途さゆえの殺人まで絡んで、少年の人生のひと時を、一瞬にして最後の一行で老人にする描き方にはっとする。“生きながらえた”という言葉の重みを、この短い物語に感じて、思わず深く溜息。きっと語られる少年の人生には、書かれていない感情が沢山ある。語られなかった人生も当然ながら長きに渡って続くのだ。起こった出来事から人が生きながらえる、というその過程と、語れるようになるまでの人生というものの果てしなさに、思いを馳せてしまった。
 
 続く「カーネーションの若者」は、何といっても物語展開に魅せられる。映像としてひとつひとつの人物の感情の動きや場面の動きが魅力的に感じられそうなほどドラマチック。青年の抱え続けている思考、それゆえに見つめる先にあるもの、カーネーションを胸に挿した若者に見た人生の意義となる栄光、つぶさに捉える妻の様子、出会う人々との会話、ひと晩の中に繰り広げられる思考の為せる人生の変化に、自然と惹き付けられてゆく。そうして、やがて人生の中で過去になってゆく出来事の境を覗き見てしまったような心地になりながら、こうして文章を書き留める自分自身の思考にも何だか呑まれそうになる。

 続く「真珠」の思考が行き着く先の“百年もたてば、みんなおなじことになる”という言葉に、人生の無常に近いものを感じました。この先百年たって、そのまま残るのは真珠の首飾りだけ。百年後には、自分はその真珠の首飾りに纏わる話の登場人物になっている。百年の単位で物事や人を見れば、何もかもが悲しくもやわらかな思いになる。幸せにも優しくもなれる。こういう思考が生きてゆくすべなのかもしれない。そんな思いを抱かせる。続く「無敵の奴隷所有者たち」では、“人間とは、なんと奇妙な生きものだろう”という言葉が後を引く。観察の人、アクセルの見つめる視線、その思考、その行き着く思いが見せてゆく真実、偽り続ける二人の姉妹の姿の滑稽さは、滝の姿やフーガの形式を前に、愚かしくも不調和で滅びゆく姿だからこそ、それぞれに違う人生を見せる人間の魅惑を感じさせる。

 続く「女の英雄」では、思わずはっと時の流れと、その流れの中でも変わらぬものを大切に感じていた。人の気高さというものは、この物語の人々の中にあると思い至って、悲しき時代の中において、それでも守るべきものや心の在り方というのは、真っ当であるべきだと強く感じ入った。ディネセンの人生と世界への深い洞察は、読みながら何だか試されているような心地にもなる。続く「夢を見る子」では、“人生で、この子は私とおなじくらい孤独なのだ”そうエミーリエが感じ取る場面が忘れ難い。夢を見、そして実現した人の魅力を放つ子供との関係の中で心の中に生まれてくるエミーリエの感情の動きが、胸を締め付けるよう。“あの子を愛せなかった”そんなふうに思う言葉以上の感情が、行間からあふれてくるようで。過去、今、その先。その狭間にある感情は誰しもあることにはっと気づく。そして、ここにいる自分を、ここにあるものすべてが語り出し、何かを顕わし始めるのを見つめたい心地になる。

 続く「アルクメーネ」のイェンスというのはその前の「夢を見る子」とも繋がっているのか。物語の共通項をめぐらせた。そして、時の流れと人生というものの中にある無数の感情を思っていた。文章が無駄なく紡ぎ出されるほどに、推し量れないほどの感情がそこにある気がして。その気高さは、きっと登場人物たちだけでなく、書き手である著者、ディネセン自身でもあるのだろうと、ここまで読んできて思い至ってはっとする。続く「魚」では、事の顚末、というものの定めを思う物語のように感じた。出来事というのは心の在り様でどんなふうにも変化する。幸せを求める気持ちも、そこにある孤独も。ならばそれは、真っ当であるべきだと。たとえ時が流れようと変わらずに真っ当であるべきだと。王ならばなおさらだと。そんなふうにこの短い物語に思った。

 続く「ペーターとローサ」は、誰かの心を理解したいという気持ちと、それを妨げかねない自分の抱える気持ちとの狭間での葛藤、心の在りようの果てしなさを感じながら読んだ。推し量ることのできない人の心の深さは、もしかすると海よりもずっと深いのかもしれない。永遠に知り尽くせない。心にある感情は、一人一人皆違う。他者と自分との関係の狭間に思いを馳せながら、ペーターとローサの行方を追っていた。そして真っ当である二人が、その狭間をこえて抱き合い、だからこそ海の深みに呑み込まれていったのだと、ただただ信じたくなった。

 続く「悲しみの畑」は、“愛するもののために死ぬ/その苦しみは甘やか”悲しくも美しく響く旋律が、そこにある人の姿が、いつまでも胸を締め付けた。言葉に尽くせないほどに甘美なわざは、同時に人間の奥深さであり、その人生の奥深さだと感じ入ってしまう。繰り返される対話の行き着く悲しさは、どれだけの時が流れても悲しさであってほしい。悲しみとして、心に刻まれるべきだと思わずにはいられなかった。続く「心を慰める話」は、物語の中の物語の魅惑に捕らわれた心地になった物語。これまでの物語にも、物語の中で物語られることはあっても、ここまで大胆に語られると、思わず前のめりで惹き付けられてゆく。ディネセンの求める物語の果てしなさ、そこにあり、続いてゆく魅力を、改めて知った心地になったのだった。

4105069810冬の物語
イサク ディネセン Isak Dinesen
新潮社 2015-12-18

by G-Tools


| | コメント (0)

2016.02.07

アドルフ

20150205_4032 私はまだ、愛を語るほど愛についての多くを知らない。愛がどれほど深いものであるのか、そしてそれがときにどれほどの幸福と不幸を生むのか。それを確かには知らないのだ。自分自身の意識するところでも、意識しない部分でさえも、やわらかに包み込むような愛情を確かには知らぬと思うのだ。目に見えるものではない愛情には手触りがなく、心で感じるものだと知っていても、どこかでいつも確かな愛を欲しがる思いがくすぶっている。愛を乞うばかりで、惜しみなく与えることを知らぬ者としての自分自身を、いつも不器用に抱えている。

 コンスタン著、中村佳子訳『アドルフ』(光文社古典新訳文庫)に描かれる愛を読んだとき、アドルフとエレノールの関係について愚かしく不幸だと感じながらも、遠い時代の他人事のようには思えなかった。客観的に見ても決して似ているわけではないのに、私自身の経験が及ばぬところなのに、物語の端々で自分自身を、心を重ねていた。それは、二人が愛のどつぼにはまるがごとく、ずるずると果てしなく苦しく関係を続けてゆくほどに、そこに本当の意味では愛を知らない二人を見たような気がしてしまったからかも知れない。登場人物の心理は、自分自身の心の内のように重なったのだった。私はアドルフだったかも知れず、エレノールだったかも知れない。そんなことを思わせた。

 アドルフとエレノール。物語を通して見えてくるこの二人の関係の不幸は、自らが招いたもののようにも感じられる。二人のそれぞれの人としてのあり方、その人間性といったものに目が向くのだ。アドルフの不幸はもともとの愛するという能力に、エレノールの不幸はその激しい感情の中にあるとも思える。それに加え、社会に承認されない二人の愛は、必要以上の苦しみを生んでしまったのではないかと。いつまでもしがみつく愛と、口実を見つけてそれを破壊しようとする愛。交わらない愛と呼べるか悩ましいほどの不幸な関係は、自らが招いたことだと知らしめるには十分かも知れない。

 けれど、果たしてそうなのだろうか。私たち一人一人は、愛する能力を持っているだろうか。誰かを愛するために必要な人間性を備えているだろうか。日々の生活の中で、激しい感情が生まれることだってあるだろう。今ある関係を手放したくないと、しがみつくことだってあるだろう。ときには言い訳を見つけて逃げ出そうとする気持ちだって生まれることがあるだろう。愛する対象として、自分に都合のよい相手を選ぶことだって少なからずあるのではないだろうか。恋愛関係に限らず、どんな関係においても、そうしたことは我が身に置き換えてまったく当てはまらない人などいないのではないだろうか。愛を乞う人ならば、身につまされる人は多いに違いない。

 アドルフやエレノールと自分自身を重ね合わせるとき意識させられるのは、関係性というものだ。そして、どんな関係においても決して縁を切ることのできない、自分自身の存在がある。思わず省みてしまう奥底に見えるのは、愛を語るほど愛についての多くを知らない未熟さだ。愛がどれほど深いものであるのか、そしてそれがときにどれほどの幸福と不幸を生むのかを、本当の意味では知らないということだ。恋愛に限らず、家族愛、友人愛、いろいろな愛が溢れる中で、その愛を確かなかたちで実感することは難しい。だからこそ愛は奥深く、尊いものなのだとも感じられる。その尊さゆえに、不安にもなる。心細くもなる。感情的にもなる。ときにそれを重たいとも感じる。確かな愛を欲しがる思いがくすぶってもいる。愛を乞うばかりで、惜しみなく与えることを知らぬ者としての自分自身を、いつも不器用に抱えている。それはまるで、もう一人のアドルフだったかも知れないし、もう一人のエレノールだったかも知れない、まぎれもない私自身だと思うのだ。

追記
この文章は2014年に書いたものです。

433475287Xアドルフ (光文社古典新訳文庫)
バンジャマン コンスタン Benjamin Constant
光文社 2014-03-12

by G-Tools


| | コメント (0)

2016.01.02

オルフェオ

20160102_4009janie_4 いくつかの物語の軸が結ばれ、ひとつになる。今、過去、そしてもうひとつの、少しずつつながりを見せる言葉の行方を追ううちに、ピーター・エルズという人生に引きつけられていた。彼が望んだこと、その甘美さに孕む危うさの中で、言葉は音楽と共に彼の迷いと間違いに満ちた人生を語ってゆく。友人、妻、娘、彼を愛した人々、彼を信じた人々との時の中で、彼がめぐらす思考はシンプルな答えに行き着く。何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか。変えられない、戻れない人生、自分自身を抱えた先にある音楽。その果てしなさにそっと息をついた。

 リチャード・パワーズ著、木原善彦訳『オルフェオ』(新潮社)。本文の中で展開する今と過去の物語と、それに絡まる音楽史、枠でくくられた短文が、少しずつ結ばれ、ひとつの物語になってゆくほどに、夢中になり、ピーター・エルズという一人の男の人生に引き込まれていた。誰も聴いたことのない音楽を書こうとする彼が望んだこと。その甘美さに孕む危うさの中で、言葉が音楽と共に彼の迷いと間違いに満ちた人生を語ってゆくのが、皮肉のようでありながら、人生の機微とその中にあるささやかな喜びを伝えてくるようで、ぐっと心に迫る箇所がいくつもあった。友人、妻、娘、彼を愛した人々、彼を信じた人々と過ごした時の中で、彼がめぐらす思考がシンプルな答えに傾き、行き着こうとする過程が、とても魅力的に感じられた。

 “何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか” 哲学者ウィトゲンシュタインの言葉の引用で作られた曲「プロヴァーブ」の何頁にもわたる描写は、エルズの心の在り方やその変化を丁寧に描いていて、とりわけ好きな箇所だ。この箇所は、音楽を聴きながら読むと、その音楽の吸引力に魅せられてゆくエルズと、それを読みながら、聴きながら魅せられてゆく読者(私)とがないまぜになって、どこか遠くへ気持ちが飛ぶような、そんな心地すら覚えた。音楽の力と、言葉の力。それを思う箇所でもあった。マーラーやメシアンの音楽の登場する場面の描写も引きつけられたが、とりわけライヒの「プロヴァーブ」の箇所が鮮烈な印象を残した。“何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか”その言葉から思うこれまでの人生は、変えられない、戻れない人生を思わせた。エルズが物語の端々で思う人生、他のどんな人生にも劣らぬいい人生だったと、そう思う箇所は、救いのようであり、じんとくる。再会したクララとの場面、そして、娘との時間も、とてもいい。

 人生の中で思い至るまでの過程、その長い年月がありながら気づくのが遅すぎたこと。こうして、物語として追う読者の一人としては、どこか達観して見られる人生だけれど、自分の人生を振り返ってみれば、もどかしいことだらけで、わからないことだらけで、結局のところ、ほんの少ししか変えられないし、戻ることなどできない。その現実が、物語の結末とぶつかるとき、深い息をつくことしかできない私がいた。“やってきたことは変えられないし、作ったものは変えられない。あなたはあなただ。”この箇所が出てきたときには、ジョン・ウィリアムズの『ストーナー』を思い出して、“わたしはわたしだ”と思い至る部分と重なったのだった。結局のところ、人間の最後に行き着く思いというのは、どの人にも通ずるものなのかもしれない。そんなふうに思うと、そこまでに至る長い時間、自分自身を抱えた先にあるエルズの音楽の果てしなさに、またひとつ、そっと息をついたのだった。

追記
この文章は2015年に書いたものです。

4105058754オルフェオ
リチャード パワーズ Richard Powers
新潮社 2015-07-31

by G-Tools


| | コメント (0)

2016.01.01

2015年に読んだ愛おしい本たち

2015年に読んだ本は205冊。読む本読む本どれも皆それぞれに愛おしかったけれど、中でも特に思い入れのある本をここに挙げておきます。個人的な好みも含めて、どれも大好きな本たちです。

・J.M.クッツェー著、くぼたのぞみ訳『マイケル・K』(岩波文庫)

ただ生きてゆく。その本質を思っていた。生きることの本質は、思い描く以上に根源的な、ごくシンプルなものであるのだと気づかされる。生きるすべ、語るすべ、信じるすべ、疑うすべ。あらゆるすべは私たちを導くけれど、ときに私たちを縛るものだと思い至る。何ものにも捕らわれず、時の流れに委ね、そうして黙々と生きる。そんなマイケルの姿に心掴まれ、目が離せなくなるのは、自分自身の抱える余計なものの多さにはたと気づくせいかもしれない。人間の本質と物語の本質の狭間で揺れながら、どんなふうにも人は生きてゆける、そう心に刻んでいた。

4003280318マイケル・K (岩波文庫)
J.M.クッツェー くぼた のぞみ
岩波書店 2015-04-17

by G-Tools


・J.M.クッツェー著、くぼたのぞみ訳『鉄の時代』世界文学全集(河出書房新社)

その地で起きたことを、そこに生きる人々に起きたことを、そこで巡らされた感情を、わかったつもりになってはいけないと思う。平穏な場所で私が巡らせる思いなどささやかなものでしかない。その無力さと虚しさを伴う悲しみは、時代が変わろうとする、老いや病に侵されてゆく、そのときの為すすべのなさに微かに通じて共鳴を呼んだ。恥の感覚。屈辱的な思い。生の中にある死。痛み。多かれ少なかれ抱えるすべての根幹は、人としての生き方、人間性に繋がってゆく。最も身近にいる者を愛すること。行き着くシンプルな難題は確かな手触りで心熱くする。

4309709516鉄の時代 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-11)
J.M. クッツェー くぼた のぞみ
河出書房新社 2008-09-11

by G-Tools


・ヴァージニア・ウルフ著、大澤實訳『歳月』(文遊社)

視線の先に広がる世界と、その先を行く思考のたゆたいが始終心地良い。パジター家の人々を中心に代わる代わる展開されてゆく意識に寄り添ううちに、次第に人々との距離が近しくなってゆくようだった。無数に巡らされる思索の中に、はっと胸を打つ生と死を見る。老いを見る。時代や暮らしの変化を見る。避けられぬ多くのことの中で、変わらぬこともある。その救いの象徴のような集いは、どこへ向かうか問いながら積み重ねてきた歳月を、今この場所へ、現在へ、そしてその先へと結ぶようだった。陽はのぼる。それだけで、もう心は満たされている。

4892571016歳月
ヴァージニア・ウルフ 野島秀勝
文遊社 2013-11-28

by G-Tools


・バージニア・ウルフ著、土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』(光文社古典新訳文庫)

人生のひとつひとつの瞬間にある生の煌きと、それと対をなすように同時にわき上がる死への思い。わたしはただ生きたいだけ。そう言葉にしても、その言葉はどこか表裏一体で、その生の迫りに抱える孤独、虚しさ、悲しみを抱かせた。意識をとらえ、流れてゆく思考は、端々ではっと自分自身を省みてしまう、そんな魅惑に満ちている。6月のある日の出来事、人々、その思考が、ある瞬間に結ばれ、そこにあること。近しく重なり合う思考の向く先に、思わず感嘆の溜息をもらしていた。その心を満たす存在を思いながら、物語の余韻を噛み締め、本を閉じた。

4334752055ダロウェイ夫人 (光文社古典新訳文庫)
バージニア ウルフ Virginia Woolf
光文社 2010-05-11

by G-Tools


・ヴァージニア・ウルフ著、川本静子訳『波』(みすず書房)

陽が昇り、沈んでゆく。その一日の生の息遣いを感じる、はっと息を呑む美しい描写を挟みながら、六人の男女のそれぞれの人生が伺える独白が展開されてゆく。始終どっと押し寄せる思考の波。孤独。見分けのつかぬ愛と憎しみ。喜びと悲しみ。生と死。友人たちの姿を通して多面的になる個は、ふいにその境を曖昧にする。そして独白によって語らずとも浮かび上がる存在もある。感情を、関係を、我が身を問いながら、生き方を、人生を問うてくる。陽は昇り、沈み、また昇る。波は砕けても、また寄せる。繰り返される絶え間ない生死に深い溜息がこぼれた。

4622045052波 (ヴァージニア・ウルフコレクション)
ヴァージニア ウルフ Virginia Woolf
みすず書房 1999-10

by G-Tools


・アンナ・カヴァン著、山田和子訳『氷』(ちくま文庫)

鮮烈な想像をめぐらせる幻影が、いつまでも脳裏に刻まれてゆく。意識と無意識の狭間で、名前を持たぬ人物たちは、世界の隅々まで覆いつくそうとする氷の世界に捕らわれ、逃れるすべを、自分自身を、どこか探しているようにさえ映る。美しくも恐ろしくも感じる世界、その移ろいゆく世界とそこにある感覚に魅せられながら、知らぬ間にめぐらせた幻影と置かれた運命の中に、深く深くどこまでも呑まれてゆく。危うい均衡の中で、その世界に埋もれた私は、すっかりアンナ・カヴァンの虜になっていた。

4480432507氷 (ちくま文庫)
アンナ カヴァン Anna Kavan
筑摩書房 2015-03-10

by G-Tools

・アンナ・カヴァン著、佐田千織訳『あなたは誰?』(文遊社)

果てしない日々の中に根深くある、形のない恐れ、障壁、悪夢、心の奥に常にある重苦しい思い。口にするには曖昧な、けれど確かに横たわるそれらは、自分自身の存在を、居るべき場所を不確かにする。仄かな夢想や小さな輝きは、すぐさま見失ってしまうほどに淡い。気を狂わせんばかりの暑さと、チャバラカッコウの騒々しい鳴き声が耳をつんざくほどに、すべての音や儚い希望、罪の意識をかき消してゆく。生気を奪われそうになりつつも諦めきれずにすがり、託す思いと、儚い幻覚のような光景は美しく、物語に囚われるほどに魅了され、心添わせていた。

4892571091あなたは誰? (Anna Kavan Collection)
アンナ・カヴァン 佐田千織
文遊社 2015-01-07

by G-Tools

・アンナ・カヴァン著、青山南訳『ジュリアとバズーカ』(文遊社)

立ち上る思いは彼女を孤独にする。諦めきれずに誰かを乞う思いが強ければ強いほどに、その潔癖なまでの感情は、彼女を一人にし、やがて彼女さえいない世界を描かせる。誰も寄せつけない世界は、どこまでも美しくそこに在る。ふれるのをどこか躊躇うくらいの気高さで魅せてゆく。現実やあらゆる関わりの虚ろさは、生きていることや愛されることの果てや、根深く横たわる絶望、死を巡らせずにはいられない。愛されて、生きること。その根源的な乞いを物語の端々から感じ取るほどに、私の中にも潜む渇望が疼き、親しみ抱く孤独に貫かれる心地でいた。

4892570834ジュリアとバズーカ
アンナ・カヴァン 青山南
文遊社 2013-04-28

by G-Tools


・レアード・ハント著、柴田元幸訳『インディアナ、インディアナ』(朝日新聞社)

此処にも其処にも彼処にも満ちる喪失感の中、途切れ途切れに静かに語られてゆく人生は、哀しくて、美しくて、残酷だ。オーパルの手紙や、どこか寓話のようにも感じられるノアの身に起こる様々な出来事は、その切実な心を揺さぶり続ける。なかなか全貌が見えぬ物語の点と点が結ばれ、あの時のノアとこの時のノア、そして今のノアの思いと行動がつながるとき、ノアの見ていた世界と失われたもの、その人生を思って愛おしさが込み上げていた。“昔むかし一人の男がいて一人の女がいましたがやがていなくなりました”きっと私が知っているのもそれだけ。

4022501871インディアナ、インディアナ
レアード・ハント 柴田 元幸
朝日新聞社 2006-05-03

by G-Tools


・レアード・ハント著、柴田元幸訳『優しい鬼』(朝日新聞出版)

語られてゆく日々の中の“楽園”という言葉の意味する、皮肉な哀しさを思ってしまう。時代の残酷さと、日常に溢れる暴力とその連鎖、そこにある心情、語られてゆくひとつひとつの出来事に苦しさを覚えながらも惹き込まれるのは、詩的で濃密な語りの為せる魅惑だ。行きつ戻りつしながら、真実も嘘も、自分の身を守るための犠牲も、それゆえの祈りも、ここにいること自体も、虚しいほどに切実で引き寄せられる。足枷を解かれてもなお、まだある痛みと消えることのない傷を抱えて、時は過ぎてゆく。目を逸らすことのできない過去と物語がここに在った。

4022513136優しい鬼
レアード・ハント 柴田元幸
朝日新聞出版 2015-10-07

by G-Tools


・ブルース・チャトウィン著、栩木伸明訳『黒ヶ丘の上で』(みすず書房)

気がつけば、時は流れている。双子のルイスとベンジャミン。年を重ねるほどにそれぞれに抱えてゆく葛藤も悲しみも痛みも、すべては互いを深く愛する思いへ昇華され、決して離れられぬ二人になってゆく。物語の背景にある戦争、景気や文化の変動、近所との関係、家族や見知った人の死の中でも、黒ヶ丘で二人が二人であり続けることは、救いのような愛おしさを感じさせた。そうして、やがて二人にも近づく終わりの時の中で、残酷にも着々と時が流れてゆくことを知り、はっとする。そして気づくのだ。こうしている私にも時は流れているということを。

4622078635黒ヶ丘の上で
ブルース・チャトウィン 栩木 伸明
みすず書房 2014-08-26

by G-Tools


・ブルース・チャトウィン著、 旦敬介訳『ウイダーの副王』(みすず書房)

濃密に描かれる人生の変遷は、常軌を逸した数々の出来事に彩られながらも、はっと目を奪われ、魅せられるような描写で、人間のしなやかな強さや煌く感情を伝えてくる。ぴったり九十八年前の恋、その心の高鳴り、それに伴う孤独の深さへの気づき、年月が変えてゆく様々な事柄、それでも生き続けるということ、思い描く将来についての幻影、アフリカの神秘、多くの生け贄の犠牲者たち、死者の方が生者よりも生き生きと息づく土地、そこにある連鎖。椰子の木のざわめきと土地の匂いを感じさせながら結ばれる物語の余韻は、どこか清々しくさえ思えた。

4622079089ウイダーの副王
ブルース・チャトウィン 旦 敬介
みすず書房 2015-05-26

by G-Tools


・ブルース・チャトウィン著、北田絵里子訳『ソングライン』(英治出版)

自分の始まりの場所へ還ってゆく。そこに至る道を歌いながらたどる。そうして自らを正しい死へ導く者は、満ち足りた理想の人間だという。オーストラリア全土に延びるソングライン。人が歩いたところにはすべて歌の名残がある。大陸や時代の境を越えて、本能の芯に導かれるように、チャトウィンは土地を、人を、知ってゆく。人はなぜ放浪するのか。どうしてここにいるのか。長年彼の抱える疑問は、いつかは死ぬ、という人の持つ悲哀を浮かび上がらせる。語られてゆく旅の光景や書き留めたノートの言葉一つ一つが、彼の生き方を思わせ、愛おしくなる。

4862760481ソングライン (series on the move)
ブルース・チャトウィン Bruce Chatwin
英治出版 2009-02-27

by G-Tools


・ブルース・チャトウィン著、池内紀訳『ウッツ男爵 ある蒐集家の物語』(白水Uブックス)

「愛すべきウッツ」という思いを、読みながら始終抱かせる。握られたら痛みを覚えるようなカニ鋏みたいな手も、自分の審美眼に合わぬものへの辛辣な言葉も、追いかけずに自分の腕に沈んでくれるような女性を求める思いも。そうして、彼に多くを求めず生涯を捧げたマルタに思わず気持ちをそわせながら、二人の行方を追っていた。ウッツの蒐集家としての人生が、第二次世界大戦や冷戦下のプラハで変化してゆく様子、蒐集に魅せられた情熱の向かう先が、どこか虚しさを漂わせながら、悲しみと愛おしさで心を満たした。

4560071934ウッツ男爵: ある蒐集家の物語 (白水uブックス―海外小説永遠の本棚)
ブルース チャトウィン Bruce Chatwin
白水社 2014-09-04

by G-Tools


・パヴェーゼ著、河島英昭訳『月と篝火』(岩波文庫)

導かれてゆく。思いは幼い頃の<ぼく>へ、その故郷へ、そしてかつてそこにいた人々へ。残された面影が見せるのは、確かに流れ、過ぎ去っていった時間の物語だ。私たちはそこに、まだ燻る篝火を見る。信じるべき月を見る。あまりにも沢山の人々の死。宿命。あの人も、この人も、ここにかつていた人たちの多くは皆、死んでしまった。人々の記憶や、そこに立ち会う<ぼく>の目に寄り添ううちに、故郷という存在がそっと孤独を埋めてくれる感覚を抱いていた。立ち去る人を待つ場所が、在るという感覚。待ち続けている土地の匂いを、悲しみを巡らせて。

4003271459月と篝火 (岩波文庫)
パヴェーゼ 河島 英昭
岩波書店 2014-06-18

by G-Tools


・ウィリアム・トレヴァー著、谷垣暁美訳『恋と夏』(国書刊行会)

何が起ころうと、起こるまいと、時は変わらずに流れてゆく。ラスモイの町の人々にはそれぞれの営みがあり、それぞれの過去があり、それぞれに抱える思いがある。よく見知った日常と変わらぬそのときの流れが、物語全体をそっとあたたかく包み込む。ある者にとっての忘れ難い夏も、そこにあった儚い恋も、過ぎ去ってゆくことをどこか静かに受け止めてしまうのは、誰もが抱える戻れぬ日々の記憶と重なる部分を思うからだろうか。いつまでも遠のくことを知らぬ、ひりつくような痛みは、多かれ少なかれ誰の心の中にもある。そうして、生きてゆくのだと。

4336059152恋と夏 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)
ウィリアム トレヴァー 谷垣 暁美
国書刊行会 2015-06-01

by G-Tools


・小川洋子著『琥珀のまたたき』(講談社)

哀しく切なく、まぶたを熱くした。時が流れてゆく過程で、閉ざされた世界が、少しずつ崩壊の兆しを見せるとき、その暮らしの歪な危うさを、だからこそ漂う静謐な美しさを、まるごと抱きしめたくなっていた。人間の愚かさや欠落の招いた世界であっても、そこで様々にめぐらす感情、育まれた想像力や愛情は深く、豊かだ。人間の根本、その心の在り処。それらが生き抜くためのすべであると思うと、彼らだけの世界や、その傍にあった沢山の図鑑、そこから生まれた物語、そこに描かれた瞬きの間ほど展開する世界、その一瞬一瞬が特別に愛おしいのだった。

4062196654琥珀のまたたき
小川 洋子
講談社 2015-09-10

by G-Tools


・長田弘著『長田弘全詩集』(みすず書房)

これは人としての在り方、生き様を示した特別な一冊だと思う。第一詩集から変わらずに詩人の中にある思いと、少しずつ変化してゆく思いに揺さぶられながら、その視線の先にある風景や人、記憶、樹、本、絵画、音楽などへの厳しくも優しくもある言葉が、次第にやわらかく穏やかになるのを感じていた。ささやかなもの、何気ないもの、日常、そうしたものへの感動は、詩人の歳の重ね方や日々の生き方をめぐらせる。生きてゆく者のつとめとして、優しくあろうと貫き、それをどこか恐ろしい生の痛みとも感じ取ったまなざしを私はきっと忘れないだろう。

4622079135長田弘全詩集
長田 弘
みすず書房 2015-04-23

by G-Tools

・長田弘著『最後の詩集』(みすず書房)

“しかし、よき人生なんて、もともととりとめもない、ささやかな、お気に入りの人生にすぎないのではないだろうか。”日常の中での小さなお気に入り、誰かと共有することを目的としない楽しみ、何もしない時間、そういったささやかな自分のためにある時間を慈しむ言葉に惹きつけられる。人生の限りを見据えて紡がれた言葉は、一人の詩人としての生き方と、生き様を静かに映し出す。生の自由を存在に見る姿勢、詩の仕事に対する思い。ときに死に寄り添い、生きられる人生に遺せるきれいな無を思う。思いの込められた、とびきり美しい佇まいの本だ。

4622079321最後の詩集
長田 弘
みすず書房 2015-07-02

by G-Tools


・吉田知子著『脳天壊了 吉田知子選集Ⅰ』(景文館書店)

心を捕らえて離さない吸引力ある書き出しから結末まで、読み耽りながら思う。理想的な物語だ、と。物語の中の現実と地続きの世界に、ふっと危うさが広がる。過去と今が交錯する。知らぬ間に足をとられている。その不穏さ、その滑稽さ。どこか哀しくもある物語に起こる現実は、心にしっとりと添う。とりわけ「乞食谷」の“私は人の情は乞わぬ”と思うに至るまでの主観の孤独、その人生を、出来事を、物語の端々や行間から感じ取るほどに、心に添う物語への愛おしさが増していた。「常寒山」の語りの仕掛にはっと気づいた時、それは確信に変わった。

4907105002脳天壊了―吉田知子選集〈1〉
吉田 知子
景文館書店 2012-12-19

by G-Tools


・ナタリア・ギンズブルグ著、須賀敦子訳『ある家族の会話』(白水Uブックス)

生きざるを得なかった過酷な時代の人々の姿が、瑞々しく静かな目で語られてゆく。自分自身のことを多く語らない描き方は、かえって<私>の抱える時の流れを思わせ、はっと胸を打たせる。いつしか読み手の目と重なってゆくような心地さえ覚えるのだ。言葉に込められた奥にある感情は、彼女の見たもの、大切な愛すべき家族や友人たちへの思いと共に、どんなふうに生きたのか、人々の確かな息遣いを、生きた証を伝えてくる。微笑ましく愛おしくなるような家族のあり方は、時代の中の救いでもあり、この自伝的な物語の普遍的な魅力のように感じられた。

4560071209ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
ナタリア ギンズブルグ Natalia Ginzburg
白水社 1997-10

by G-Tools


・ジュンパ・ラヒリ著、中嶋浩郎訳『べつの言葉で』 (新潮クレスト・ブックス)

どの言語にも完全には属さず、祖国というものもないことの、自由と疎外感。絶えず言葉を求めてゆく過程で著者の中にわき上がる思いは、そのルーツと物書きとしての強い衝動を思わせた。焦がれる思いは、希望と絶望が隣り合わせだ。それでも学ぶ。それでも書く。そうして言語に根を下ろしていない不完全さは、生きる実感と重なってゆく。永遠に越えられない言語との間にある壁は、表現の前では越えられる壁になる。偏見も顔かたちも、言葉が越えてゆく。言葉が自分自身になってゆく。言葉と自分に真剣に向き合う姿は、とても誠実な生き方に思えた。

4105901206べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)
ジュンパ ラヒリ Jhumpa Lahiri
新潮社 2015-09-30

by G-Tools


・ミランダ・ジュライ著、岸本佐知子訳『あなたを選んでくれるもの』(新潮クレスト・ブックス)

人生の手触りを感じていた。それらはときに過剰で、艶めかしく、どこか滑稽で、何よりも切実な生の手触りだ。誰もがそれぞれの物語を抱え、物語以上の現実を生きている。インタビューに応じる人々の語りは、耳を傾ける者を得たことで、その営みをいっそう顕わにする。そうして、その語りを聴く者の心の内を見つめさせる。一人の人間の数えきれない沢山の小さな瞬間の記憶を、奇跡のように美しいと感じる部分は、とりわけ素敵だ。人生の最後まで、小さな奇跡は思い出されては、忘れ去られ、またいつか思い出される。それは紛れもない私たちの物語だ。

4105901192あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)
ミランダ ジュライ Miranda July
新潮社 2015-08-27

by G-Tools


・アンリ・トロワイヤ著、小笠原豊樹訳『サトラップの息子』草思社

心の奥の永遠のロシア、揺れ動く時代の中での二つの亡命、貧しくも家族に支えられたフランスでの暮らしが、自伝的物語のたくらみを凝らして魅力的に語られてゆく。生まれ故郷から切り離され、現実からも切り離された二つの世界の中間に漂う感覚の中で起こる数々の出来事は、どこか滑稽な家族のエピソードや時代に呑まれてゆく人々の行方と共に、始終心を掴んで離さない。少年の日、ニキータと共に夢中で書いた『サトラップの息子』の存在は、運命の皮肉と悲しみと愛おしさを残す。それぞれの選んだ人生は、読み手の人生にも静かに問いを投げかける。

4794212836サトラップの息子
アンリ・トロワイヤ 小笠原 豊樹
草思社 2004-02-21

by G-Tools


・リチャード・パワーズ著、木原善彦訳『オルフェオ』新潮社

いくつかの物語の軸が結ばれ、ひとつになる。今、過去、そしてもうひとつの、少しずつつながりを見せる言葉の行方を追ううちに、ピーター・エルズという人生に引きつけられていた。彼が望んだこと、その甘美さに孕む危うさの中で、言葉は音楽と共に彼の迷いと間違いに満ちた人生を語ってゆく。友人、妻、娘、彼を愛した人々、彼を信じた人々との時の中で、彼がめぐらす思考はシンプルな答えに行き着く。何て小さな思考が人生の全体を満たしたのか。変えられない、戻れない人生、自分自身を抱えた先にある音楽。その果てしなさにそっと息をついた。

4105058754オルフェオ
リチャード パワーズ Richard Powers
新潮社 2015-07-31

by G-Tools


・レオ・ペルッツ著、垂野創一郎訳『スウェーデンの騎士』(国書刊行会)

最後まで読み終え、再び最初の頁に戻って、物語の表層とその奥にある物語に、深く魅せられていた。序言で記される謎を生涯知ることのなかった主人公の娘と、読み進めるほどに知ってゆく読者と、そこに続く思いと。スウェーデンの騎士と、本物のスウェーデンの騎士の物語と。描かれなかった部分まで想像して、思わずため息がこぼれるのは、知り得ない物語と抗えない運命を思うからだろうか。謎めきの展開、それらが繋がりを見せ、物語として結ばれてゆくさま。男たちの運命を象徴するような静かな祈りと鮮明に浮かぶ光景は、いつまでも余韻を残した。

4336058938スウェーデンの騎士
レオ ペルッツ Leo Perutz
国書刊行会 2015-05-15

by G-Tools


・アントニオ・タブッキ著、和田忠彦訳『イザベルに ある曼荼羅』(河出書房新社)

奥底に抱える罪の意識と衝動、そこにある孤独、少しずつ言葉になってゆく思いに揺さぶられながら、物語に寄り添っていた。イザベルの謎を探るため一人さまよう旅は、自分の内へ内へと向かう旅となる。答えに行き着くことよりも、捜す、という行為自体に意味を見出すような旅は、どこか自分の心の在り処を見つけるすべのようにも映る。彼方此方をめぐり、様々な人々と出会い、また自分に還ってゆく。そうして自分の中にあるつかえにはっと気づくとき、新たな光を伴ってまた繰り返し何かが始まるような感覚を抱いた。そこに心地良い時間が流れていた。

4309206719イザベルに: ある曼荼羅
アントニオ タブッキ 和田 忠彦
河出書房新社 2015-03-25

by G-Tools


・ジョン・マクガハン著、東川正彦訳『女たちのなかで』(国書刊行会)

怒りも憎しみも、そこに至る思いの強さゆえの愛情も、時が流れてゆくほどに許してしまう。積み重ねられた年月は、とりわけ女性たちを逞しいほどの家族愛で満たしてゆく。良い所も悪い所も、まるごと含めたすべての家族の姿を抱きしめたくなるほどに、様々な出来事の中で、モランもローズも、その娘たちも息子たちも年を重ねる。人が何を言おうが、どんなことがあろうが、それぞれ違うところがあろうが、家族はひとつであること。例えそれが、逃れようもない現実だとしても、そのひとつの信念は、人生の中で特別な繋がりであり、希望のように思えた。

4336059470女たちのなかで
ジョン マクガハン John McGahern
国書刊行会 2015-09-25

by G-Tools


・パトリック・モディアノ著、白井成雄訳『1941年。パリの尋ね人』(作品社)

行方がわからぬ少女であり、混乱の時代の犠牲者でもあるドラ・ブリュデールの不在が深く心に迫り来る。微かに残る痕跡に対して、寄り添うように巡らせる意識とまなざしは、その時代の在り方や孤独、空虚さを伝えつつも、静かに胸を打つ。時代の犠牲となった多くの無名の人々。その一人のことを書き留める著者によって、確かに彼女が存在した証拠が浮かび上がってくると同時に、その存在の不在が顕わになる悲しさがやるせない。そうして、時代が残す人間の生の儚さや世界の不条理の痕跡は、日本にも、私たちの近くにもあることを改めて知るのだ。

48789330701941年。パリの尋ね人
パトリック モディアノ Patrick Modiano
作品社 1998-07

by G-Tools

・パトリック・モディアノ著、小谷奈津子訳『地平線』水声社

立ち現れる過去を辿りながら、そこにあった未来を、地平線を見ている。いつまでも地平線に向かう消失線上に留まるボスマンスの心に寄り添う語りは、曖昧な記憶とごく僅かな確かな記憶を、四十年の時を経て結んでゆく。断続的であっても、混沌としていても、一見関係のないような記憶すらも、束の間出会った人々を繋げる大切な断片として物語に在る。そうして永遠の現在に宙づりになっていた過去の謎めきを解き放ってゆく。同じ場所の、同じ時間の、同じ季節に戻ってゆく安らぎに満たされたときの幸福な余韻は、特別な歓びとなって心に広がってゆく。

4801000835地平線 (フィクションの楽しみ)
パトリック モディアノ Patrick Modiano
水声社 2015-02

by G-Tools

・パトリック・モディアノ著、根岸純訳『嫌なことは後まわし』キノブックス

物語の軸は、何が起こったかではないのだろう。少年時代のある時期、複雑な事情の中でも周囲には魅力的な人々がいたことが、子供らしい興味のまなざしで描かれてゆく。心に刻まれた人々の記憶や言葉は、少年時代のある時期を証明するシガレットケースのように、確かな手触りで残っている。守ってきた約束も、人々の行方を探る手がかりのなさも、思い出と共に特別な余韻を残す。人生には奇妙な出会いがあることを伝える物語は、苦いような切なさと懐かしい子供心を思わせる。子供は大人をよく見ている。しっかり聞いている。大人が思う以上に全身で。

4908059071嫌なことは後まわし
パトリック モディアノ 根岸 純
キノブックス 2015-01-31

by G-Tools


・エドワード・P・ジョーンズ著、小澤英実訳『地図になかった世界』(白水社)

かつてあった世界。よく知られたアメリカの歴史の姿を描きながら、ここには私たちの知らなかった物語がある。自由の身であろうと、なかろうと、そこに生き、通り過ぎてゆくどの人々にも名前があり、個性があり、抱えている現実がある。過酷な時代を語りながらも、どこかあたたかさを覚える静かなまなざしは、人々の息遣いにとても敏感だ。“ひとつの文は、主語がなくても生きていける。だが、動詞がなかったら生きていけないんだ”それでも多くの主語を据え、語られてゆくその一人一人の物語の行き先は、いつまでもぎゅっと心を掴んで離さなかった。

456009019X地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実
白水社 2011-12-21

by G-Tools


・イーユン・リー著、篠森ゆりこ訳『独りでいるより優しくて』河出書房新社

独りでいること。孤独であること。その背景にある生い立ちや過去、そこに縛られたままの人生が、悲しみや痛みを孕みながら語られてゆく。過去と現在、北京とアメリカ。共に過ごした時間と、離れ離れの時間の中で、行き場のない感情や抱える痛みの深さが胸を苦しくさせる。人を信じきれず、時に残酷にもなる彼ら。出会う人々に互いを見てしまうこと。どうにも逃れられない過去を抱えた心に、そっと優しさ以上の愛が差し出されるとき、この物語の救いを感じていた。そうして孤独な心が寄り添うとき、まるで自分のことのように安堵していたのだった。

4309206751独りでいるより優しくて
イーユン リー 篠森 ゆりこ
河出書房新社 2015-07-02

by G-Tools

・アルフレート・クビーン著、吉村 博次、土肥 美夫訳『裏面 ある幻想的な物語』 (白水Uブックス)

パテラ、そして夢の国の謎めきに惹き込み、次第にぞっとするような恐ろしい光景や目を背けたくなるほどの混乱に満ちてくる物語が秘めている二面性、そのグロテスクなまでの闘争に魅せられ、始終くらくらしていた。想像をめぐらす以上の無力さ、生と死の狭間で、途方に暮れながら読み進めたとき目を引きつけて止まないのは、月であり、星であり、太陽だった。私たちの世界に日々当たり前のようにあるもの、頭上に広がっている光景。それが偉大なものであること。美しく尊いものであることを、不意打ちのように知らされて、はっとしたのだった。

4560071985裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス)
アルフレート クビーン 吉村 博次
白水社 2015-03-07

by G-Tools


・ユベール・マンガレリ著、田久保麻理訳『おわりの雪』(白水Uブックス)

何度も繰り返し思い出される記憶は、哀しみに彩られていても、思い出されるほどに自分自身にとっての特別な愛しい記憶になってゆく。静かに語られる物語は、あるはずのない記憶すらも現実味を帯びて、記憶の中に取り込まれる。やりきれぬことを抱えながらも生きてゆく、そのすべは哀しくも人を強くする力なのかもしれない。父さん、その耳に届いたトビの音、雨の音、スイッチの音をはじめ、何かと引き換えの哀しい行為すら、永遠の拠り所となる思い出として心に刻まれる。そうして、自分は独りだと思う日にも、優しく寄り添ってくれる気がする。

4560071829おわりの雪 (白水Uブックス)
ユベール マンガレリ 田久保 麻理
白水社 2013-05-11

by G-Tools


他にも素敵な本と沢山出会った2015年でした。今年も素晴らしい本との出会いがありますように。

| | コメント (0)

2014.01.07

奇跡─ミラクル─

20120727_4001 付箋だらけにした詩集を抱えて、眠れぬまま朝を迎えた。そこには静寂があった。微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさにくらくらしながらも、私は今、ここにいた。ただここにこうして、一冊の本を抱きしめていた。そうできる喜び。そうせずにはいられぬ高鳴りが、そこにはあった。ふれそうなほど近くに、言葉はあった。小さな微笑み溢れた世界が、いつのときも一人一人に存在し続けてゆきますように。新しい朝に、そう願っていた。

 長田弘著『奇跡─ミラクル─』(みすず書房)。あとがきによれば、奇跡と題されたこの詩集は、自分を呼び止める声を書き留めて言葉にした、返答の書であるそうだ。「奇跡」といっても、滅多にない稀有な出来事のことではない。長田さんは、“存在していないものでさえじつはすべて存在しているのだという感じ方をうながすような、心の働きの端緒、いとぐちとなるもののことだ”と言う。そして、“日々にごくありふれた、むしろささやかな光景のなかに、わたし(たち)にとっての、取り換えようのない人生の本質はひそんでいる。それが、物言わぬものらの声が、わたしにおしえてくれた「奇跡」の定義だ”と。長田さん曰く、例えば小さな微笑みは「奇跡」であり、その微笑みが失われれば、世界はあたたかみを失う。世界はそんなふうに一人一人にとって存在し、これからもそう存在してゆくだろうとも言っている。

 タイトルと同じ「奇跡─ミラクル─」という詩には、花木たちへの慈しみが溢れている。“ただにここに在るだけで、じぶんのすべてを、損なうことなく、誇ることなく、みずからみごとに生きられるということの、なんという、花の木たちの奇跡。きみはまず風景を慈しめよ。すべては、それからだ”と。ただ在る。ただここに在る。ただそこに在る。それがまさに奇跡であること。人にはない植物の佇まい。その生き方。様々なしがらみや醜さを持たない、その凛とした姿を慈しみ、学び、見習う。そう生きよ、そうあれ。あたたかなまなざしの中にある、人としての厳しさの込められた言葉に、私は圧倒されていた。正しいと思う。そして、自分はそう正しくありたいと思う。あらねばならぬと思う。真っ当な人でありたいと思う。

 この詩集に立ち込める正しさの中には、静寂と微笑があった。秋の美しさがあり、めぐりゆく季節があった。この世の一番貴いものがあった。素晴らしく澄んだ青空があった。死の記憶を宿した思いがあった。人の一日を支える、細やかな幸福の感覚があった。そこには人生があった。歴史の記憶と現在の清らかさがあった。それらは様々にその正しさ、物の本質を伝えてきた。私が今どうあるべきか。どう生きるべきか。どう向き合うべきか。そうして、どうありたいのか、どう生きたいのか、どう向き合いたいのか。立ち止まって、自分を呼ぶ声にそっと耳を澄ます。ただじっと耳を澄ます。私にとってのその行為が、正しいのかはわからない。けれど、耳を澄ましている間、心はやわらかに開かれている。開かれた心は、きっと澄んだ微笑を浮かべているはずだ。小さな微笑みは、奇跡のひとつ。微笑みがある世界は、きっとあたたかい。


4622077868奇跡 -ミラクル-
長田 弘
みすず書房 2013-07-06

by G-Tools

| | コメント (0)

2012.06.25

明日は遠すぎて

20090429_006jpg_effected ときになんとも切なく、ときにコミカルに、ときにほろ苦く、ときに強い意志を持って、心深く響く物語たちがつまった、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著、くぼたのぞみ訳『明日は遠すぎて』(河出書房新社)。O・ヘンリー賞、オレンジ賞などを受賞した1977年生まれのナイジェリア出身のまだ若い作家の邦訳三冊目の本書は、2006年から2010年までに発表された九作品を収録した日本オリジナルの短編集である。ナイジェリアとアメリカを往復しながら旺盛に活動しているということもあり、それぞれの作品の世界に奥行きと幅の広さを感じ、ページをめくるほどにどんな世界が展開するのか、とても興味深く面白く読んだ。

 表題作の「明日は遠すぎて」では、少女の頃の記憶とその十八年後が交錯する。まぶしいほどの鮮烈な夏の記憶と今になって思い出される当時の記憶の中にあった、直系の長男ばかりを贔屓することへの強い反発と憎悪、初恋、芽生え始めた自意識が、切なく焦がれるほどに心にいつまでも響く。たった十数ページの物語の中に、ナイジェリアを知らない読み手にまで、物語に描かれた場所を鮮やかに伝えてくる。タイトルは、蛇にかまれると十分後にはお陀仏だからと“エチ・エテカ(明日は遠すぎて)”と言い伝えられていることから。短い物語ながら、少女の時間とその十八年後が行き来する構成が心地よく、この短編集の中で強い煌きを放って読み手を一気にチママンダ・ンゴズィ・アディーチェという作家への強い興味へと引き込んでゆく。

 そのほか、アメリカで不法滞在を続ける男性と失恋した相手を引きずる女性とのやりとりと、信仰に関して印象的な「震え」、母と娘の衝突を描く「クオリティ・ストリート」、現代アメリカとナイジェリアを行き来する著者自身の心情を端々で窺い知れる「先週の月曜日に」、ナイジェリアが舞台の「鳥の歌」と「シーリング」、アフリカ人の若い作家たちの参加するワークショップの話である「ジャンピング・モンキー・ヒル」、ナイジェリア社会の抱える問題を描く「セル・ワン」も、それぞれに違う表情で読み手を引き込んでゆく。ストーリー・テリングの名手と言われているだけにあきさせずに、ナイジェリアとナイジェリアに纏わる事象を鮮やかに切り取っている。

 最後に収録されている「がんこな歴史家」では、アフリカ人の視点で歴史が次々と刻まれてゆく様を見せられているようで、夢中になって文字を追った。奪われた土地を取り戻すために息子に英語を学ばせたいと思う母親の意図に反し、成長とともに西欧化して母親から離れてゆく息子。けれど、その息子の娘は祖母の頑固な部分を受け継ぎ、民族の誇りを見出して、その意志を継ぐことになる、というユニークな顛末を描いている。歴史を絡めて展開してゆく物語の過程自体もある種の頑固さを感じる凝った構成で描かれており、二重三重に物語に面白い含みを持たせているようにも感じられる。血を受け継ぐということの真の意味、自分が何者であるのかということをこの物語を通じて考えさせられる。

4309205917明日は遠すぎて
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ くぼた のぞみ
河出書房新社 2012-03-13

by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.06.17

たくさんの窓から手を振る

20120517_010 言葉のつぶたちが心地よく降りしきる。降りしきる中に立ちながら、そこに佇む快楽に身を任せた。言葉のつぶは、ときに弾けてきらきら光って見せる。ときに静かに寄り添い、ときに憂いとともにしっとりしみわたる。中村梨々著『たくさんの窓から手を振る』(ふらんす堂)を読んで、わたしは言葉というもののみずみずしい煌きを久しぶりに感じた気がした。少し小ぶりな手に取りやすいサイズのこの詩集は、なんとも愛らしい佇まいをしている。どこか哀しみを帯びた後姿をしていても、少し微笑みを浮かべているような、そんなやわらかな気配とあたたかさがある表紙の絵にも惹かれるし、なんといってもタイトルの“たくさんの窓から手を振る”という言葉自体のやわらかさがやさしさに満ちていて、響きが心地よくて好きだ。

 一番はじめに収録されている「ロシア」という詩では、人と人との間に距離は関係なくなる。遠く隔てた場所にいても、閃きでひとつになれるのだ。実際には遠く離れているからこそ、近く感じられる感覚が描かれているこの詩は、幼い頃に感じられた何でもできそうな感覚、その頃の未来への絶対的な期待、怖いもの知らずでも確かなものに守られていた懐かしさのようなものまですべて、この一編の詩の中につまっている。自転車に乗ってどこまでも、どこまででも行けるような気がしていた心地、そして友達との関係がずっとずっと続いてゆくものだと信じていた頃の心地。大人になってもその想いを持ち続けることの困難さは、大人になってしまったわたしたち誰もが知っている。だからこそ、はっとさせられるほどの煌きと一緒に連ねられた言葉たちの無邪気さが、とてもまぶしく映る。

 「夜、鳥を飛ばす」という詩は、この詩集の中でも特に好きな詩だ。言葉の儚さがとてもとても美しいのだ。この詩を読み返すたびに思う。わたしたちの存在も、その思考も、その放った言葉も、なんて儚いのだろうと。どれほど言葉を連ねても、どれほど言葉を重ねても、結局は何の意味もなかったくらい跡形もなく、すべてが存在しなかったように何もなくなって、最期には無になるような哀しさと静けさを思ってしまう。この詩に語られていない部分を思って、その言葉たちの余白を思って、ただ静かに読みながら言葉が夜が横たわるのを見てしまう。そうして、その夜の静けさにはたと気づかされるのだ。“なにもない。たぶん、ばれてもなにもないくらい静か。(夜なんて)。”というおしまいの一節の美しさと潔さにくらくらする。

 嗚呼、と思う。言葉のつぶたちが心地よく降りしきるのを、わたしはため息とともにただただ見つめているだけだ。言葉たちの降りしきる中に立ちながら、そこに佇む快楽に身を任せて、その煌きと自由さに、また嗚呼と思う。わたしは時を止めるように、その言葉たちを抱きしめる。抱えられるだけ抱えて、静けさの中にただじっと佇む。そうして少し顔を上げたら、静けさの中、遠くで手を振る人が見えたような気がした。大丈夫。わたしたちも、わたしたちの言葉も、まだあたたかく、美しさを秘めている。まだ、やわらかくやさしい。だから大丈夫。しばし言い聞かせたあとで、わたしはようやくこの本を閉じる。そっと。静かに。そっと。

4781404693たくさんの窓から手を振る―中村梨々詩集
中村 梨々
ふらんす堂 2012-06

by G-Tools

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012.05.30

かみさまはいる いない?

20120528_4016jpg_effected 神様はいるのか、いないのか。その問いの答えを説明するのはとても難しい。その問いの答えは容易には見つからないし、答えはひとつではないからだ。ひとりひとり答えが違っていてもいいし、答えが見つからなくても、無限にあってもいい。そもそも、この問いには答えなどないのかもしれない。自分が信じたもの、考えたもの、それが答えになるのだろう。けれど、谷川俊太郎・文、清川あさみ・絵『かみさまはいる いない?』(クレヨンハウス)は、敢えてその問いについて今考えてみよう、という強い意志を読み手に伝えてくる。さまざまな考えを持つ人々がいる世界で、自分自身を、その生き方を、その考え方を、改めて見つめなおそうと思わせてくれる。平易だけれど強く響く哲学的な言葉と、幻想的な刺繍などによる絵の見事なコラボレーションの1冊である。

 神様はいるのか、いないのか。もしかするとその問いの答えは、自分自身の生き方や考え方がそのまま反映されるものなのかもしれない。すんなり答えられる人はぶれない自分を持つ人なのかもしれないし、答えに迷いがある人は確固たる自分自身がまだ確立できていない人なのかもしれない。もちろん、答えはひとつではないし、いろんな考え方があってもいい。神様の存在を信じる人、信じない人、たくさんの神様がいると思っている人、信じられるのは自分だけだという人もいるかもしれない。でも、この世界の成り立ちを思うとき、確かに創造主はいたのかもしれないと、どこかで思う人もいるかもしれない。わたしたちを試すような出来事が起こるたびに、自分以外の誰かにその責任をぶつけてみたくもなる人もいるだろう。きっと、いろいろでいいのだろう。

 この『かみさまはいる いない?』には、複雑な感情を抱かせる最後の一文があって、わたしはそこの部分が気になって仕方ない。読む人それぞれがその一文をどう読むかで、この本に対する感情は違ってくるのかもしれないし、日本の今の状況、世界のあり方について、それらをどう捉えているか、その考え方によっても、感じ方が違ってくる一文である気がする。著者が投げかける一文、その問題提起に、わたしはわたし自身の迷いを感じてしまった。今置かれている現状を信じたくない自分を、どこか楽観的に物事を考えている自分を、そこに見てしまった。どうにかなる、なんとかなる、どうにでもなる……そうやって何かをおざなりにしてきた自分自身を見つけてしまった。

 本当は今こそ、もっと考えるべきなのだ。もっと真剣になるべきなのだ。今を、未来を、見つめるべきなのだ。そんなことを思った。神様がいても、神様がいなくても、神様を信じていても、信じていなくても、もはやそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。今、この時に、わたしたちが、今について、未来について、考えることが大事なのだと、この本が訴えかけているようにも感じられる。この本をきっかけに、いろいろな問いについて、考える時間を、思案に暮れる時間を、ただただ考える時間を、立ち止まってたとえ僅かでも、ほんの少しでも持つことが大事なのかもしれないと思わせるのだ。この本を前にすると、わたしたちは大人でも子どもでもないのだ。わたしたちは一人の人間として、考える必要性を感じるのだ。ただ考える。今この時に、ただただ考える。それでいい。それだけでいい。そんな時があっていい。そんなふうにも思うのだ。

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)
谷川俊太郎/文 清川あさみ/絵
4861012201

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.04.15

半熟たまご 母と子の詩集

20120405_4003 母と娘、その二人の言葉が響きあって、刺激しあって、なんとも新鮮な心地よい平穏と程よい距離を感じる詩集、平岡淳子・平岡あみ著『半熟たまご 母と子の詩集』(河出書房新社)。母が子を思い、子が母を思い、母親ならではの、子どもならではの、それぞれの視点が展開され、とても面白い。添えられた写真や絵、手書き文字には二人の母と娘ならではの密な関係が感じられる。交換日記のような、対になっているような、互いに刺激を受けあいながらの短い数々の詩の中には、二人の中にあるさりげなくも確かな手触りの思いやりが感じられる。クロスステッチ風の表紙もレトロな可愛らしさでとてもあたたかな雰囲気が本から感じられる、読み手のこころをやわらかにほぐす一冊である。

 母・淳子さんのタイトルにもなっている「半熟たまご」には、“あなたを半熟たまごにゆでたいの それからさきはあなたがきめて もうしばらくわたしのもとにいてもいいし しらないせかいにおもいっきりとびだしてもいいし”(43p)と、自分なりの子育てと娘の成長と将来をこの短い詩の中で描いている。なんともやわらかく、やさしい。そんな印象が残る。そっと娘の成長を見守るあたたかさを感じる。“半熟たまご”という表現は、ある程度の年齢までは親が責任を持つけれど、その後はある程度の年齢を過ぎたら、自分で責任を持って自分で自分の生き方を選んで、逞しく生きてゆくのよ、という娘へのメッセージも伝わってくる。親になるということ、母性というものは、なんだかこの詩の短い言葉の連なりに凝縮されているように思える。

 一方、娘・あみさんの詩の感性はとても素晴らしい。たとえば「くも」では、“くもがなみになってそらをうみにしている”(44p)たとえば「さみしくなかったよ」では、“赤ちゃんのときおともだちいなかったけれどさみしくなかったよ”(62p)たとえば、「じゅぎょうさんかん」では、“ねぇマミィいっぱいごはんたべてきてね4じかんめはおなかすくからおうちではすきなときにたべられるけどがっこうはそういうことできないからね”(70p)たとえば、「ふゆ」では、“白いいきがみえるね生きてるのがわかるね”(86p)と、大人が思わずはっとするような感覚で文字を連ねる。独特の視点で考え、感じ、母を思いやり、気づいた言葉を、そのまま飾らない言葉で表現している。無垢でありながら、深みのある、絶妙な言葉のバランス感覚を持ちあわせているのだ。まっすぐ読み手のこころに届く言葉が広がっている。

 どこまでも素直な視点と思いやり、言葉のセンス。まだ曇りのない目で見る世界には、どんなふうに映るのか。もしかすると、子ども時代は誰しもあみさんのようなまなざしで世界を誰かを何かを思い、見つめていたのか。それとも、これはあみさんならではの天性のものなのか。母・淳子さんの詩も素晴らしいが、あみさんの詩にひたすら魅了される一冊である。人は成長するに従って、さまざまなことを経験する。さまざまに考える、さまざまに感じる、少しずつ汚れも知る。そして、多少なりとも歪んだ感情が芽生えたりもする。いつまでも純真無垢ではいられない。だからこそ、あみさんの言葉の素朴な美しさにはっとするのだろう。忘れていた思いを見出すのだろう。わたしは大人になってしまった……。まだまだ未熟者な我が身ながら、そんなことをはっとこの一冊を読んで気づかされたのだった。

4309014755半熟たまご―母と子の詩集
平岡 淳子 平岡 あみ
河出書房新社 2002-06

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.04.06

夢宮殿

20120313_4012 夢という無意識のものに対して、国民と国家を結び付けてしまうという恐ろしい悪夢のような世界を描いた、イスマイル・カダレ著、村上光彦訳『夢宮殿』(東京創元社)。物語の舞台となるのは、19世紀のオスマン・トルコらしき世界。国民の見る夢を収集する巨大な官僚機構、夢宮殿<ダビル・サライ>である。謎に包まれたそこには、全国から膨大な数の夢が収集される。集まる膨大な数の夢の報告を受け取る<受理>、それを重要性で分類する<選別>、夢に隠された意味を読み取る<解釈>、そして夢宮殿の最高機関<親夢>がある。<親夢>には、国家の存亡に関わる深い意味を持つ予兆を含む夢が選び出されてゆく。国の名門出の青年キョプリュリュ家に生まれたマルク=アレムは夢宮殿に就職し、大臣や知事を親戚に持つ家柄の力でとんとんと出世の階段を昇ってゆく。驚きと畏れに戸惑いながらも自らの仕事に没頭してゆき、やがて夢宮殿をめぐる権力の謀略に巻き込まれてゆく。

 物語が進むほどに顕わになってくるのは、国家に奉仕する巨大な夢宮殿の存在の恐ろしさと滑稽さである。夢宮殿という巨大な組織の中で働く官僚たちは、自分が組織の中でどのような役割を果たしているのかわからぬまま、知ろうとしないまま、目の前の仕事にただ追われている。名前も顔もはっきりとせず、意味のあることなのか無意味なことなのか、その基準も曖昧なまま、夢宮殿に集められた夥しい数の夢を無意味なルールで選別し、ときに恣意的に解釈してゆく。そして、それらに基づいて重要とされた夢に関わる者たちの運命を決めてしまうのである。見えない大きな権力の不気味さ、現実世界ではあり得ないような世界の物語の中に、次第に浮かび上がるテーマの重みに、ゆっくりとじわじわと呑み込まれてゆくような読後感が残る。語り口が重くない分、余計に物語の余韻があとを引く魅力的な作品である。

 『夢宮殿』というタイトルから安易に想像できる物語をいい意味でこの作品は裏切る。迷宮のような構造を持つ建物のあまりの巨大さ、そして知らぬ間にその歯車に組み込まれ、運命に呑み込まれ、地位を上りつめてゆくことの恐ろしさ。国家が個人の無意識の世界である夢にまで管理の手をのばす恐るべき世界は、特殊な設定ながらどこか現実社会とつながっているようで、それを思い始めると、夢から夢へ、そしてまた次の夢へとさまよい歩くマルク=アレムと一緒になって、この巨大組織の中に巻き込まれた心地を覚える。自分の無力さにうなだれ、押しつぶされるような虚しさ。巨大組織に翻弄されるしかない人間の運命と、掴みどころのない無意識が国家組織の枠組みの中にいつしか取り込まれてしまう恐怖と狂気、幻想の渦を象徴的に描いている。

 夢によって国民と国家を結び付けてしまうという恐ろしさ。無意識を管理される国で自由に夢見ることを奪われ、さらには自分が国家の重大事に関わっているかもしれないという恐怖は、まさに究極的な悪夢に違いない。読み始める前に想像していたタイトルから連想される幻想小説とは一味異なる物語だったが、夢中になって読んだ。物語ならではの特殊な設定も、宮殿をさまよい歩くような語り口も、夢宮殿で働く職員達の画一的で無機質な様子も、無数の廻廊が縦横に這う迷宮じみた夢宮殿の構造も魅力的だ。マルク=アレムが夢に取り組みながら袋小路の中で今にも発狂しそうになる様子、システムの一部になることに対する安楽と喪失、恐怖などを暗示しているようなくだり、不条理さを象徴するような夢宮殿の中の道案内も印象的。どうせ行き着くところは同じ。その、端的な無力感を思うとき、この世界の不条理が深く深く身にしみてくる。

4488070701夢宮殿 (創元ライブラリ)
イスマイル・カダレ 村上 光彦
東京創元社 2012-02-28

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.03.13

詩の樹の下で

20120313_4014 たとえば木々を思うとき、たとえば空を思うとき、人がちっぽけな小さな存在であるということを、わたしたちは痛感する。祈りが届かないような現実を知った後では、なおさらのことだ。一日が穏やかに過ぎようとしていること、ただそのことをありがたいと思う。あたりまえのことに感謝しつつ、明日以降も穏やかな日が続きますように。そう祈りながら目を閉じる。祈りがたとえ届かなくても、いっそう強く、強く祈る。祈り続ける。同時に、ときどき祈りが届かないことに虚しさを覚える。けれど、祈るほかないときもあることをどこかでわたしたちは気づいている。一人の力は小さい。だからこそ、わたしはまだどこかでまだ祈りが届くことを信じたいのだろうということも。たぶん、3月11日を迎えた後は特別に強く、強く。

 長田弘著『詩の樹の下で』(みすず書房)は、福島出身である詩人の著者の近作39篇からなるFUKUSHIMA REQUIEMという意味合いの強い散文詩集である。3・11を迎える日に読みたいと、この本が出たときに思っていた。あとがきによれば、「復興」の復の字には、死者の霊をよびかえすという意味があり、興の字にも、地霊を興すという意味があるそうだ。復興とは、まさに祈りのような言葉だったのだと、この本によって言葉の成り立ちを今更ながらに知った。故郷や絵画の中に描かれる木々たちに寄り添いながら、祈るように紡がれた言葉たちの中には、たくさんの心打つ言葉たちがある。木と人生を重ね合わせる言葉はとても深く、付箋を貼りまくって読んだけれど、わたしの中での一番の言葉は、“何も言わないこと以上に、大切なことを言う術がないときがある。「静かな木」より”という箇所だった。

 木々の静けさを思うとき、わたしたちは饒舌すぎる。ちっぽけな存在のくせに、何もわかっていないくせに、目の前で起きている感情に揺り動かされて、あれこれ語り過ぎる。ときにはじっと黙って、大切なことをゆっくりいとおしく手繰り寄せて考え、心の中で思う。そんな時間があってもいいのだ、とはっとさせられる。多くの情報が飛び交う中、何を信じ、何を感じ、何を考えるのか。その問いの答えは、人それぞれ違ってもいい。けれど、じっと黙って耐えることも、ときには必要な気がしている。自分が小さき者であることを自覚して、身の丈にあった発言をする、行動をする、それが求められているような気がしている。さまざまに木に寄り添い、この散文詩集を思うとき、自分の頭の上からはじまるという空のこともまた、わたしは思い出すだろう。空はどこまでも広いのだ。

 この『詩の樹の下で』に登場する樹の多くは、著者の幼少の記憶の中の木々である。その記憶の中の風景や木々が、美しいままいつまでもあるはずだった。記憶の中の一本一本の木に寄り添う静かで穏やかな言葉たちは、震災で生死を分けた人間一人一人をそっと包み込むあたたかさに満ちている。“死の知らせは、ふしぎな働きをする。それは悲しみでなく、むしろ、その人についての、忘れていた、わずかな些細な印象をあざやかに生きかえらせる。懐かしい誰彼の死を知ったら、街のそこここにある好きな大きな木の、一本を選んで、木に死者の名をつける。ときどき、その木の前で立ちどまる。そして、考える。あくせく一生をかけて、人は一本の木におよばない時間しか生きないのだと。「懐かしい死者の木」より”それでも深く懸命に生きたい、そんなふうに思った。

4622076659詩の樹の下で
長田 弘
みすず書房 2011-12-03

by G-Tools

| | コメント (0)

2012.03.10

チャリング・クロス街84番地 書物を愛する人のための本

20080606_006 真心を尽くす、というその言葉の本来の意味を、あるべき姿を、ヘレーン・ハンフ編著、江藤淳訳『チャリング・クロス街84番地 書物を愛する人のための本』(中公文庫)によって、わたしは知ったような気がした。ロンドン古書専門店であるマークス社とアメリカの女性・ヘレーン・ハンフとの20年にもわたる心温まる往復書簡集である。そこにはもちろん、古書店とその顧客という関係があるのだが、それをこえた、いや、それ以上の人と人との思いやりややさしさ、お互いを気遣い合う、真心が伝わってくる。マークス社の静かな仕事に対する情熱、ヘレーン・ハンフの読書の趣味の良さなどにも、読書好きを唸らせるものを感じる。まさに書物を愛する大人のための一冊なのである。

 手紙のやりとりがはじまるのは、1949年10月から。第二次世界大戦後のロンドン、チャリング・クロス街84番地にある古書専門店マークス社宛に、アメリカのニューヨークに住む貧乏作家のヘレーン・ハンフからの手紙が届く。彼女は地元ではなかなか手に入らない英国文学作品を広告に載っていたマークス社から取り寄せようとしていたのだった。彼女のリクエストに応じたのは、買い付けを担当するベテラン店主のフランク・ドエル。彼のおかけで、アメリカで売られている本とは異なる、見事な装丁の古書が次々と彼女の元へ太平洋をこえて届けられてゆく。当時ロンドンでは食糧難が続いていることから、彼女は注文のたびに心のこもった贈り物とアメリカ人らしいユーモア溢れる手紙とを送るようになる。その彼女の人柄に、読み手は一気に心惹かれてゆく。

 フランクだけでなく、その家族やほかの店員たちへの気遣いも彼女は忘れない。二人のやりとりにとどまらず、そのほかの人たちも彼女の手紙を待ちわびるようになり、お得意様以上の人として関わっていることが読み取れる。1952年の手紙には、とうとう“ハンフ様”ではなく、“ヘレーン”という呼称に手紙の文面が変わるほど、親しい関係となる。そして彼らのやりとりは20年にも及ぶのだ。注釈はあるものの、往復書簡という形式をとっているため、手紙に書かれていること以上のことは、読み手であるわたしたちは知り得ない。けれど、余計な説明が一切ない分、それ以上の感情を読み手に想像させ、小説とは一味違った深い余韻を残してゆくような気がする。二人の人柄、本に対するお互いの思い、深い友情、国の豊かさの違いなどなど。

 第二次世界大戦を境に世界の覇権国家としての地位が逆転したイギリスとアメリカ両国の関係は、食糧難の問題だけでなく、本代を支払う際のドルとポンドの力関係にも及び、20年もの長い交流の中で、刻々と時代が変化してゆく様も感じ取れる。二人が好対照な様子も伺えるのも面白い。ヘレーンの飾らないユーモアまじりの文面に対して、フランクはイギリス人らしい控えめさで語りかける。また、ヘレーンの注文する名著は、そのまま読書案内としても楽しめるのだ。二人は会いたいと切望しながらも、渡英資金をふいにしてしまうことが次々起こる。それがなんとももどかしい。今の時代とは異なる距離や時間、読書感覚というものを呼び覚ましてくれるような真心溢れる往復書簡である。なお、本書は1986年には映画化もされている。

4122011639チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)
ヘレーン・ハンフ
中央公論社 1984-10

by G-Tools
B002MTS446チャーリング・クロス街84番地 [DVD]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2009-11-04

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.03.07

短くて恐ろしいフィルの時代

20090429_001jpg_effected 突拍子もなくもユーモラスで奇妙な物語ながら、痛烈なまでに面白く、ちくりと胸を刺し、その恐ろしさに、強烈な読後感を残す、ジョージ・ソーンダーズ著、岸本佐知子訳『短くて恐ろしいフィルの時代』(角川書店)。物語はどこかとぼけたおかしさで展開するのだが、そのおかしさは、ルワンダ、ヒトラー、イラク戦争、アブグレイブ刑務所などといったものを風刺的に取り入れた寓話として読むと、笑うに笑えない。そして、読み進めるうちに、読み手のわたしたちの中にも、恐ろしい独裁者としての自分を感じてしまう。人間のエゴというもの、その象徴として描かれる独裁者は、わたしたちの中にも潜んでいるのではないかと、自分をはっと省みてしまう。独裁者とは、まだ決して過去のものではないのである。

 物語に登場する<内ホーナー国>は、一度に一人しか住めないほどのものすごく狭い国土の国。残りの6人は<外ホーナー国>の領土内の<一時滞在ゾーン>に小さくなって立ち、自分の国に住む順番を待っている。痩せてひ弱で背が低い国民であることが特徴で、こみいった数学の証明問題を互いにひそひそ相談しあって、自国に入る待ち時間をやり過ごしている。自分たちの国がいかに他国もうらやむほど素敵に小さいかを感傷たっぷりに歌う。一方<外ホーナー国>は途方もなく広い国土で、国民は大きく肥って色つやがよい。広々としたカフェの通路に脚をいっぱいに伸ばして、のうのうとコーヒーを飲む。自国を絶対最大な強国だと思い、身をひそめあっている<内ホーナー国>の人々を胸糞悪く眺め、長年それを許している自分たちの寛大さを思っているのだった。

 こんな物語設定だけでも、くすりと笑ってしまう。だが、この小さな<内ホーナー国>を取り囲む大きな<外ホーナー国>にフィルという独裁者が突然誕生するのである。そして、国境めぐって<一時滞在ゾーン>にいることに対する税金を取り立てはじめる。次々とエスカレートする迫害は、いつしか国家を巻き込み、その国家の転覆にもつながってゆく。登場人物たちは、ツナ缶やバックル、縄などのガラクタのパーツの寄せ集めのような人々。独裁者フィルの脳もときどき落ちてしまい、脳が落ちている時間が長ければ長いほど、どんどんおかしな熱弁をふるうようになり、痙攣し、やがてバッテリー切れを起こすらしい。そのほか、おつむの弱い年老いた大統領の会話にもくすりときてしまう。

 そんな物語の展開に笑っていられるのは、途中まで。もちろん、最後まで面白く読めるのだけれど、他人事のように面白く読んでいる自分自身が恐ろしくなってくる。フィルの独裁ぶりは、かつて時代に生きた独裁者の最大公約数に違いなく、もちろん恐ろしい。けれど、それを楽しく読んでいる自分はもっと恐ろしいのではないかと思うのだ。ユーモアにくすりと笑っていた自分自身を恥じ入るように、そっと“創造主”を思うとき、わたしたちの愚かさやちっぽけさを思い知る。物語の端々に、たとえば“いいよね!忠誠心”なんていう言葉に思わず笑ってしまう自分もたぶん、この物語の中ではフィルと同罪なのだ。真実の裏返しのような物語に、ぶるぶると震えつつ思う。もしやわたしも解体されたら、ツナ缶やバックル、縄なんかでできていたりして……嗚呼、なんて恐ろしい。

4047916447短くて恐ろしいフィルの時代
ジョージ・ソーンダーズ 岸本 佐知子
角川書店(角川グループパブリッシング) 2011-12-27

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.03.06

王国のない王女のおはなし

20110721_4009jpg_effected 上質なおとぎ話を読んだような、やわらかく甘い気持ちの読後感を味わった、アーシュラ・ジョーンズ文、サラ・ギブ絵、石井睦美訳による『王国のない王女のおはなし』(BL出版)。王国のない王女、という設定だけでも驚きの型破りのお話だけれど、彼女の持ち物はプリティという名前の子馬と、その子馬が引く荷台だけ、という点も型破り。ポストに入らないようなやっかいな荷物を運んで、少しばかりのお金を稼いで、どこかにあるはずの自分の王国をさがして旅している王女のお話である。周囲も王国がなくても礼儀正しい彼女を“プリンセス”として認めてはいるのだが、決して最高のもてなしをするのではなく、必ず二番目に上等なもので歓迎する。ちょっと見下された王女のお話なのである。

 この王女プリンセスは、自分の欲しい物を手に入れるために、積極的に行動しているところがとても共感が持てる。他力本願の夢物語とは違うのである。働いて、頭を使って、自分の願いを叶えようと努力を惜しまない。現代を生きるプリンセスのお手本のような、そして、それはプリンセスではないわたしたちにも通ずる何かを思わせてくれる。たとえ、どれほどまでに見下され、失礼に扱われようとも、自分の目標や夢を見失わずにまっすぐ前を見つめている姿は、真のプリンセスと言うべきかもしれない。物語の展開は思わぬところに行き着くけれど、ありきたりではない結末がなんとも幸福そうなところは、やはり安心のハッピーエンドで、ほっと安堵する。

 繊細で美しいサラ・ギブの絵は色鮮やかなページと、シルエットのみで描く影絵のようなページとで書き分けられている。とりわけ、シルエットのみの絵での効果的なピンク色や赤色の使い方が素晴らしく美しく、むしろシルエットだけのほうがより人物の内面を描き出しているようでもあり、そっと物語に寄り添う。甘い色使いなので、女性好みの絵本なのだが、決して甘すぎるということはない。物語自体が古典的なシンデレラストーリーとは違っている点もとてもよいのだが、訳文の丁寧な言葉遣いも、どこか品があってとても心地よいのが印象的である。王女プリンセスの気品と穏やかさが絵本全体から漂ってくるようでもあり、読んでいてとても幸福な気持ちに浸れる。

 物質的な豊かさを求めがちな現代社会や、裕福さを強調するかつてのシンデレラストーリーとは一味もふた味も違う結末が、とてもいい。人と運命的に出会うこと、そして心が豊かであること、それらの尊さを諭してくれるような、そんな一冊なのだ。既存の価値観にとらわれない、新しいプリンセスのかたちがここには描かれている。可愛らしい表紙に誘われるようにして手に取った絵本だったのだが、思わぬところで本当の意味での幸福を教えられたような気もした。ここかしこ、いたるところに、わたしたちの幸福はあるのだということ。そして、それは思わぬところに転がっているということ。それに気づくことのできる者だけが、きっと本物の幸福を手にするのかもしれない。

4776404893王国のない王女のおはなし
アーシュラ ジョーンズ サラ ギブ
BL出版 2011-10

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.03.05

怪物はささやく

20110721_4006jpg_effected 物語の力強さと可能性を信じたくなる本と出会った。一人の少年の喪失と孤独、そして救いの中に寄り添ううちに、物語の奥の奥に秘められた、書き手の熱き思いを感じたような気がしたのだ。パトリック・ネス著、シヴォーン・ダウド原案、池田真紀子訳『怪物はささやく』(あすなろ書房)は、早世した作家シヴォーン・ダウドの遺した原案を、パトリック・ネスが作品化したもの。異なる持ち味の作家の組み合わせとイラストレーションを手がけた、ジム・ケイの力強いタッチのモノクロの画も加わって、見事な化学反応を起こしている一冊である。物語が思う存分に暴れ、蠢き、油断ならない確かな存在として、こうして本というかたちをしている。それは、どんな奇跡よりもフィクションでありながらも、本物の真実として、ここにあるようにすら思えるほどだ。

 物語の主人公の少年・コナーは13歳。死期が近い母親を持ち、周囲からそのことが原因で変に特別な存在として見られてしまい、いじめの対象にもなっており、孤立している。父親は再婚相手とアメリカで暮らし、別に家族を持っている。祖母がいるが、あまりコナーとはよい関係とはいえない。ある夜、そんな孤独なコナーのもとに、母親と暮らす家から見えるイチイの木の姿をした怪物が現れる。“わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ”と。そして、それは真実の物語でなければならないという。不思議と怪物をあまり恐ろしく思わなかったコナー。なぜならコナーは、もっと恐ろしい怪物を知っていたから。やがて、怪物は決まって深夜0時7分ぴったりにやってくるようになる。

 何のために怪物はコナーのもとへやってくるのか、そしてコナーに何を語らせようというのか。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。その狭間でコナーは、一人もがきあがきながら、真実の物語へと少しずつ立ち向かってゆく。恐怖と戦うためにさらなる恐怖と戦うような、そんな激しさを秘めている、つらく厳しい日々と向き合わなくてはならなくなる。物語はヤングアダルト向けのファンタジーのかたちをしていながらも、深く心の奥に響く言葉と感情のうねりを感じる。読み手は、誰もが直面する、生きてゆくつらさを思い知らされる。理不尽で矛盾に満ちたこの世界に、それでも生きる、生きてゆく、そんな本当の意味を問いかけるような、奥深き物語世界なのである。

 少年の喪失と孤独、そして救いの物語は、死と生とをつなぐ物語でもある。普段は目をそらしがちなわたしたちの身近にある問題でもあるのだ。死の影に怯える少年の孤独と恐怖、痛み……それらは、子どもでなくとも感じる当たり前の感情であり、大切な人を失うときに誰もが経験しなくてはならないことである。誰かを失いたくないという気持ち、それと同時に、その人が苦しんでいる姿をこれ以上見ていたくないという気持ちも、看取る側としてはある。そうして、目の前に置かれた現実と自分の中にある認めたくない思いとの間で葛藤する。矛盾した二つの気持ちでのゆらぎが、この物語にはしっかりと描かれていて、はっとさせられるのである。“物語はこの世の何よりも凶暴な生き物だ”という怪物の言葉は、まさに真実を意味しているように思うのだ。

4751522221怪物はささやく
パトリック ネス シヴォーン ダウド Patrick Ness
あすなろ書房 2011-11-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.29

灯台へ/サルガッソーの広い海

20110721_5012 濃密な時間が流れてゆく。意識の奥底を。そのまた奥の奥にある意識の底を。そっといつまでもたゆたうようになでられてゆく。ささやかながら幸福を感じる物語とやりきれない悲しみに満ちた物語と。間逆の物語でありながら、2つの物語は寄り添うようにして一冊の本としてここにある。なんとも心地よい感触で。ああ、このまま浸っていたい。浸っていたいけれど、その先を知りたい。物語の行く先を、その先を知りたい。自分の中の葛藤とページをめくるほどに格闘することになるとは思いも知らずに、わたしは物語たちに踏み込んでしまった。そんなふうに感じた、池澤夏樹個人編集による世界文学全集のヴァージニア・ウルフ著、鴻巣友季子訳『灯台へ』、ジーン・リース著、小沢瑞穂訳『サルガッソーの広い海』(河出書房新社)という2作品。

 ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』。ここにはあらすじらしいあらすじはあまりない。ひとつの家族があり、それに関わる人たちがいて、灯台へ行こうと計画する。けれど、その計画はなかなか実現しないまま、時だけは確実に過ぎてゆく。小さな幸福を描く第一部、あっけないほどの驚きが待ち受けている第二部、ようやくたどりつく灯台の第三部。読みながら、ただただ眩暈を覚えるほどゆらゆらとする意識の奥底を漂うような流れが、なんとも心地よい。人の心の中というものの面白さを味わいながら、意識の奥深さを思わせてくれる。小説でありながら、絵画のような美しさもある文体なのだ。これまでウルフ作品をあまり読んでこなかったことが悔やまれるほど、一気に物語に魅せられていた。

 読みながら、第一部でメインの登場人物であるラムジー夫人の存在感、あるいは不在の存在感に圧倒される。あっけないほどに描かれるラムジー夫人の不在は、物語の中でとても多くを占めていると思う。彼女のいた時間、彼女のいない時間、いない人を思えば思うほどに、その存在感は増してゆく。幾重にも折り重なる濃密な時間が流れて、ただただ圧倒され、読み手の心に奥深く分け入ってくる。どうしてもラムジー夫人の存在感は色濃く残るが、実は脇役と思われるリリーが重要人物なのかもしれなかった、そうはっと気づくのは最後のページに至ってからである。満ち足りた読後感の読み心地や、最後に光を見出すところもすばらしく、物語によい流れを生み出していると思う。

 さて、ジーン・リースの『サルガッソーの広い海』。名作として読み継がれている『ジェイン・エア』の異聞ながら、この物語だけで完成された物語として描かれていると思う。わたしは『ジェイン・エア』を読んでいないので、そう思うのかもしれないけれど、植民地生まれと差別され、貧困と暴力に苦しみ、故郷が人生に暗い影を落とすことの苦しさが重たくのしかかる物語にもかかわらず、とても夢中になって一気に読んだ。ある種の人の狂気というものを思うとき、誰もがそれを自分の中に見つけるときの悲しさを思うと、やりきれない。そして、それを秘めた自分の中に流れている血の恐ろしさに対しても、やりきれない。けれど、物語を最後まで読み終えて思うのは、この物語の時代ほど、今の世の中には偏見や差別というものがないと、信じたいということだ。強く、強く。

4309709532灯台へ/サルガッソーの広い海 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-1)
ヴァージニア・ウルフ ジーン・リース 鴻巣 友季子
河出書房新社 2009-01-17

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.24

うきわねこ

20110309_003jpg_effected ふわふわとしたやわらかさのあるタッチで、きょとんとしたあどけない表情で大きなうきわを手にしている小さな猫のパステル画の表紙に、猫好きならずとも多くの人が強く惹きつけられる、蜂飼耳・文、牧野千穂・絵による『うきわねこ』(ブロンズ新社)。しかも物語はただの猫のお話ではないのである。猫の名は「えびお」。猫なのに「えびお」。そして、猫なのに猫としては描かれていない。猫の姿をしているけれど、一人の男の子として描かれている一冊だ。満月の夜のおじいちゃんとえびおの不思議な冒険を、臨場感溢れる丁寧なタッチのパステル画と独特の鮮やかな言葉遣いの文章とで楽しませてくれる。とても素敵な世界へと読み手を誘ってくれる絵本である。

 ある日、えびおの元におじいちゃんから誕生日プレゼントが届く。開けてみると、赤と白の縞模様のうきわである。えびおの住む街には海も川もプールもない。どうしてうきわなのだろうと、えびおもえびおの両親も不思議がる。けれど、プレゼントのうきわにはそっと手紙が添えられていた。えびおはとっさに手紙を取り出して、こっそり一人で読む。“とくべつなうきわです。つぎのまんげつのよるをたのしみにしていてください”と、おじいちゃんの言葉がある。そして待ちに待った満月の夜、えびおはうきわをふくらませてベランダへ。不思議なことに、体がふわりと浮かび、月に引き寄せられるように空に向かって飛ぶことができたのだった。

 すると、やはりえびおと同じようにうきわにつかまったおじいちゃんが、満月の前で待っていた。そしてふたりは海へ行く。えびおにとっては、はじめての海である。そうして不思議な特別な忘れられない体験をする。海で釣りをする場面では、釣った大きな魚を貪るように食べるさまだけは、リアルな猫らしさが漂う。いや、面白いことに野生の猫そのものなのだ。ああ、やはり猫だったのだ……読み手はどこかそのことにほっとする。そして、澄ました顔でおむすびなんかを食べていたえびおにも、そのえびおという名前にも、これまで男の子としてしか描かれていなかった部分も含めて、猫の姿をしたえびおとおじいちゃんを、特別な“うきわねこ”として認識するようになる。

 おじいちゃんと孫。そのふたりだけの秘密の出来事を描いたこの物語を読み終えて、この旅はとてもわくわく感に満ち溢れた特別な夢物語だけれど、どこか悲しさも含んでいるようにわたしには読み取れた。この出来事は、えびおにとってもおじいちゃんにとっても、かけがえのない思い出となるだろう。でも、おじいちゃんはもしかすると、この夢のような体験をのこして、去りゆく人なのではないかと思うこともできる。たとえばどこか遠くへと旅立ってしまう前のふたりの時間なのかもしれない、と。おじいちゃんは孫であるえびおに大事なバトンを渡す、先にこの世を去る人なのだ。語られない部分に思いをさまざまにめぐらせて、読み手がいろいろに解釈できる、とても奥行きある物語である。

4893095234うきわねこ
蜂飼 耳 牧野 千穂
ブロンズ新社 2011-07

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.23

いいなずけ

20100828_003jpg_effected 生きてゆく上での一歩踏み出すということの困難さは、誰もが一度ならず二度も三度も感じることだろう。何かを踏み出す勇気を奮い立たせるのは並大抵のことではない。今を生きる時代において、女性が社会で働くということは当然の権利としてそこにある。まだまだ女性の活躍する場は少ないかもしれないが、多くの女性が教育を受ける権利を与えられて、勉学に勤しみ、やがて働く機会を与えられるようになる。けれどかつて、そうでない時代があったこともわたしたちは知っている。アントン・P.チェーホフ作、ラリーサ・ゼネーヴィチ絵、児島宏子訳『いいなずけ』(未知谷)に描かれる時代は、まさにその時代の物語である。女性が学ぶこと、働くこと、自由に夢見ることすらできなかった時代に、一歩を踏み出そうとする、チェーホフ作品としては大胆な女性の物語である。

 16歳の頃から結婚することだけを恋焦がれるように夢見ていたロシアの地主の娘ナージャには、周囲から評価の高い許婚のアンドレイがいる。けれど、23歳となったナージャの前に芸術家の青年サーシャが現れ、新しい刺激を受ける。本当に結婚してしまっていいのか、このままの暮らしでいいのか……と繰り返し言われるのだ。これまで疑問など何も感じたことのなかったナージャだったが、繰り返しサーシャに言われ続けるたびに自分自身を、周囲を、見つめ直すことになる。そしてこれまで彼女を取り巻いてきた幸福というものが、見せかけのようにすら思えてくるのだ。そうして、マリッジブルーなのか、サーシャの囁きのせいなのか、ナージャは何不自由ない地主暮らしと訣別し、自立を目指しペテルブルクへと旅立つことになるのだった。

 あらすじだけを追ってゆくと、今の時代にもよくありがちなマリッジブルーの物語にも思えないこともない。けれど、そこはやはりチェーホフの作品、ひとひねりあって読ませてくれる。物語はナージャとサーシャとの関係の立場の逆転を用意していたりもする。ナージャが一歩踏み出すきっかけを懸命に与えてくれるサーシャが、なぜこんなにも彼女を今の暮らしから一歩踏み出させたかったのかということが後半になって明らかになってゆく、そして……。という仕掛けもあるのだ。彼がどうしても彼女を踏み出させたかったことを思うと、胸の奥がじんと熱いもので込み上げてくるほどに。まだ女性が新しい時代を担う道が平坦ではなかった時代背景を思うと、さらに込み上げるものがある。

 人は皆、今ある生活を変えることは、とても難しい。このままでいいのか、今のままでいいのか、その疑問を感じつつも、なかなか前へ一歩は踏み出せない。生きてゆく上での一歩踏み出すということの困難さは、誰もが一度ならず二度も三度も感じることに、今も昔も変わることはない。何かを踏み出す勇気を奮い立たせるのは、並大抵のことではないのだ。物語の中で、ナージャが少しずつ何かを見出し、淡い恋心のようなものを覚える様子、そして、やがて一人の自立した女性へと向かう逞しい姿には、決して古びない今を生きるわたしたちにも通ずる何かを感じてしまう。今を、これからを、どうしたいのか、どう生きたいのか、どんな幸福を求めているのか。それをチェーホフは読み手に問いかけてくるのだ。

4896421922いいなずけ (チェーホフ・コレクション)
アントン・P. チェーホフ ラリーサ ゼネーヴィチ
未知谷 2011-12

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.22

本屋さんに行きたい

Ksduhfkdjhfo 街の本屋さんは次々と姿を消してゆく時代にあって、今書店業界は大変な様子。わたしの住む町にも今、一軒も本屋はない。合併したものの図書館すらない町なので、田舎の町というだけなのかもしれないが、本好きにとってはこういう状況下にある限り、インターネット書店に頼らざるを得ない。お隣のお隣の大きな街まで行っても、まともな品揃えの本屋はないから、本好きには寂しい限りの時代になってしまったのかもしれない。そんな中、小さいながらもこだわりを持ち、個性的なユニークな15の新刊書店、古書店、ブックカフェを紹介した本を読んだ。矢部智子著『本屋さんに行きたい』(アスペクト)である。ページをめくるほどに、本好きにはたまらぬ夢のような本屋が並んでいる。

 世の中に溢れるたくさんの本の中から、自分たちのよいと思う本だけを選び抜いて、自分たちの思い描くとおりに本棚に並べ、特色あるディスプレイにし、店構えもふつうの本屋とはどこか違う佇まい。本のつくり手と読み手がつながるような、サロンのような、ギャラリーのような、くつろげるカフェのような、書店という枠にとどまらない自由な空間をつくり出している。本は買うものでも、読むものでもあるけれど、それ以上に楽しむものだということを教えてくれるような空間が広がっているのだ。この本に紹介されている本屋さんへ行けば、読書を楽しむ幅が今の何十倍も広がって、本との本当の意味での付き合い方を学べるのではないか、という気持ちにすらなってくるほどである。

 そこへ行くだけで、そこに佇むだけで、もうそれだけで、読み手は本の虜になる。その場所へ行ってみよう、という好奇心もふつふつとわいてくる。品揃えの多さでいったら、もちろんインターネット書店にはかなわないだろう。けれど、実際に手に取り、手触りを確かめ、はっとするような新しい出会いをする。そんな運命が待っているような気がしてならない。その本屋さんを訪ねるために、旅をしたくなるような気さえしてくるのだ。訪れた人が新しい作家や本を知るための、ささやかなきっかけをつくる手助けをしたいという、控えめながら強い気持ちを感じる。そんな静かに熱い本屋さんばかりである。そこを訪れる価値が確かなものとして心の奥深くに残るような、そんな本屋さんばかりだ。

 「人がつながる本屋さん」、「空間を楽しむ本屋さん」、「あたらしい古本屋さん」、「街と生きる本屋さん」、「もっと!本屋さん」という5章からなり、そのほかコラムとして本屋さんではないけれど、さまざまなかたちで本を楽しめる場所も紹介している。千代田線根津駅根津メトロ文庫や日本科学未来館、目黒シネマ、キッズデザインライブラリーなど、どれもそれぞれにユニークな試みをしていることがわかる。本のある暮らしを送るために、本のある休日を過ごすために、本のある日常を見出すために、大型書店やインターネット書店では味わえない思いを満たすために、本屋さんへ行こう。本屋さんへ足を運ぼう。そういう気持ちを奮い立たせてくれる魅力溢れるガイドブックとなっている。

475721670X本屋さんに行きたい
矢部 智子
アスペクト 2009-04-27

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.21

なかないで、毒きのこちゃん 森のむすめカテジナのはなし

20110412dsc_40040jpg_effected 森に生きる少女の子どもらしい感受性で、いのちを学び、喜び、さまざまな動植物と戯れ、美しい森で生きてゆくこと、生きとし生けるものすべてに対するあたたかな愛おしさを感じる、デイジー・ムラースコヴァー作、関沢明子訳『なかないで、毒きのこちゃん 森のむすめカテジナのはなし』(理論社)。ときに胸の芯をぐいぐいつかまれるような哲学的な思考を展開したかと思えば、ときに森での生きるすべそのものは、わたしたちのすべてに通ずる暮らしの営みを思わせてくれる。森というものの偉大な豊かさを、生きてゆく喜びを、たくさんの生き物たちの鼓動を、30もの掌編によって、読み手であるわたしたちは少しずつ少しずつ知ってゆくのだ。

 あまえぼうの子バト、泣き虫のベニテングダケ、口の達者なウサギ、金色の目を持ちながら本当の金色を知らないカゲロウ、くいしんぼうのオオカミ……などなど、挙げ出したらきりがないほど魅力的な個性的な森の動植物たちとカテジナとのふれあいは、どれもがとてもあたたかな物語となっている。猟師でありながら、猟によっていのちを無駄に奪うことを決してせずに、カテジナの素朴な疑問に対してやわらかく答える父親の存在、そしていつだってあたたかくのびやかにそっとカテジナを見守るやさしい母親の存在にも支えられて、カテジナは自分の中に強い意志をしっかり持ち合わせた、いのちを思うことのできるやさしく逞しい少女として物語の中にいる。

 例えば、真っ赤な頭の毒キノコが自分はみんなに嫌われていると泣いていると、カテジナはいろんな手を尽くして毒キノコを励まし、思いやり、毎日のようにお話を聞かせにゆく。いつも醜いと言われても決して怒らないヒキガエルには、尊敬のまなざしを向けながらも、ときには本当のことを言わないほうがいいこともあるのだとヒキガエルにそっと言い放つ。ときには地球の反対側を思って、そこにカテジナと同じように森で暮らし、今このときにも同じことをしている少女がいるのではないかと想像をめぐらせたりもする。アリのゆく道をどこまでも追って、自分が果たして大きいのか小さいのかわからなくなることもある。もじもじしているオオカミにはぴしゃりと言葉を放つ。

 自然とともに、森とともに、そこに暮らす動植物たちを敬いながら生きること。それは森からはかりしれないほどの恵みをもらって、森が生活の一部になっていなければ、忘れがちのことなのかもしれない。細い道をのぼりにのぼってゆく日本の森とは違って、この物語の舞台となるチェコの森は、奥深い森もあるらしいが、多くは身近な野原や畑の続きにあって、いきなり森がはじまるのだそうだ。そして、きちんと管理され、森林保安官、猟師、森番などの専門家たちに守られて人々と共存しているという。まるで物語の中のように、静かにそっと森はほほえんで息づいているに違いない。物語に添えられた作者による画も物語の雰囲気とぴったり寄り添うように素敵で、お気に入りの1冊となった。

4652079702なかないで、毒きのこちゃん―森のむすめカテジナのはなし
デイジー ムラースコヴァー Daisy Mr´azkov´a
理論社 2010-05

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.02.16

トーイン クアルンゲの牛捕り

20111219_54043 千年以上も前に古代アイルランド語で書かれた伝説をキアラン・カーソンによって英語に翻訳され、それをさらに日本語に翻訳されたという重訳による本書『トーイン クアルンゲの牛捕り』(東京創元社)。血湧き肉踊るような英雄譚でありながら、もともとは語りものとして伝えられてきた神話だというせいなのか、口承の言葉たちが文字として連なり、あるときは詩のように歌うように、特徴あるリズムや言い回しを使っているせいなのか、深い友情を犠牲にしてまでの、生きるか死ぬかの殺し合いの決闘の最中にも、どこか悠長なのびやかな心地よい印象さえ残る不思議な物語である。あまりにも次々とあっさりと人が死にゆき、騙し騙され、人の愚かさが漂う物語にもかかわらず、のちの数々の物語に影響を与えるほどの英雄クー・フリンの真実が痛快なまでに面白く、夢中で読める。

 この英雄クー・フリンの英雄譚は、そもそもの話がコナハト国の王アリルとその強き女王メーヴのしょうもないような寝物語がきっかけではじまる。二人はそれぞれの持っている能力や権力、財産を列挙し、競い合う。夫が持っていて自分が持っていない唯一のものが、白い角を持つ雄牛フィンヴェナハと知るやいなや、女王メーヴはアルスター(アイルランド北部)にそれをしのぐ雄牛がいることを突き止めると、大軍を率いて力ずくで奪おうとするのだった。けれどアルスターの男たちには呪いがかかっており、戦うことができない。そこで、呪いを免れていたクー・フリンが国を守るため、たったひとりきりで戦いをはじめることになるのだ。このクー・フリン、子どもの頃から様々な武勇伝を持つ、向かうところ敵なしの若者だったのである。

 女王メーヴはクー・フリンを倒さなければいずれ国が滅ぼされかねないと、実にさまざまな手段を用いる。けれどルールを無視したゲリラ戦術にも、一対一の対決にも、だまし討ちなどにも、やはり圧倒的な強さでクー・フリンが勝利してしまう。その犠牲となる人々の数ときたらすごい数である。女王メーヴはとうとう最後の悪巧みとして、クー・フリンと義兄弟で彼と共に武術を学んだことのある互角の相手であるフェル・ディアズを巧みに言いくるめて決闘を挑ませる。その何日間にも及ぶ戦いは物語の中での一番の見せ場かもしれない。互いに互いを思い合い、かつての友情を懐かしみ、戦わねばならぬことに苦悩する姿には、ひどく心打たれる。狂戦士のようにさえ端々で感じるほど、人間離れした存在だったクー・フリンの、人間らしさの見える場面のようにも思える。

 この神話物語の面白さは、壮大なスケールでエンターテイメントとして描かれている、というだけに終わらない。今この時代に読み物として、文字として、こうして読めるからこその味わいもある。たびたび人々は詩のような、歌のような掛け合いによって心の奥にある思いを語り、土地の地名の由来となった出来事を明かす。独特の反復表現や、“両軍ともに三かける二十は六十人の戦士が倒れた”などというような数字の表現が繰り返し効果的に使われていることも見逃せない。わたしが個人的に好きだった箇所は、“そこでどんなことが起きたかはここでは語らない(P186)”というところ。こういう読み手に想像をゆだねる部分も、口承で長きにわたり語られ、今の世にも受け継がれ残ってきた昔ながらの神話らしさを感じる。多くの命を犠牲にして血を流す物語ながら、読み心地が決して生臭くなく、どこか悠長な、心地よい爽快感さえ覚えるほどに。

4488016510トーイン クアルンゲの牛捕り (海外文学セレクション)
キアラン・カーソン 栩木 伸明
東京創元社 2011-12-21

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010.12.26

ムントゥリャサ通りで

20101114_55014 翻弄されて、ぐるぐるぐると混乱するわたしがいる。翻弄されて、じりじりじりと心が急くわたしがいる。物語のその先を、その先の続きを、そう思うそばから物語はどんどんわたしの要求からいやいやをするように、じらすように逸れてゆく。謎めきは謎めきのまま、最後の最後まで物語の根底にあり続け、ぐいぐいとわたしの気持ちを引きつけて離さない。散りばめられたいくつもの神秘にゆらりゆらりとゆれながら、どっぷりと物語に呑み込まれてゆく。どこまでが真実の語りなのか、どこまでが信じるすべなのか、その深みに戸惑いながら、ミルチャ・エリアーデ著、直野敦訳『ムントゥリャサ通りで』(法政大学出版局)という物語にわたしはとてつもなく魅了されていた。こうして久しぶりに言葉を連ねたくなるくらいに、ひどく、強く。ひどく、強く。

 一人の老人がある男を訪ねる。老人は元ムントゥリャサ小学校の校長ファルマで、ファルマが訪ねた男の名は教え子であるはずのボルザ。だがボルザはムントゥリャサ小学校には通ったことがないと説明する。次の日、ファルマは保安警察に叩き起こされ、取調べを受け、供述書を書くことになるのだ。そこでファルマは、かつての教え子たちや彼らにまつわる者たちの長い長い話をおもむろに語り出す。幾つものエピソードは幾重にも枝分かれし、物語の謎めきを深く深くしてゆく。ファルマの語り口は聞き手である人々の心を掴み、たちまち魅了する。だが、次から次へと話はその本筋から逸れて、聞き手や読み手であるわたしたちを翻弄し、その脳内をぐるぐると混乱させてもゆく。魅了されたが最後、ファルマの語る話の先を知りたいと心が急くのだ。

 ファルマの告げる事実はどこまで真実かわからない。わからぬまま、わたしたちは進んでゆく物語の展開のその先を、そのまた先を知りたいと強く願っている。そう渇望せずにはいられない。ファルマの語る話はときに時間をこえて、ときに空間をこえて、ときに現世から彼岸へと思いを馳せるまでに至る。ひどく神秘的な地下に暮らす者たちの世界の話も登場したり、端々には幻想的なモチーフも豊かに散りばめられたりして、実に味わい深く語られてゆく。物語全体に漂う謎めきは、最後までずっと変わらずにわからないままあり続けるゆえ、読み手の解釈はどこまでも自由だ。この物語の魅力は無限に広がっていると言っていい。小説を読むことの醍醐味がそのままかたちとなって目の前にあるとも言える。読書好きのための物語、そんなふうにも思う。

4588490249ムントゥリャサ通りで
ミルチャ エリアーデ Mircea Eliade
法政大学出版局 2003-10

by G-Tools


人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010.06.24

ポロメリア

20100409_4022 “今”が切実に欲しいと思う。同時に、“今”なんていらない、とも思う。見えない明日に夢を抱きながら、不確かな足取りではすぐさま足元をすくわれる。はたと気づけば、今この瞬間はすぐに過去になるのに、それでも“今”は落ち着かない。“今”におさまりきらない思いが、びゅうと激しくゆれる。どうしたらいい?どうすればいい?“今”を駆け抜けて生き抜くすべを知りたい。切実に知りたい。わたしのゆくべき道を。わたしのたどり着く先を。知りたい。切実に知りたい。その先を、そのまた先を知りたい。Cocco著『ポロメリア』(幻冬舎)には、中学一年生の少女の抱える今が詰まっている。多感な年頃のきらめくような感性を紐解く、自伝的とも言える物語は、読む者の心の奥をぐらぐらゆさぶる。

 “朝一番/グランドの隅っこで/校舎の4階から飛び降りた私は/地べたに転がって、まだ生きている。/もう夏のにおいがする。/何てこった。/きれいな空だ。”印象的なはじまりは、もうそれだけで物語へとやわらかに誘う。沖縄の那覇に住む中学生になったばかりの由希子の語り口は、のびやかで軽やかだ。彼女の生い立ち、武勇伝、家族のこと、友だちのこと、コンプレックス、夢中になっているバレエのこと…などなど。二度と戻らないきらきらした日々は愛おしい記憶として、しなやかに思い出されてゆく。そして、その端々にそっと添えられるように吐き出される、十代ならではの胸のうちがせつなく、苦しく、懐かしく、ため息をつかせるのだ。ときに、はっとするほどに生々しい色をして。

 そういう中にうごめく、“今”へのゆらめくような思い。あっという間に過ぎてしまう“今”への切実なる思いだ。途方もない“いつか”までなんて待ちきれないと“今”を欲する気持ち、“今”という時間を生きるすべが知りたいと切実に乞い願う気持ち、前にも後ろにもない“今”をいらないものと思ってしまう気持ち。未来には淡い夢だってある。過去にはやさしい想い出だってある。愛されている。愛している。それなのに、“今”が苦しい。“今”の激しい感情に流されてしまう。どうしたらいい?どうすればいい?自分より年上の人たちはこの感情とどう付き合って、生き抜いたのか。そのすべを知りたい。わたしのゆくべき道を。わたしのたどり着く先を。知りたい。切実に知りたい。その先を、そのまた先を。

 通り過ぎてしまえば、あっという間に流れているはずの日々。ほんの瞬きばかりの時間かもしれない、少女から大人の入り口への足取り。不安定なゆらぎは、きっと誰もが通り過ぎるはずの、一瞬の通過点に過ぎない。その一瞬を鮮やかに切り取ることのできる未来を、“今”という瞬間には思いもしない。人は“今”を生きた結果ばかりを教える。その、生きる過程を丁寧に教えてはくれない。大人になってみればわかる、後になってみればわかる。そういう、いつかわかることの連続で日々が続いてゆく。自分で学ぶしかない生きる過程が、生涯続いてゆくのだ。どうしたらいい?どうすればいい?その問いの答えは、自らの手でつかむしかない。ゆっくりでも、どんなでも。つかむのだ。つかんでゆくのだ。

4344018354ポロメリア
Cocco
幻冬舎 2010-05

by G-Tools

人気ブログランキングへ
本ブログ 書評・レビュー←宜しければクリックお願い致します。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

«ミスター・ヴァーティゴ